第四十三章 市場にて 4.オーウェンス商会(その1)
~Side ネモ~
俺としちゃ善戦したつもりだったんだが、さすがにお嬢も貴族家の一員だわ。柔やかに礼儀正しく、かつ真綿でジワジワと締め上げるように、きっちり逃げ道を塞いでくれた。万事休すってやつだな。……仕方ねぇ、覚悟を決めるか。
ま、貴族とはいえ、お嬢とは食いもんの点で話が合うしな。料理長って人も、職業柄か料理の話にゃ食いつきそうだし……気楽と言えば気楽かもしれん。
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庶民の目線で見た相場の動きってやつを一齣説明した後、俺はお嬢に連れられてオーウェンス商会って店にやって来てるんだが……どう見ても、俺みたいな庶民が出入りしていい店じゃねぇよな。今日はお嬢の連れって事で、お目零しに与ったみたいだが。
「ネモさんへのお礼でしたら金品よりも、こういう店への紹介の方がお気に召すのではと思いまして」
――能く解ってんな、お嬢!
骨の髄から庶民の俺が泡銭なんか貰っても、碌な事にならんのは目に見えてる。それにそもそも慎ましく暮らす程度の金なら、自力でどうにか稼げてるしな。俺としちゃこっちの方がありがたい。金とコネとは不即不離でも別物だしな。
けどお嬢、本当に構わんのか? 俺みたいなド庶民を紹介なんかして。俺が下手打ったら、お嬢の顔まで潰れるんじゃねぇのか?
「ネモさんならその辺りは信頼できますもの。それに、祖父が失礼をしたお詫びの意味もありますの」
あー……あのお茶目な爺か……
「全くだな。あの爺さん、何を考えてたのか知らんが……あんな事ばかりやってるようじゃ長生きはできんぞ」
俺みたいに紳士的な相手ばかりとは限らんのだからな――と、そう言ってやったら、お嬢は意味ありげに微笑むだけで黙っていた。……何だってんだ。
ま――それはともかく店の中を見せてもらったんだが……さすがに貴族御用達の店だけあって、思った以上の品揃えだ。随分と変わったものまで扱ってるな。名前が表示されてないものもあるが……ま、こっそり【眼力】で鑑定すれば何とかなるか。前世の記憶で見当が付くものも多いしな。
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~Side レンフォール公爵家料理長~
お嬢様のお供をして市場へとやって来た……正確には、自分の買い出しにお嬢様が同行なさったんだが……ともあれ、そこで噂の人物に出会う事ができた。料理人たる自分でも知らないような調理法を、惜しげも無く伝授してくれるという、ネモという名の少年だ。お嬢様が随分と――彼の料理を――お気に召しているらしい。
同じ料理人として複雑な思いはあるが、腕の程はともかくとして、珍奇な調理法を心得ているのは事実らしい。……毒茸を毒抜きして食べると聞いた時には、思わず我が耳を疑ったが……
そんな彼だが……店頭に並ぶ珍奇な品々の数々を見ても、然して動じた様子も見せない。……自分は初めて青カビの生えたチーズを見た時には仰天したものだったが……あの少年は、値札を見て少し顔を顰めただけだった。……青い部分がカビだと気付いていない可能性もあるが。
「料理長、ネモさんが見ているあれは何ですの? ゼル……とかおっしゃっていたようですけど」
「クラゲの干物ですな。味はともかく歯応えが面白いので、副菜に使う事があります」
……あの少年、あの状態のアレを見て、クラゲだと気付いたのか。……という事は……
「……湖水地方でもクラゲを食べるのですかしら?」
「さて……そういう話は聞きませんが……港から川船で運ばれて来たのを見たのかもしれませんな。湖水地方は舟運も盛んですから」
……自分で言っておきながら、今一つすっきりしない説明だが……
「値札を見て……顔を顰めておいでのようですわね。……値段以外は気にならなかったのですかしら?」
だとすると……味や調理法についても承知しており、なおかつ、もっと安く手に入れていたという事になるが……
「王都に運んで来る時点で、運送費もそれなりにかかっておりますから、割高になっているのは確かですが……」
その彼はパルボの干物を見て考え込んでいるが……やはり気にしているのは値札だけか? あの奇怪な八本足の干物を見ても、その正体には何の疑いも抱いていないようだが…… パルボはタイダル湖でも獲れたのだったか?
お、あの少年パルボを買う事にしたのか。そこまで高いものではないが……調理法を知っていないと躊躇うと思うのだが……
「……料理長、今ネモさんが手に取ったあれは何ですの? 枯木のように見えますけど」
「は? ……いや……あれは……」




