第六十章 冬季野外実習~一日目~ 5.キャンプハウス
~Side アスラン~
今回の「冬季野外実習」は、実に有意義なものになりそうだ……取り分け、僕とエルにとっては。何しろこの国に入るまで、僕もエルも「雪」というものを見た事が無かったからね。
思いがけなくも冬山での救難出動に同行する事ができて――そして、そこであわやという目に遭いかけて――少しは雪の事に詳しくなったつもりでいたけど、そんな僕らをネモ君は鼻で笑った。うん……〝嗤った〟でなかったのが救いだと思おう。
〝あんなもんで雪山の怖さを知った気になるな〟
――そう言うとネモ君は、もっと本格的な雪崩について説明してくれた。
……毎時二百kmで流下する雪崩なんて、駿馬に乗ってても逃げ切れる気がしないよね、うん。
実習が始まったら始まったで、座った姿勢のまま雪の斜面を滑り降りて来たし……
かなりなスピードが出てたし、慣れていないとコントロールが難しいんじゃないかと思っていたら……その懸念を裏付けるようにバルトラン君が事故ってたし。
アーウィン先生が頭を抱えてたのも、そんな危険性を知ってらしたからなんだろうな。まぁ、バルトラン君がその身を以て、危険性を周知してくれたわけだけど。
そんなネモ君の事だから、キャンプハウスに引き取って夕食を済ませた後、各班の班長が招集された空き時間の話題をこうして独占するのも、当然と言えば当然だよね。
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「……まぁ、ネモのアレは論外としても、『滑落停止』の技術とやらは有用だと思います」
「うん。ネモ君たち班長が臨時招集されたのも、その件についてみたいだしね」
ジュリアン殿下は立場上、内部情報もそれなりにご存知なのだろう。今回の班長招集の裏事情を話してくれた。まぁ、バルトラン君の事故を見れば、ネモ君の言う〝滑落停止〟訓練は取り入れた方が良さそうだしね。
「各班の班長を呼び集めたという事は、滑落事故……というのですかしら、そういうアクシデントの発生状況を確かめるという事でしょうか?」
「大きな事故なら先生方も気付くだろうけど、その一歩手前の転倒くらいだと、先生方も気付いていない可能性が高そうだし……。レンフォール嬢の推測は当たっていそうだね」
「そうすると、カリキュラム自体を作り直す必要も出て来ますが」
「まぁ、キャンプハウスの庭で先生方がお手本を見せるとか、そういった程度でもいいんじゃないのかな」
うん、模範演技――でいいのかな?――を見ておくだけでも大分違いそうだ。
「すると、ネモがどこかで実演して見せるわけですか?」
そんな機会があるのなら自分も見たい――と、言いたげだね、エルは。いや、斯く言う僕もその口なんだけど。
「ネモの立場を考えると、冒険者ギルドへ話を通しての指名依頼という形になるかもしれません」
「と言うかその前に、冒険者を対象にした講習があるかもしれないね」
「まぁ、彼らなら経験的に知っていそうな技術ではありますが」
一頻りそのネタで盛り上がったところで、ジュリアン殿下が別の話題を提供した。
「話は変わるけど、冬にも結構動物が活動してるんだね」
「あぁ、足跡講習の事ですか」
「あれは興味深かったですわね」
雪の上に二筋の足跡が残っていたのをアーウィン先生が見つけて、何の足跡と思うか訊いてきた。僕らには皆目判らなかったけど、
「ネモさんはご存知だったようですわね」
「故郷で冬の狩りに参加した事がある――って、言ってたしねぇ」
「エルメインにも判ったみたいだな?」
「あぁ。雪に残った足跡を見たのは初めてだが、土や泥の上に残っていたのを見た事はあるからな」
うん、僕も狩りに参加した事はあるんだけど、足跡を読む技術までは習わなかったしね。
ちなみに、一つだけ残っているのを「足痕」、それが続いた一連のものを「足跡」っていうそうだけど、これも今回初めて知ったな。ネモ君も初耳だったみたいだけど。
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そんな他愛も無い事を喋っていたところへ、ネモ君がふらりと戻って来た。会議の内容は案の定、滑落事故の発生状況と、それを阻止するための「滑落停止」の技術についてだったそうだ。今回は状況の確認だけで、カリキュラム内容については学園に戻って検討するらしい。
「……で、ネモさんが持っていらっしゃるそれは、一体何ですの?」
「目敏いな、お嬢。いやな、会議でちっと疲れたんで、気力回復にオンジュでも焼こうかと思ってな」
……オンジュというのは柑橘類の一種だよね? けど……それを、焼く?
ナシとかリンゴを焼く事があるのは知ってるけど……オンジュを?
「あぁ。ちょいちょいヴィクにも食べさせてやってるんだが、評判が良いんだぞ?」
「あら、ヴィクさんのお眼鏡に適ったという事は、味の方も期待できそうですわね」
……そうかなぁ。いや、ヴィク君が普段からネモ君の手料理に親しんでいるのは間違い無いだろうけど……ネモ君は時折奇抜な食材を使うからなぁ……
疑わしげな僕らの視線もものかは、ネモ君は【収納】から薪ストーブを取り出すと、熱せられた天板の上にオンジュをそのまま転がした。オンジュの皮が黒焦げになった頃合いで取り上げると、落ち着いた様子で皮を剥く。僕らは恐る恐る見ていたけど、案に相違して中身までは焦げてはいなかったそれを……
「……ネモさん、私にも戴けますかしら?」
「おぅ、ちと熱いから気を付けろよ」
……落ち着いた様子でレンフォール嬢が口にする。
「っつ……かなり熱いですけど、随分甘いものですのね」
「おぅ、オンジュは焼くと甘味が増すからな」
へぇ……そうなんだ。
「けど……匂いは少し変わっていますのね」
「まぁな。気になるか?」
「いえ……不快というほどではありませんし」
好奇心に耐えかねた僕らがそれを口にして、即座に焼きオンジュ派に転向したのは、その後直ぐの事だった。