第五十一章 孤児院訪問 1.始まりの前に
~No-Side~
舞踏会から三日後の今日、王立魔導学園Bクラスに所属するアグネスは……いや、彼女だけでなく彼女のいる教会全体が、何とも言えぬ緊張状態にあった。
その理由は……
「はぁ……どうしてこんな事に……」
「アグネス、いい加減に諦め……いえ、落ち着きなさい。殿下たちに対して不敬ですよ」
「も、申し訳ありません、シスター」
「アグネス……貴女が不安になる気持ちは解らなくもありませんが、当教会はこれまでに何度も高貴な方々をお迎えしているのです。それなりの経験と実績を積んでいるのですよ」
「はい……」
……王国の第四王子であるジュリアンとレンフォール公爵家令嬢であるドルシラ、その二人をはじめとする面々が、この教会……より正確には、教会付設の孤児院を訪れるからである。
なぜそんな事になっているのかという疑問は一旦脇に措いておき、こうもアグネスを不安にさせている理由とは、ジュリアンやドルシラといった貴賓の来臨ではなく……
(……ジュリアン殿下やドルシラ様のおられる班って……確か、ネモ君が班長の筈……)
ジュリアンやドルシラといった貴顕を差し置いて、平民出身のネモが班長を務めているという事。そして――必然的にその怪人ネモが孤児院を訪れるという事である。
ネモのいるAクラスは、なぜか生徒たちの結束と警戒が尋常でなく強く、噂話などがほとんど流れて来ないのだが……漏れ聞こえて来る話を仄聞するだけでも、ネモの異常さは際立っている。
初等部一年生の分際で冒険者ギルドに勤務しているとか、魔獣を瞬時に焼き殺してはその肉を常食しているとか、仕留めた魔獣の魔石を吸収してはレベルアップの糧としているとか……多分話に尾鰭が、場合によっては背鰭・腹鰭・胸鰭なども付いているのだろうが、それを差し引いても尋常ではない。
……そんなネモが、この教会を訪れる?
不穏な……いや、不吉な予感しかしないではないか。
アグネスの狼狽ぶりに心配になったのか、シスターと呼ばれた女性が問いかける。
「その……ネモさんとおっしゃる方は、問題児なのですか?」
「……いえ、違います(……と、思います)」
――そう、問題児ではない。
花丸付き金箔付きの要注意人物なだけである。
ネモ本人が謂れ無き暴力を振るったとか、そういう話は――案に相違して――聞こえて来ないので、トラブルメーカーでないのは間違い無い筈。アグネス本人の知る限りでも、子供や仔猫やスライムから避けられるような事は無かったし。……初対面の人間は大抵避けていたが。
(創立祭の時に人混みが割れていくのを見た時は、何かの奇跡に立ち会っているのかと思いましたし……)
苦悩するアグネスの事は――不人情なようだが――放って置いて、なぜまたネモたちがこの教会と孤児院を訪れる羽目になっているのか。その理由を一言で説明すれば……身も蓋も無いが、「国による人気取り政策」というのが一番しっくりくるだろう。
要するに「王立」魔導学園と騎士学園の生徒は、国民に対するボランティア活動を義務づけられているのである。
魔導学園の場合について説明すると、一年生は抽籤によって孤児院・救貧院・施療院をはじめとする様々な部署を訪れ、そこで「お手伝い」に従事する事を命ぜられる。これは課外授業の一環であるが、それを冬休みのうちに行なうのは、この時季なら貴族の子女も帰郷せずに王都にいる事が多いからである。……生徒の監視と統制という一面もあるようだが。
魔導学園生徒とは言え、所詮は初等部の一年生なので、使い走りに扱き使われる程度なのであるが、これが結構忙しい。冬なので大した仕事は無いだろう……などと高を括っていると、これがとんでもない目に遭う。
例えば孤児院や救貧院では、子供たちの世話は素より、寄付された古着の洗濯や補修などの仕事が与えられる。然して難しい仕事ではないのだが、何しろその数が多い。歴代生徒の中には、ここで新たなスキルを得た者開花させた者も多いと聞けば、その面倒臭さが察せられよう。
その他にも、例えば水路の補修作業がある。水量の少ない冬のうちに、河川や用水路、時には橋の補修工事に駆り出されるのである。ちなみにこっちは騎士学園の生徒が肉体労働に扱き使われる事も多く、生徒間の交流――被害者同盟とも言う――に寄与していたりもするのだが、ここでその話に深入りするのは止めておく。
あとは鍛冶屋――農閑期のうちに農機具の補修依頼が殺到する――の手伝いとか、下水道の清掃――夏だと悪臭が酷い上に、地下の下水道では熱中症の危険もあるため――作業の補助だとか……子供にはかなり苛酷なものも多いのだが、逆にそれゆえに「王立」学園の生徒たちは、国民からの篤い支持を得ているのであった。
派遣先の都合などもあって、日付は班毎に異なっているのだが、ネモたちの班はこの日に教会を訪れる事になっていたのである。




