第三十三章 調理実習 6.食卓の魔術師~パンケーキ篇~(その2)
~Side ドルシラ~
「卵と牛乳、あとバターがあればいいんだが……」
――ネモさんがまた大それた事を言い出しました。
「牛乳? 牛の乳かい?」
「あれは搾り立てでないと飲めないだろう。幾ら何でも、学生の調理実習に使うのは難しくないか?」
「あぁ……でも、ネモ君の【収納】があれば……」
「あ……新鮮な乳をそのまま保存できるのか……」
……【料理】に【収納】って……返す返すもズル過ぎますわよね。うちの料理長が聞いたら何て言いますかしら。
「ま、どちらも手持ちにゃ無いし、たかが学生が入手するには敷居が高いしな。今回は砂糖だけにしとく」
「それも安くはない……て言うか、充分に高いんだけど……」
「ジャムの時と違って、小麦粉と同量を準備しろなんて事は言わんから、安心しろ」
「小麦粉で作る〝簡単な〟筈の料理に砂糖を加えるという時点で、もう安心できないんだけど……」
ブツブツと呟きながら、殿下が小麦粉をボウルにお入れになったのですけれど……
「おぃ待てフォース、何やってんだ」
「え? ……小麦粉を水で溶くんじゃないのか?」
「その前だ。小麦粉はきちんと量ったのか?」
「量る?」
殿下は目をパチクリとさせておいででしたが……それは私たちも同様でした。
「はぁ……美味いもんを食いたいってんなら、準備に手を抜くんじゃねぇ。菓子の類は分量をきっちり量らねぇと、まともなもんはできねぇんだよ」
ネモさんはそうおっしゃると、講師の先生に頼んで秤を出してもらいました。……もうこの辺りで、周囲の視線が痛いですわね。
「計量用の器でもいいんだが、混ざるのは拙いから材料ごとに器を用意しなくちゃならんし、少量を量るにゃ向かないからな。材料によって比重も違うし」
……そういう理由でしたのね。
それは解りましたが……ネモさん?
「――待てネモ、いま小麦粉に混ぜ込んだのは何だ?」
「別に物騒なもんじゃねぇよ。さっきも使った重曹だ」
「……小麦粉をそれ以上軟らかくしてどうするんだ?」
「こいつは軟化処理のために使うんじゃねぇ。ま、いいから黙って見てろ、エル。細工は流々、仕上げをご覧じろ――ってな」
ネモさんは砂糖と小麦粉、重曹を量り取ったものを能く混ぜ合わせると、きっちりと分量を量って私たちに配りました。同じようにきっちりと量った水と一緒に。
「あとは粉に水を回し入れて混ぜるんだが……おぃ待てマヴェル! そんなに力んで混ぜるんじゃねぇ!」
さっさと混ぜ始めたマヴェル様がネモさんに叱られています。何でもパンを捏ねる時とは違って、今から作る「パンケーキ」では、タネを混ぜ過ぎるのは厳禁なのだそうです。
「こうやって、木篦でサクッと切るように混ぜるんだ。少しでも粘り気が出てきたらアウトだからな」
「む、難しいんだね……」
「これのどこが簡単なんだ……」
「簡単な料理もあるぞ? 味の方もそれなりってだけだ」
ネモさんがそう言うと、皆様黙って混ぜ始めました。何しろ【料理】持ちのネモさんが、太鼓判を押す料理ですものね。
「よし、そんなもんでいいだろう。あとは各自フライパンで焼くだけだが……油は薄く引くだけにしろ。多過ぎたら容器に戻せ。あと、熱したフライパンは濡れ布巾の上に置いて、少し冷ませよ」
色々と注文が多いネモさんの指導でしたけれど、そんな不満もネモさんから「フライパン」を借りて、「パンケーキ」とやらを焼くまででした。
「おぃネモ! 膨らんでるぞ!?」
「寝かせたわけでもないのに……どうして……?」
「それが重曹の働きってやつだ」
「重曹の!?」
「こんな効果が重曹にあるのか……」
講師役の厨房職員の方も、近寄って来て食い入るように見ておいでです。勿論周りの方々も。
ともあれ、全員分の「パンケーキ」が焼き上がって配られたところで、ネモさんが【収納】からバターと蜂蜜を取り出しました。
「そのままだとちょいと物足りねぇだろうから、好みでこいつをかけて味を調えろ。あればホイップクリームなんかも悪くねぇぞ」
……ホイップクリーム……ですか……
「お高いもんのように考えてるかもしれんが、お嬢、自前で作る分にゃそこまでしないからな?」
それはそうかもしれませんけど……ネモさん? そもそも貴方、能くそんなものを作ろうなんて思い付きましたわね?