第十五章 帰省の準備 4.スカイラー洋品店
~Side ネモ~
夏休みの間は王都を離れる事になるんであちこち挨拶に廻って、締めはここスカイラー洋品店だ。思えばこことも入学以来の付き合いで、時々はバイトもさせてもらってるからな。俺が【浄化】を使えると話してからは、偶に染み抜きの仕事を廻してくれるんだ。
勿論、店には専門の職人さんたちがいて、俺なんかじゃ足下にも及ばないんだが、急ぎの仕事が立て込んだ時なんかに時々――な。冒険者ギルドの指名依頼にしてくれるんで、俺も実績になるしで助かってる。職人さんたちから染み抜きの指導もしてもらえるしな。お蔭でこの頃じゃ俺の腕も上がって、服も清潔さが一段と上がってきた。
まぁそんな事情で、俺が王都を離れてる間は染み抜きのバイトもできなくなるから、一言断りを入れておくのが筋ってもんだしな。
そう思って店長さんに挨拶に行ったんだが、
「なるほど……ネモ君は湖水地方の出身だったんですね……」
何だか知らんが、店長さんが考え込んじまった。……俺、何かしくじったか?
「あ、いえ、これは失礼。少し考え事をしていたもので……」
店長さんが相手を放って考え込むなんてのは珍しいな――と考えていたら、
「時にネモ君」
「はい?」
――今度は俺に話しかけてきた。何なんだ?
「ネモ君の故郷で淡水真珠とか……或いはボタンに使えそうな貝殻なんかは手に入りませんかね?」
「淡水真珠……ですか?」
海産の貝に真珠ができるように、淡水産の貝から真珠が採れる事もある。前世の日本だと、琵琶湖の淡水真珠が有名だった筈だ。出来方に違いがあるせいなのか、海産の養殖真珠のように真球じゃなくて、不整形のものが多かったみたいだが。
前世と同じように現世でも、真珠も淡水真珠も存在はするんだが……養殖の技法はまだ確立されていないみたいで、お値段も超が付くほどの高級品だ。鉱山でそこそこ纏まって掘り出せる宝石とは違って、天然真珠が出来るかどうかは運次第だからな。
だから、店長が気にする理由も判らなくはないんだが……
「残念ながら俺の村があるのは塩水湖の畔なんで、そもそも淡水真珠は採れませんね」
「……塩水湖?」
不審そうな店長さんに、俺はタイダル湖の事を説明しておく。流入する河川が岩塩層をぶち抜いて流れているせいで、湖水が塩水になってるって事情をな。
「……そうだったのですか」
「そんなわけで元々淡水真珠は採れないんですが、淡水産じゃない方の真珠も、やっぱり採れるって話は聞きませんね。……いや、稀には採れるのかもしれませんけど」
店長さんも真珠の方は駄目元で聞いてみただけだったらしく、あまり残念そうな様子は無かった。本命なのはどっちかって言うと、貝殻の方らしい。……ボタン?
「えぇ。上着に使う飾りボタンではなくて、シャツの袖に使うボタンなんですが、これを貝殻で作れないかと思いまして」
「袖のボタンを、貝殻で」
「えぇ」
今更の話なんだが、人間の掌ってのは手首より幅広にできている。だから服の袖ってのは、掌や拳やより幅広に作らなきゃ、袖を通す事ができないわけだ。伸縮性の生地でもなければな。ただ、これだと袖が不格好になるってんで、一部の洒落者が暫く前に、袖の手首を飾り紐やリボンで絞る事を思い付いたそうで、セレブどもの多くはこの方式を採用してる。
ところが下に着るシャツの場合、これだと飾り紐やリボンは袖の中に隠れて見えない上に、中でゴテゴテして邪魔臭い。時には袖が不格好に膨らんだりもするしな。だからシャツの袖は寸胴なままってのが普通だったんだが……これだと上着を脱いで寛いだ様子を演出した場合、シャツの袖は不格好なままなわけだ。
で、一部の連中の間で最近流行り始めたのが、シャツの袖をボタンで留めるという……まぁ、前世じゃ当たり前のスタイルだわな。
飽くまで下着のボタンなわけだから、あまりゴテゴテしたものは下品になるってんで、シンプルなデザインのものが主流らしい。素材も骨や角、堅果の殻や木やなんかが多いんだと。焼き物が試された事もあったが、陶器だと割れ易いし磁器は手に入れにくいってんで、こっちはあまり使われないそうだ。
「……で、うちの店の独自色を出すために、貝殻でボタンを作ってみてはどうか――と考えたわけです」
前世の日本じゃ合成樹脂が幅を利かせていたんだが、貝殻製のボタンってのも確かにあった。確か、白蝶貝とか黒蝶貝とか夜光貝とか……鮑なんかも使われてた筈だ。他に牛乳から作るカゼインボタンってのもあった筈だが……ただでさえ流通量が少ない牛乳でボタンを作るなんてのは難しいだろうし、余計な事は言わないに限るな。
「つまり店長さんが言いたいのは、故郷でボタンの素材に使えそうな貝を見繕ってこい――と」
「お願いしたいのはそういう事です」
「まぁ、探しちゃみますが……ボタンにするってのは出さない方が良いんですよね?」
「できれば」
幸い前世の知識から、どんな貝がボタンに向くのかは判ってるんだし、探せない事も無いだろう――と、俺はこの時気楽に考えていた。
……後になって、店長さんがイメージしていたのは、平たくて小さな巻き貝――キサゴみたいなやつな――をそのままボタンに使う事だった……と、知るまでは――な。