幕 間 女将さんの相談
~Side ネモ~
俺が下宿している「フクロウの巣穴亭」は旅人や冒険者相手の宿屋で、町の住人相手の居酒屋と食堂も兼ねている。サービスが適正で料理も美味いため、王都では繁盛している店に数えられるだろう。
そんな宿屋の女将さんが、ある日俺に相談を持ちかけてきた。曰く――〝古くなったパンの利用法を知らないか?〟
俺の実家じゃ〝パンが余って古くなる〟なんて事は皆無だったし、そもそもパンを食べられる事自体が滅多に無かった。なるほど、王都ってのは不届きに贅沢なもんだと内心で慨嘆していたら、それが態度に表れていたのか、女将さんが説明してくれた。
「あー……確かに客商売だと、古くなったパンを出すわけにはいきませんか」
「そういう事さね。だからどうしてもパンが余るんだけど……ネモ坊は上手い使い方とか知らないかね?」
……と、言われてもなぁ……
古くなったパンの活用と言われてまず考え付くのは、砂糖を塗したラスク、卵液に浸して焼いたフレンチトーストだろう。だが、どちらもこの世界ではハードルが高い。
まず砂糖というのは高級品で、古くなったパンに気軽に塗せるほどの余裕は無い。
第二に、卵も同じような貴重品な上に、養鶏業が発達していないこちらの世界じゃ、季節商品扱いだからな。年がら年中使えるもんじゃない。……そう言やパンプディングってのもあったな。使えないのは同じだが。
それ以外の使用例って言うと……揚げ物用のパン粉か? けどなぁ……揚げ物料理自体があまり普及していない上に、食用油と薪を贅沢に使う。庶民相手の宿屋としては、ちょいとばかりかハードルが高くないか?
はてどうしたものかと考えていて、思い出したのがクワスの事だった。
クワスってのはロシアの伝統的な微醗酵タイプの飲み物で、トーストしたライ麦パンを砂糖や蜂蜜とともに水に浸け、ドライイーストなどで醗酵させて作る。醗酵の過程で炭酸やアルコールが生じるため、ビールともコーラともつかない飲み物になる。
現代のレシピじゃ砂糖を加えて作っていて、これを酵母が分解してアルコールや二酸化炭素に変えているんだろうが……糖分の入手が困難だった時代に、たかが庶民の飲み物に砂糖を使っていたとは思えないんだけどなぁ。古くは麦芽から作ってたそうだが。
もしも麦芽の酵素によってパンの澱粉を糖化し、これを酵母がアルコールに変えていたとすると……いや、パンを醗酵させて酒ができるのかどうかは知らんが……太古のビールの製法と共通する部分があるわけだ。黎明期のビールは、麦芽で作ったパンを水に浸して発酵させてたというからな。
だがまぁ、そんな事はこの際どうでもいいか。今問題なのは、古くなったパンを材料にしてクワスを作れるか――って事だからな。
糖質として麦芽を使うとか、蜂蜜か何かの甘味料を加えるとか、そういうふわっとした事を教えておけば、あとは女将さんが工夫するだろう。俺だってそこまで詳しいわけじゃないし。
……パンと酒の組み合わせで思い出した。確かポルトガルには、「疲れ馬のスープ」と呼ばれるもんがあったらしい。えーと……確か、何とかいう赤ワインに卵黄と蜂蜜を加え、これにトウモロコシの堅いパンを浸したもの……だったかな。
何つーか……古いパンの利用とかいう割にゃ、砂糖だの蜂蜜だの卵だのって、贅沢な材料を使ってるんだよな。女将さんの質問の趣旨からはちと外れてるかもしれんが……取り敢えず伝えるだけは伝えておくか。
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~Side 「フクロウの巣穴亭」女将~
「へぇ……古くなったパンを材料にねぇ……」
余らせたパンの始末に困って、良い知恵は無いかとネモ坊に訊ねてみたら、希望に添ってるかどうかは判らないがと断った上で、幾つかの料理を教えてくれた。確かに、余ったパンを使えそうじゃあるんだけどね……
「砂糖に蜂蜜に卵って……また、倹約なのか贅沢なのか能く判らない料理だねぇ……」
「俺も話に聞いた程度なんですよ。実際にどんな味になるのかまでは、ちょっと……」
まぁ、そうだろうね。どれもこれも、あたしら庶民にゃ敷居が高い。
けど……クワスとかいうのは、ちょっと試してみても好さそうだね。蜂蜜の代わりに水飴でも使うか……いっそ甘味は無しにして、香草か何かで味を調える手もありかもね。
寒い時期には上手くできないって言うけど、そうなったらそうなったで、「馬のスープ」とやらに切り替える手もありそうだしね。……何で馬ごときにこんなものを飲ませてやんのか判らないけど――蜂蜜を入れなくても、甘口のワインを使えば何とかなるんじゃないかね。
卵は……まぁ、あれば試してみてもいいかもね。