幕 間 弟の目線
~No-Side~
(やっぱり……まだ兄ちゃんみたいに上手くはできないなぁ……)
ネモが魔導学園入学のために故郷を発ってから一月足らず、ネモの四つ下の弟ネロは軽く溜息を吐いていた。残念さと少しの悔しさと……それから兄への賛嘆と、そんな兄を持つ誇りとを胸に。
ここはネモの故郷ウォルトレーン地方、国内最大の汽水湖であるタイダル湖の畔である。朝もまだ早いこんな時間にネロがやっているのは、以前には兄が行なっていた食糧の確保――有り体に言えばゲテモノ食材の採集であった。
(本当に……富士壷や亀の手が食べられるなんて……兄ちゃんはどこで知ったんだろう?)
前世のネモは――目つきこそアレだったが――共働きの両親に代わって妹の面倒を見る良い兄であったが、料理からスピンアウトしたゲテモノ食という悪癖を有していた。高価な珍食材を購う事はできなかったが、手に入るものはできるだけ調理して食べるようにしていた。無論、フジツボやカメノテを食べた事もあったのである。
岩場に固着生活をするため貝の仲間のように誤解される事も多いが、フジツボやカメノテは歴とした甲殻類で、味もどちらかと言えばエビやカニに近い。こちらの世界では食材として認識されていなかったため獲り放題であったそれを、ネモが調理して家族に振る舞って以来、ネモの家では――取り分が減ると困るため――人目を避けて、獲り尽くさない程度に採集してはスープの具にしていた。
カメノテはまだしも、岩にしっかりと固着しているフジツボを採集するのは、まだ八歳のネロには少し難しかったのだが……
(兄ちゃんだって同じころには採ってたんだし……しっかりやんなくちゃ)
ネモが前世の記憶を取り戻したのは十歳の時であったが、時折前世の知識の断片がぼんやりと蘇ってくる事はそれ以前から時々あり、フジツボやカメノテが食べられる事も十歳前に思い出していた。
あまり豊かとは言えない食卓を少しでも賑わせるため、また、食べ盛りの弟妹に廻した――まともな――食事の分を取り戻すため、ネモはこっそりこの手のゲテモノ食材を調理しては餓えを満たしていたのだが、ある時それを弟と妹に見つかって、家族に白状させられたという経緯があった。
母親は涙ながらにネモを叱った。――最初は情け無い、子供がそんな事を気にするものではない、不甲斐無い親を許してくれと。……その後ネモが調理したゲテモノを怖々食べてからは、こんな美味いものを独り占めしていたとは情が無いと。
斯くの如き経緯から、ネモの家族はゲテモノ食材をネモの調理で美味しく戴く生活を送るようになり、また、家族たちもそれら食材を見つけた時には採集し料理するようになった。……外聞が悪いという理由から、そして他人に知られたら自分たちの取り分が減るという、より切実な理由から、これらゲテモノ食材の事は家族内の秘密とされた。
それゆえに、ネモが王都へと旅立った後は、まだ子供であるネロが――目立たないように――独りでフジツボやカメノテを採集しているのであった。
一応、危険な魔獣が近寄って来ない遠浅の場所を選んではいるが、足場の悪い岩場はただでさえ危険である。ネモからも、両親や祖父母からも、岩場での採集は注意するようきつく言われているので、足場に注意しながらネロはフジツボやカメノテを回収していく。
(兄ちゃんはヘビとかも上手くつかまえてさばいてたけど……ぼくにはまだできないや。父ちゃんたちにまかせよう)
蛇を獲るという目的のためだけにナイフ投げに熟達した兄の事を、ネロは賛嘆と憧れを交えて思い出す。ネロにとって、美味しいものを持ち帰る兄の姿は、正義の体現であった。
(やいた魚のほねが食べられるなんて知らなかった。あっためたお酒にほねを入れたのは、父ちゃんと祖父ちゃんがちんみだってよろこんでたし……魚の目玉もおいしかったし……やっぱり兄ちゃんはすごいよなぁ……)
十歳になって前世の記憶を取り戻してからは、食材の確保に関してネモは一切の遠慮が無くなった。それまで捨てられるだけだった魚の頭で作った潮汁は、怖々食べた家族の喝采を浴び、日常の食卓に並ぶようになった。目玉を食べると頭が良くなるという事を言い出して、幼い弟妹にそれを優先して食べさせるようにしてからは、恨みがましい家族の視線が弟妹には少し怖かったが……
人の立ち入らない沼沢地に自生していた野生の米――しかも前世のジャポニカ種に近いもの――を偶然に発見してからは、ネモは大いなる熱情を持ってその栽培化を家族に説いた。年齢もあって半ば隠居を決め込んでいた祖父母が、それなら試しにと取り組んでくれた。最初のうちは沼地の水管理程度であったが、ネモが炊いた飯の味を知ってからは俄然本気になり、それまで食べていた雑穀を駆逐する勢いで食卓に上っている。
前世のジャポニカ種に似てモチモチしたタイプであったため、ネモは家族の口に合うかどうかを懸念していたのだが、何の問題も無く受け容れられていた。食感がどうあれ雑穀の団子よりは美味いという事もあったのだろうが、家族の皆がモチモチした食感に抵抗を示さなかったのも事実である。
尤も、この国の住民全員がそうかと言われると微妙なところであるらしい。新奇な雑穀と聞いて試食に与ったゼハン――ネモの母方の祖父――は、好みが分かれるのではないかと首を傾げていた。
それに加えて、田圃を作って栽培するのにはまだ至っていない試験段階であるため――と言うより、それらの名目で――これも家族以外には秘密にしている。
(あ……帰りにケンプを少し採っていかなきゃ……スープがおいしくなるもんね)
水路に繁茂して邪魔者扱いにされていた水草が、前世のコンブに近い種類だと気付いてからは、ネモはそれを干したものスープの出汁にするという秘術を母親に伝授しており、出汁を取り終えたものは魚醤で煮付けておかずにしていた。こちらは酒の肴に持って来いだと、父親や祖父に好評であった。
(やっぱり兄ちゃんはすごいよなぁ……)
家に帰った後は、手伝いの合間を縫って、兄から教わった魔力強化の訓練を妹と一緒にしなくてはならない。兄も【生活魔法】しか使えなかったが、兄の場合はその【生活魔法】でマッダーボアを焼き殺すのだ。長期休暇には帰って来て、学園で習った魔法を教えてくれると言っていた。それまでに、妹共々魔法使いとしての素養を高めておかなくてはならない。
覚醒後に使えるようになった【眼力】で、ネモは弟妹に魔術師としての素養がある事、少なくともその可能性がある事を見抜いていたが、馬鹿正直にそう告げるわけにもいかないので、自分の弟妹なら同じ素質があるかもしれないと言い包めて、魔力を操作する訓練をさせていた。……と言っても、ネモの所謂【生活魔法】を練習させるだけであったが、この世界で態々【生活魔法】を練習するような酔狂人はいないため、一種の秘密訓練のようになって弟妹たちを面白がらせていた。
その甲斐あってか弟は実用――註.ネモ基準――レベルの、妹はその一歩手前の【生活魔法】を使える段階に至っていたが、何しろ二人の目標である兄の【生活魔法】は桁外れであるので、まだまだ一人前にはほど遠いと感じていた。
……学園の教師陣が聞いたら頭を抱えそうなくらい立派な誤解である。
(もっとがんばんないとなぁ……)
幼い弟妹にとって、ネモは憧れの対象であると同時に、偉大なお手本でもあったのである。
ネモの【生活魔法】については第五章で。