第十四章 詠唱と早口言葉 1.発端
~Side ネモ~
期末試験の範囲が公表されて二日目、何か廊下が騒がしいと思って出てみたところ……ナイジェルが何やら生徒と言い争っていた。傍らに困ったような表情の女生徒がいるんだが……オレンジ色のセミロングの髪っていうと……ひょっとしてクラリスなのか? ……はて? 「プレリュード」にこんなイベントがあったっけな?
誰か事情を知っている者は――と思って周りを見回すと……丁度好いやつが見つかった。
「おぃバルトラン、ありゃあ何の騒ぎだ?」
「ネモか、実はな……」
レオのやつが困った様子で説明してくれたのは、端から見れば馬鹿らしい事が切っ掛けだった。
「……つまり何か? 詠唱が苦手なナイジェルのやつがクラリスに愚痴を零して、クラリスがそれを窘めていたところに、あの空気読めない君が出しゃばってきたと」
「あぁ……俺と同じBクラスなんだが、あいつはカチカチの詠唱派でな。ついでに好いカッコしぃのところもあるから、多分女生徒の前で格好付けたかったんだろうな」
「それであの二人のじゃれ合いに割り込んだと……馬鹿じゃねぇか?」
「馬鹿だな。ただ、争いのネタが詠唱の是非に関わってきてるから、俺たちは下手に手を出せないんだ」
「あ~……面倒な柵があるわけか。……平民の言う事など聴く耳持たんってやつなのか? あいつ」
「いや、そういうわけじゃない。ただな、平民出身者はそもそも詠唱問題について能く知らないからな。こっちはこっちで関わり合いになるのを避けてる」
「で、お前の兄弟弟子が貧乏籤を引いてるわけか」
「う……そうなんだが、さっきも言ったように、俺が下手に手を出すと色々拙いんだ。ネモなら何とか収められないか?」
……って言われてもなぁ……学園内で【眼力】なんか使うと面倒だし……主役組に関わるのは避けたいというのは事実なんだが……正直、今更って気もするしな。とは言え、そもそも俺が介入する口実が無い。下手に詠唱問題なんかに関わったら、絶対碌な事にならんからな。さて、どうしたものかと考えていたら、件のKY君が付け込む隙を与えてくれた。
「――これだから平民出身者は話にならないんだ。聞くに堪えない粗雑な詠唱なんか、幾ら力んだところで効果が出る筈が無いだろう」
……ほぅ? 建前だけとは言え四民平等を謳っている学園内で、平民出身者を貶めるような発言か?
これなら介入の口実になるなと内心で北叟笑んだんだが、俺より早く介入したやつがいた。
「その発言は聞き流す事ができないな」
「君は……マヴェル家の……」
介入したのはコンラートのやつだ。一応は宰相候補に挙がってるわけだし、それ以前に確か現宰相の孫だった筈だから、国策を否定するような発言は無視できなかったんだろうが……駄目だこりゃ、議論が的外れで噛み合ってないわ。
コンラートのやつは学園の建前と理念を押し立てて平民出身者への差別的発言を非難してるし、KY男子――ドジソンというらしい――は詠唱の有用性を主張する中で、平民出身者が詠唱の素養に欠ける事を主張しているし……論点が噛み合っているようで噛み合ってねぇ。一応は当事者の筈のナイジェルがおいてけぼりになってるし、クラリスに至ってはもう帰りたいという表情を隠してもいないしな。……はぁ、仕方ねぇ……
「おぃ、ピントの外れた議論はそこまでにしとけ」
俺が声をかけたら、なぜか二人ともギョッとした顔をした。……別に睨んでるわけじゃねぇ。元々こういう顔なんだよ。
「同じ平民出身者として聞き逃せない発言があったんでな」
そう言ってやるとナイジェルの表情が動いたが……勘違いするなよ?
「話の発端は、そこに置き去りにされてるやつの詠唱の巧拙だったみたいだが、そいつの詠唱が下手なのはそいつ個人の問題だろうが。平民全員がそうみたいな言い方をするんじゃねぇよ。それとも何か? 貴族対平民の対立を煽りたい理由でもあんのか?」
肩入れされてるわけじゃないと知ってナイジェルの表情が暗くなったが……そもそもお前がしっかり詠唱の勉強をしてりゃ、こんな面倒な事にはならなかったんだろうが。先々は「運命の騎士たち」本編で活躍するんだろうから、詠唱ぐらいきちんとできるようにしとけってんだ。
ナイジェルの事は措いといて、反王室活動でも企んでるのかと突いてやったら、ドジソンってやつの顔が青くなった。そこまでの事は考えていなかったみたいだな。まぁ、こういう手合いはあまり追い詰めてもよくないし、別の形で落とし前を付けるか……
「……で、そっちの主張は――①美しい詠唱にはそれなりの効果があるが、その点を蔑ろにする者が多過ぎる、②美しい詠唱のためには古典文芸などの素養が不可欠だが、平民出身者は押し並べてその素養に欠ける、③ゆえに、平民出身者の詠唱は粗雑なものになりがちで、効果も薄い――こういうところだったな?」
「そ、そのとおりだ」
はぁ……この馬鹿、詠唱の授業を聴いてねぇのか。