第六十章 冬季野外実習~一日目~ 3.雪上歩行実習(その3)
~Side ドルシラ~
「お嬢、何だったら、試しにこれを使ってみるか?」
そう言ってネモさんが取り出したのは杖でした。それも――
「二本……という事は、両手に持って使えという事ですの?」
「あぁ。雪山用に小細工してあるから、身体を支えるのも楽な筈だぞ」
……確かに、持ち手の部分には革紐が輪になっており、そこに手首を通して持てという事なのでしょう。これなら杖を取り落とす事も無さそうです。
また、先端には小さな円盤が取り付けられていますが……多分、スノーブーツと同じように接地面積を増やす工夫ですわね。……総じて随分と洗練されたものを感じます。
確かに、両手にこの杖を持って身体を支えれば、雪道を歩くのも楽になりそうですけど……
「待てネモ。雪の山道で両手が塞がるというのは、万一の事態に対応しにくくなるだろう」
マヴェル様がそう異論を表明し、エルさんも頷いて不同意を示していましたけど、
「そっちこそ勘違いすんな、マヴェル。俺たちゃ『魔導学園』の生徒なんだぞ? 〝万一の事態〟に対しては、魔法を持って当たるべきだろうが――素手や武器じゃなくてな」
……言われてみればそのとおりですわね。
「そもそもの話だ、賊や魔獣の襲撃を受けるよりも、慣れない雪道で転倒して身体を痛める可能性の方が高いだろうが。そのアクシデントに備えるのを疎かにしてまで、蓋然性の低い襲撃イベントを優先する必要がどこにある? 軽く本末転倒だろうが。況してやこれは『実習』なんだぞ?」
「む……言われてみれば……」
だったらどうして杖の携行が認められていなかったのだろうと、内心で不審に思っていましたけど、
「多分だが、騎士団か何かの訓練プログラムを丸写し……とまではいかなくても、参考にしたんじゃねぇのか? 騎士団なら武器の使用を優先するのも当然だしな」
「なるほど……」
「ありそうな話だね」
手が塞がっている事で、魔法の発動に支障が出るのかと訊かれましたけど、勿論そんな事はありません。そもそも魔術師たる者、手に「杖」を携えているのが普通ですから。
つまり……実習中に「杖」を持っていても、何の不都合も無いという事ですわよね。
見ていると、他班の方たちも杖の確保に動き出したようですし……このまま済し崩しに既成事実化するのが上策ですわよね。
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~Side ネモ~
お嬢が雪道に難儀してるみたいだったんで、スキー教室用に持って来ていたスキーストックを貸そうとしたんだが……予想外に目立ったような気がするのは、何でだ?
コンラートとエルが疑わしそうな目で見てきたんで、正論でぶん殴って温和しくさせておいた。お嬢も納得してストックを使うみたいだし、問題は無かった筈だ……多分。
ただ……ひょっとして、ストックを持って来たのは俺だけ――なのか?
スキー実習がある以上、ストックは不可欠の筈だが……あ、いや。スキー板を持って来てるやつもいなかったし、そういうのは全部学園の方で用意してんのか。だもんで、生徒は自分で持って来る事をしなかった――と。
……それならこいつらの視線も納得できるな。自前でストックを持ち込むなんて、どんだけスキーに入れ込んでるんだ――って思われたのか、くそ。
しかし……先入観のせいだとは言え、誰一人として行軍にストックを持ち込む事を考えなかったとは、固定観念ってのは恐ろしいもんだ、うん。