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悪党の交渉

 和人は女子選手を受けいれない理由を高梨から言われ、どう返していいかわからなくなった。

 紗智の投球を見るまで、和人も女子が男子と混ざってプレーするのは無理だと考えていたから、高梨や先代の顧問の決断も真っ当に思えてしまうのだ。


「鏑矢、たとえおまえが優れたピッチャーでも例外を認めるわけにはいかない。学校にも迷惑がかかるし、おまえのためでもある」


 高梨は上体を起こした。腕を組んで背もたれに身体を預けると紗智を見遣る。


「あーあ、もうまどろっこしいなぁ」


 と、紗智が面倒くさそうに言うと、前に進み出た。


「なんだ?」


 高梨の声がきつくなる。


「つべこべ言わず、わたしを入れろっつうの。なんでわからないかなぁ」


「……おまえ、話聞いてたか?」


 高梨が顔をしかめる。


「野球やってれば怪我の一つや二つ、当然でしょ。ライナーが怖くてフィールドに立ってられないよ。大丈夫、わたしは誰かに責任を取ってもらおうなんて思ってないから」


「鏑矢、敬語で話せ」


 和人は呆れ交じりに注意をする。仮にも高梨は監督である。タメ口をきく紗智の厚顔さにハラハラしてしまう。


「とにかく、女子の入部は認めない。おまえが良くても、俺たちが責任をとれない。


「ふーん、そっか。なら仕方ないね。この手は使いたくなかったんだけど」


 紗智はポケットからスマホを出すと、芝居けたっぷりに掲げる。


「なんだそれ?」


 和人が訊く。


「にひぃ。聞いてからのお楽しみ。でさ、監督。一つ言いたいことがあるんだけど」


 なぜか微笑を交えて言う紗智。


「なんだ?」


 高梨の顔に怪訝な色が浮かぶ。


「教え子を賭け試合に参加させるのは、まずいよねぇ」


 紗智の笑みが怪しく映る。


「えっ?」


 と、驚く和人。


「和人は知らなくても無理はないよ。たぶん、何も知らされずに、今朝の草野球に来たんでしょ」


「ちょっと待て、どういうことだ?」


 いきなりの展開に理解が追い付かない。高梨をばっと振り向くと、彼は目を剥いていた。


「だからさ、あの野球、勝った方に二百万払うって約束をしていたのよ。ま、わたしも試合終わってから知ったんだけどね。知ってたらこんなヤバい試合に出場してないよ」


 紗智は油断ない視線を高梨に送る。


「とんでもないウソつきだな。部員を賭け試合に参加させるわけないだろ。野球部に入りたいからと言って話をでっちあげるな」


 高梨は右手で空を薙いで言い切った。ただ、心なしか瞳が動いているように見えた。


「へえ、じゃあこれはどういうことかな」


 と、紗智はスマホの画面をタップした。


 音声が流れ始める。


《いやあ、冨中さん、すみませんなぁ》


 その声に聞き覚えがあった。たしか橋高の声だ。


《やれやれ、お二人も人が悪い。まさかあんな高校生を連れてくるとは計算外でした》


《それを言うなら、冨中さんもでしょ。あの女、どこで見つけてきたんですか?》


 と言ったのは、牧野だ。


《私にもいろんな伝手がありましてね。今日の試合、どうしても勝ちたかったので呼んだんですが、アルバイト代を吹っ掛けられましたよ》


 冨中の苦笑が伝わってくる。


《出来高払いと言ったところですか? バイト代をケチらなければこっちが負けてもおかしくなかったのに》


 と、橋高。


《ははは、その通りですな。おかげで損してしまいました。ほら、約束の二百万》


《すみませんなぁ。やっぱりこれぐらい金を賭けなければ、緊張感がない》


《そうそう》


《たしかに》


 三人の哄笑が室内に響く。そして、ぷつっと音声が途切れた。


 和人は試合終了後、牧野と橋高がいなかったのを思い出した。宇田川が和人と乃仁斗を早く帰らせたのは、この現場を見られたくなかったからに違いない。


 さらに一昨日、木製バットの使用を躊躇った理由に合点が行った。絶対に『常盤台ミニスターズ』を勝たせるために、和人に金属バットを使わせたかったのだ。ただ、高梨は具体的な言い訳が思いつかず、和人の説得に窮したためやむを得ず木製バットの使用を許可したに過ぎなかったのだろう。


