第九章 試験勉強 4.代数
~Side ネモ~
上級生から仕入れてきた過去問を解いていると、隣の席でお嬢がうんうんと呻いている。何を苦戦しているんだと覗き込んでみれば、連立方程式の問題だ。
χ^2 + χy + y^2 = 13 …①
χ^2 - χy + y^2 = 7 …②
この条件を満たすχとyを求めよというやつだな。ちなみにこちらの世界では、χの二乗をχ^2 という形式で表記している。前世のように右上四分の一角で表すよりも、読み間違いが少ないかもしれん。
で、お嬢は習ったばかりの解の公式に当てはめて解こうとしているようだが……苦労しているな。
この世界、平方根の概念があやふやなんだよな。無理数という概念はあるようだが、語呂合わせによるルートの憶え方なんかは習わなかったし。
何よりもこの国、日本の九九のような簡単な掛け算の憶え方が知られてないんだよな。それもあって、お嬢は素因数分解で開平しようとしてるみたいだが……
「……おぃお嬢、その問題はそんな面倒な事をしなくても解けるぞ」
「ネモさん……?」
怪訝そうにしているお嬢の目の前で、①と②の式から次の式を導いてやる。
①+②より2×(χ^2 + y^2) = 20 ∴ χ^2 + y^2 = 10 …③
①-②より2χy = 6 ∴ χy = 3 …④
③+2×④よりχ^2 + 2χy + y^2 = 16 ∴(χ+y)^2 = 16 …⑤
③-2×④よりχ^2 - 2χy + y^2 = 4 ∴(χ-y)^2 = 4 …⑥
こっちの世界では負の数は認められていない――概念としてはともかく、現実に存在しないというので反対する意見が強いらしく、学園では扱わない――ので、
⑤よりχ+y = 4
⑥よりχ-y = 2
後は普通に代入するなり何なりして、χ=3、y=1 ……となるわけだ。
ま、こういう解き方は問題慣れしていないと気が付かないかもな。伊達に前世で受験勉強の荒波に揉まれていたわけじゃないのだよ。
……どうした? お嬢。
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~Side コンラート~
……呆れてものが言えないというのは、こういう事を言うのだろうか。
因数分解の定型から微妙に外れた連立式の問題を、ただ式を変形するだけで定型的な因数分解の形に直して見せた。……言われてみれば確かに、思い付かない方が不思議なくらいなんだが……レンフォール嬢も絶句しているな。無理もない。
「過去問」の時といい、ネモというこの少年は妙に――それこそ私たち以上に――試験慣れしているような気がする。彼は平民出身の筈だから、こういう試験を受ける機会は無かった筈なんだが……
そもそもあの問題は一年生でやるようなものじゃない。もっと上級向けの問題だ。レンフォール嬢は予習のつもりで解こうとしていたようだが。
平民の出で高等代数など学ぶ機会の無かった筈のネモが、何であの問題を軽々と解けるんだ? 代数だけでなくそれ以外の分野にも、深い教養を窺わせる事があるし。
その一方で、この国の人間なら知っていて当たり前のような知識が抜けているし……まさか「大陸七剣」の事を知らない者がいるとは思わなかった。いや……食べる事に無関係な事柄に興味を抱くゆとりは無かったと、言われてしまえばそれまでなんだが……だったら、あの対人特化の戦闘技術はどこで身に着けたと言いたくなる。
規格外の自称【生活魔法】といい……色々と解らない事の多い少年だ。……時々、本当に十二歳かと言いたくなる時もあるし……
……まさか……彼もアスラン殿下と同じように〝わけあり〟の身の上なのか?
……いや……そうだとしたら、武闘会での一件といい、こうまであけすけに自分の力量をさらけ出す事の説明が付かない。第一あのぞんざいな口調とか、〝わけあり〟の貴族が付け焼き刃で下品に振る舞っているようには見えない。……ぞんざいに見えるが、あれで本質的な部分で礼を失する事はしていないし。
判らない。彼は一体何者なんだ?
人柄は目つきほどに悪くはないと思うんだが……