第十五章 帰省の準備 1.貴族社会の闇
~Side ネモ~
思いがけない蛇特需で纏まった金が入ったが、これはどっちかと言うと泡銭みたいなもんだ。俺みたいな一年生が普通に金を稼ぐ方法についても、知っておく必要があるだろう。夏の長期休暇を前にして、故郷へ帰る者もいる筈だ。そのための旅費を、みんなはどうやって工面しているのか。それを知りたかったんだが……
「そういう点じゃ、このクラスの連中は役立たずだよなぁ……」
何しろAクラスは、俺を除く全員がお貴族様だ。セレブは金策なんかで頭を悩ませたりはしないだろう。そうぼやいて見せたら、
「そもそも、問題の前提が間違っていますわよ……」
精気の失せた表情で、お嬢が異を唱えてきたんだが……前提?
「えぇ。私たちは、夏に帰省……と言っていいのですかしら……領地に戻るような事はしませんもの」
「……あぁ。領地の事は代官だか差配だかに任せて、屋敷でのんびり寛いでるってわけか」
良いご身分だな――と言おうとして、クラス全員の疲れた、そして冷え冷えとした視線が俺に向いているのに気が付いた。
……俺、何かしたか?
「ネモ……知らないだろうから教えておくが、貴族の子女に、夏休みなんてものは無いんだ……」
コンラートのやつ、一体何を言い出したんだと思って見直したが、なぜかクラス全員が深く頷いた。
「……貴族の重要な仕事は社交と外交だ。私たちのような子供でもそれは変わらない。……夏の間は親たちと一緒に、外廻りに明け暮れる事になるんだよ」
「外廻り……」
営業でもやろうってのか――と思わず軽口を叩きそうになったが、これが的外れでなかったのには驚いた。
「お茶会に親善訪問、パーティに登城……毎日のようにコルセットを着けられて、外向きの微笑みを取り繕い、常に他人の目を意識して振る舞い、当たり障りの無い話題だけを延々と強いられる……ネモさんにはその苦痛がお解りかしら?」
「お、おぅ……」
……貴族ってやつも、思ったよりハードな生活なんだな。
「ジュリアン様は王族でいらっしゃるから、それに加えて他国の特使や賓客などのお相手もある。正直な話、休み中の課題を熟せるかどうかさえ怪しいんだ」
「場合によっては、他人の手を借りざるを得ない事もあるね。自分の身にならないから嫌なんだけど……」
「狡いと言われる事もあるけど、僕らだってやりたくてやってるわけじゃないんだけどね……」
コンラート、ジュリアン、アスランが、口々にぼやき出したところで気が付いた。
「エルはどうなんだ?」
「アスラン様がお出かけなのに、従者の俺が蹤いていかないわけにはいかんだろうが。パーティやお茶会などに参加できん時は、従者たちの控え室にいるわけだが、その間もしっかり値踏みされるわけだからな。気は抜けん」
……それはそれで大変そうだな。
「……そうすると、学生の間は領地へ行く事は無いわけか?」
「いや、春の休みがそれに充てられる。領地貴族は大半が領地に向かうから、自然お茶会などの回数も減って、領地を持たない法衣貴族ものんびりできるわけだな」
「冬もパーティ三昧だからなぁ……正直、休みが半月なのはありがたいくらいだ」
エリックのやつまでぼやいているが、子爵家でも社交は大変なのか。
「うちみたいな下級貴族の方が大変なんだよ。ご機嫌伺いしなくちゃいけない相手が多過ぎて……」
子爵家は下級貴族ってのには当たらんと思うが……
「貴族の子弟は大半が魔導学園か騎士学園の生徒だからね。長期休暇の時しかお茶会やパーティに出る機会が無い。だからパーティの方も、僕らの休暇に合わせて開かれるわけさ」
「たかだか一ヵ月の間に貴族たちのパーティが集中するんだ。開催する側も他のパーティとかち合わないようにスケジュールを組まなきゃだし……」
「父親は毎年この時期に胃をやられるな」
「……調薬の授業で胃薬を教えてくれるというから、密かに期待しているんですけど……」
知らなかった貴族社会の闇に俺が絶句していると……
「……貴族としての責務なのでしょうけど、こういう時はネモさんが羨ましいですわね」
――鉾先がこっちに向いた。
「ネモは丸々一ヵ月、好きな事をして過ごせるんだよな?」
「朝寝坊も夜更かしも、ゴロ寝も間食もやりたい放題」
「煩く言われる事も無いし――」
「憎たらしいほど恵まれた生活だよな」
「こういう時は庶民の方々を羨ましいと思ってしまいますけど、ネモさんは特別ですからね」
他の生徒たちまでもが、じわりじわりとこっちを追い詰める構えなんだが――
「いや、いやいやいや、待て待て待て。俺は休みの間に金策をしなくちゃならんと言っただろうが。帰省の旅費を稼がにゃならんのだぞ?」
そう反論しようとしたんだが……
「……出入りの革職人が浮かれていたと、実家から連絡が入ったんですけど? ……何でも、もの凄く珍しい蛇の皮が手に入ったとか」
「珍しい薬の素材が大量に入荷したとも聞いた。何でも危険な毒蛇の素材だとかで、滅多に手に入らないんだとか」
「仕入れ先は教えてもらえませんでしたけど、その日って、ネモさんがマーディン先生のお手伝いで薬草採集に行った日ですわよね?」
「で? ネモ、幾らの稼ぎになったんだ?」
……あかん。