第六十六章 卒業祭~初日~ 2.別世界の旋律
~Side ネモ~
在校生の分際で来賓の代理――改めて言っても意味不明だな――を務めるという班員どもと別れて、俺はブラブラと校舎の中を歩き廻っていた。自分の教室はともかく、特殊教室とかを具に見て廻る機会は少ないから、滅多に無い好機が訪れたとでも思おう。大掃除も済んだ後だし、割と綺麗になってるな。
窓から外を覗いてみると、卒業生らしき先輩方を後輩らしいのが取り巻いてる。恐らく別れを惜しんでるんだろう。単に中等部へ進級するだけなら、会う機会だって無いわけじゃないから、就職とか帰郷とかで学園を離れる先輩なのかもしれん。雰囲気だけ見れば前世の卒業式と変わらんな。
そんな事を考えていると……
『マスター それなーに?』
気付かないうちに鼻歌を歌ってたみたいだ。前世じゃ卒業式に付きものだった、尊き師の恩に感謝する歌とか、苔の生した礼拝堂で祈りを捧げた日々を懐かしむ歌とか、高三のクラスメイトの親交を誓う歌とか、卒業する先輩を想って涙する中三女子の歌とか、翼を広げて大空に飛び立つのを願う歌とか、「さようなら」は別れの言葉じゃないとの決意を秘めた歌だとか……この手の歌は色々あったからな。……まぁ、俺はそれを無意識にちゃんぽんにして歌ってたみたいだが。
……あとヴィク、この歌には猫も狸も出て来ないからな?
『むー すこしざんねんー』
……そんなに気に入ってたのか、狸?
・・・・・・・・
ヴィクが俺の歌を聴きたがった――最近はちょいちょい聴きたがるんだよな――んで、誰もいない音楽教室にお邪魔する事にした。ここは受業でも使っていたから、中の様子は大体判ってる。授業を受ける広い部屋の他に、カラオケルームみたいな練習室が付いてるんだ。防音で鍵が掛かるようになっていて、ちゃち……小型のピアノみたいなのが備え付けてある。
勿論、本教室にもどデカいピアノ擬き――クラブサンとかいうらしい――が据え付けてあるから、てっきり歌の稽古なんかもあるんだろうと思ってたんだが……案に相違して、歌も楽器も実習は無かった。だったら受業で何を教わったのかというと、音楽関係の基礎教養ってやつだった。
能く能く話を聞いてみると、歌も演奏も生徒間の技倆のばらつきが大き過ぎるため、実技の講習は無いんだそうだ。
まぁ、平民出の生徒の多くは楽器なんか触った事も無いだろうが、葦笛くらいなら吹けるやつはそこそこいそうだしな。寧ろ貴族の坊ちゃん嬢ちゃんが、意外と演奏は巧くないらしい。……教師を呼ぶのも楽器を揃えるのも、それなり以上に金がかかるからなぁ……
その一方で、将来お偉方と付き合う時のために基礎教養ぐらいは知っていた方が良いというんで、一年生では座学中心のカリキュラムになってるんだとか。
話を戻すと、俺の目当てはこの練習室だ。幾らヴィクに聞かせるためとは言え、学園内で前世の歌を高歌放吟するわけにもいかんからな。
オケ無しの歌だけでいいかと思ってたんだが、部屋にクラブサンが備え付けてあるのを見たヴィクから〝伴奏付きで〟って希望が入ったもんで、一気に難度が跳ね上がった。
自慢じゃないが、これでも俺は前世現世を通じて喉自慢だ。カラオケじゃ毎回高得点を叩き出していたもんだ。妹に付き合ってピアノ教室にも通わせられたから、クラブサンだって弾けなくはない。
が――弾くのと歌うのを同時にとなると、俺のレパートリーは一気に減る。「猫○んじゃった」ぐらいなら弾けなくもないんだが、態々練習室を占拠してまで演奏する曲でもないしなぁ。
単純に俺が弾けて歌えるものとなると…………シューベルトの『魔王』ぐらいか?
子供心にタイトルがカッコ好かったんで、頑張って練習したのは好い思い出だ。お蔭で今でも歌えはするんだが……
『ヴィク、歌詞が俺の母国語になっちまうんだが、それでもいいか?』
さすがにゲーテの名文を翻訳はできんからなぁ。
ヴィクはそれでもいいと言ってくれたんで、久しぶりに腕と喉を披露する事にした。前世から数えて十五年以上のブランクがあったんだが、意外に忘れてないもんだな。
ヴィクが喜んでくれたのと、俺も興が乗ったのとで、続けて「トルコ行進曲」「天国と地獄」の演奏に雪崩れ込んだ。あ、「トルコ行進曲」の歌詞は替え歌版で、「天国と地獄」は歌無しの演奏のみだけどな。
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鍵が掛かって防音が確りした密室なんて、善からぬ行為に温床を提供するようなもんだ。公序良俗を守るという観点から、練習室には録音の魔道具が備え付けられていて、鍵を掛けると同時に自動で作動するようになっているんだそうだ。
……俺がその事を知ったのは、謎の演奏家の正体は誰なのかと、騒ぎになってからの事だった。