第三十三章 調理実習 4.食卓の魔術師~ステーキ篇~(その3)
~Side コンラート~
それまでネモのやる事を黙って見ていたレンフォール嬢だったが、ついに堪り兼ねたように口を挟んだ。
「……ネモさん、それがネモさんのおっしゃる〝軟らかくする方法〟ですの?」
「あぁ、その一つだ。この肉で上手くいくかどうか判らんから、もう一つの方法も試しておくが」
「もう一つ……って、そんなに幾つも方法がありますの?」
「基本的なところは同じなんだがな。材料に何を使うかによるわけだ。ま、ここで使える方法となると、大体この二つに限られるけどな」
……言ってる事は能く解らないが、幾つかの方法があるのは解った。
そう言いながらネモが取り出したのは……
「ネモさん、何ですの? その、白い粉」
ネモは如何にも怪しげな白い粉を取り出すと、それを肉に塗し始めた。
「別に怪しいもんじゃねぇよ。乾物屋でも売ってる重曹……ソーダってやつだ」
「ソーダ?」
「何だそれは?」
レンフォール嬢やエルメイン君は知らないようだが、自分は聞いた事がある。
「確か、塩か何かを原料にして作るものじゃなかったか? 色々な方面で使われていると聞いた事があるが……」
「お、さすがマヴェルだな。そのとおり。こいつは色々と使い勝手の良い代物でな。手持ちに加えておくと便利だぞ」
……料理に使うとまでは知らなかった。後で実家の料理長に確認しておこう。
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肉を漬け込んで暫くおいてから、ネモはその肉を取り出したが……驚くほど軟らかくなっていたのには、殿下もアスラン様も目を瞠っておいでだった。
「さて、後は焼くだけだな。この実習じゃ直火じゃなくて鉄板焼きでやるみたいだから、このままフライパンで焼きゃいいか。焼き方の注文はあるか?」
「……焼き方?」
ネモは何を言っているんだ? 肉には能く火を通す――それしか無いだろう?
「ガチガチに火を通すだけでなく、生に近い食感まで火の通りを抑える焼き方もあるんだが……ま、今回は無難にウェルダンにしとくか」
何やら意味不明な事を呟くと、ネモは肉に火を通し始めた。……こういう時には、あの平底鍋は使い易そうだな。……後で料理長に話しておこう。レンフォール嬢もメモを取っているようだし。
「ソースの面倒までは見ないからな。欲しけりゃ自分たちで作れ」
「あぁ、大丈夫。今回は実習だしね。ソース無しの方が、味が能く判るだろう」
アスラン様のおっしゃる通りだ。いざ、実食に入るとしよう……って、予想通り周囲の視線を集める事になったな……
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~Side ネモ~
学園側が用意した肉は、前世の基準からすればちょいとばかり固めだった。アスランのやつの反応からすると、こっちの世界でもやっぱり固めになるらしい。試しに切れっ端を焼いてみたら……所謂〝靴の底〟って程じゃないが、やっぱり固いな。ヴィクの言うように味は悪くないんだが……軟化処理をしておいた方が良いか。
……そう言や、王都でもフライパンは珍しいようだった。前世の記憶じゃ、フライパンの歴史はメソポタミア文明まで遡るとか何とか聞いた事があったんだが。実家じゃ使ってなかったから、注文して作ってもらったんだよな。鍛冶屋のおっちゃん、こんなものを作るのは初めてだが片手鍋というものはある――と言ってたから安心していたんだが……。調理担当の先生に聞くと、片手鍋はあるがそれは丸底の、所謂北京鍋の系統らしかった。浅手平底のフライパンは初見だとかで、根掘り葉掘り聞かれたよ。……適当に誤魔化しておいたけどな。
……何でも地球の歴史を踏襲していると考えていたら、そのうち足元を掬われそうだ。注意しておいた方が良いかもしれん……と言うか、そうするべきだよな。
それは措いて軟化処理だが、前世じゃパイナップルやパパイアが定番だったんだが、さすがにそんなものは手に入らない。なので実家――こっちの世界のな――にいた頃は、専らタマネギと重曹を使っていた。こっち風に言えばセパとソーダだな。だが……こういうやり方も知られていないのか? 上流階級の貴族連は、最初から上等の肉を使うから知らないだけなのかもな。こっそり横目で見ていると、調理の先生は黙って頷いてたし……
ただ、焼き方でミディアムレアの事を口走ったのは拙かったかもしれん。こういう焼き方が知られているとしても、田舎育ちの俺がそれを知っているのは不自然に見えるかも。……ま、そん時ゃゼハン祖父ちゃんから教わったとでも言い抜けるか。
仕上げにフランベでもしてやろうかと思ったんだが、それはさすがに自重した。