「監督、どういうことですか?」


 和人は高梨に詰め寄った。


 もしこれが露見したら、野球人生が終わりかねない。知らなかったとはいえ、和人の言い分に高野連が耳を傾けない可能性だってありうる。賭け試合に巻き込んだ高梨に怒りをぶちまけたくなった。


「お、俺は知らないぞ。牧野さんと橋高さんが部員を貸してくれって言われただけだ」


 高梨の声が震えている。バレるとは思わなかったらしく、にわかに後悔の念が押し寄せてきたようだ。


「監督ぅ」


 紗智はにやけ面を浮かべていた。


「鏑矢、それをどうするつもりだ?」


 高梨は椅子に座ったまま身体を強張らせた。


「もしこれをさ、教育委員会とか高野連に提出したらどうなると思う?」


 紗智は勝利を確信したかのように椅子に座っている高梨を見下ろす。


「お、おまえ、まさか」


 高梨は喉がつっかえたかのように言葉に窮した。


「和人はいいよ。何も知らずに、こんなことさせられたんだから、何の処分もないんじゃない。なんならわたしが擁護してもいいよ。和人は嵌められたって」


 紗智は和人を横目で見てから、高梨へ視線を戻す。


「い、いや、その」


 和人はどう言葉を発していいかわからなくなった。


「賭け試合って賭博でしょ。法に触れるんじゃなかっけ? 自分の生徒を行かせた責任はどう取るつもりなのかなぁ?」


 紗智がねちっこい口調で問い詰めにかかった。


「俺だって知らなかったんだ。なにも悪くない」


「それで済むと思う? これがバレたら当然野球部の顧問はできないし、処分は免れないんじゃないの。監督、家族はいたっけ?」


「あ、ああ。妻と子どもが二人」


「もしクビになったら、仕事はどうすんのさ。体育教師ってつぶしが利かないっていうし、転職も上手くいかないんじゃないの。しかも教え子を賭け試合に参加させた人を雇ってくれる企業なんてあるのかなぁ。家族を路頭に迷わせることになるかもね」


 紗智は瞳に鈍い光を携え、口角を上げながらつらつらと言い募った。


 高梨は腕を強く握りしめた。クビという言葉が相当堪えたらしい。顔から血の気が引き、恐慌の色がありありと滲み出ている。遠慮なく弱味を突く紗智を恐れ、脅されている自分が情けないと感じたのかもしれない。


「鏑矢、もうそれぐらいにしておけ」


 和人は割って入る。最初は高梨を許す気はなかったが、遠慮ない脅しで叩きのめされる様を見ると少し心が痛んできた。勘弁してやっても良さそうだと思う。


「か、鏑矢。いったい何が望みだ?」


 高梨は震える声で訊いた。


「さっきから言ってるでしょ。わたしを野球部に入れて」


「それだけか?」


「そう、それだけ。約束を守ってくれたら、このことは秘密にしておくわ」


 紗智はスマホをスカートのポケットにしまった。


「わかった。おまえの入部を認めよう。OB会や保護者会、学校側への説得は俺が何とかする」


 高梨は完全に屈服する形となった。


「話が早くて助かるわ。じゃあ、早いところユニフォーム用意してね」


 そう言うと、紗智はいきなり和人に向き直った。顔を見上げてまじまじと和人を見つめる。


「な、なんだよ」


 和人は怪訝な声を上げた。性格に問題があるとはいえ、容姿の整った紗智に真正面から見られると変にどぎまぎしてしまう。


「これからよろしくね、和人」


 と、屈託のない笑みをこぼした。

 

 この笑顔に騙されないぞ、と和人は心臓の高鳴りに逆らうかのように気を張る。


 ――こいつは……。


 まごう事なき悪党だ、と和人は思った。


 マウンドでの言動、和人への態度、それに邪悪な笑みを浮かべて教師を脅すなど、紗智は悪びれる様子がない。


 どんな手を使ってでも優位に事を進める紗智に対して期待と不安が綯い交ぜになるのだった。


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