40 忘れられないこと
風が強くなり、雪が凄い勢いで私の身体を覆っていく。
私は動くことも出来ず、身体から熱が奪われるのをただ黙って体感している。
遠くで銃声が聞こえる。
ああ、イヴァン。あれは、お別れの合図かな。薄れゆく意識のなかで私は、彼に別れを告げた。
でも、待っていて。私も、すぐ、傍に行くから。天国なんて信じないけど、ここではないどこかで、私たちは一緒になれるわ。そう信じてね。私もそう信じることにするから。
そうすれば、私たちはもう離れることはないわ。
「スノウ! スノウ!」
唐突に身体が激しく揺さぶられて、私は我に返った。
はっ、と目を開けてみれば、イヴァンの顔が至近距離にあった。彼は顔から足先まで、雪まみれ、そして血まみれだ。私は寒さでかじかむ唇を、なんとか動かして、尋ねた。
「……キースは?」
「殺った。もう安心していい」
彼は無表情にそう言いながら、私の手の縄を解く。手が自由になった途端、私の全身から力が抜ける。私は雪の中にまた崩れ落ちる。その身体をイヴァンが抱き起こす。私は彼のおかげでなんとか立ち上がれたが、今度は冷え切った身体が私の歩みを妨げる。
イヴァンが叫ぶ。
「スノウ、このままじゃ凍死する! なんとか歩くんだ!」
「スノウが雪に殺されるなんて、洒落にならないわね」
人間は不思議な生き物だ。こんな場面でも冗談口を叩くことが出来る。私は朦朧とした意識の向こう側で、ふふっ、と笑った。
私たちは雪の中を這うように、乗せられてきた車に向かった。私たちの足跡もすでに埋もれ、吹雪で視界はきかず、しかも夕闇が迫っていたが、私たちは、こんもりとした白い小さな山と化した車を、何とか見つけ出すことが出来た。
イヴァンが扉をこじ開けて、そのなかに私たちは命からがら滑り込む。
だが、車を動かすエネルギーはすでに枯渇していて、車内の暖房は切れていた。
「キースの奴、そこまでお人好しじゃなかったか……」
イヴァンが震えながら呟く。それでも吹雪を避けられるだけまし、と、私たちは車内で固く抱き合って暖を取る。
いつ、終わるともしれない吹雪、そして闇が世界を覆う。
肌と肌、息と息だけが重なる闇のなかでどれだけ時間が経っただろう。
イヴァンの声がした。
「君を抱きたい」
私にはすぐ傍にいるはずのイヴァンの表情が分からない。どんな顔でそう、私に言ったのか、まったく、分からない。
突然のことに返事が出来ないでいると、重ねてイヴァンの声が聞こえた。
「スノウ。俺は、君のなかに入りたい」
私は微笑んだ。そしてそっと、彼に身体を寄せた。
「私も、あなたを、欲しい」
「夜」が来ていた。あの夜から何度目かの夜が。
肌と肌が、触れあう。
絡まり合う。
焦がれていた熱に、私は包み込まれる。
何時までも忘れることの出来ない、雪の夜。
――それは、私が娼婦としてではなく、初めて心から愛する人に抱かれた夜の記憶――。




