第三章 学園生活始動 2.オリエンテーション(その2)
~Side アスラン~
エルが僕以外の他人と話すのは珍しい。従者として僕の傍に付きっきりだという事もあるが、乾燥地の民であるエルの見かけや人を寄せ付けない雰囲気が、話しかけるのを躊躇させるようだ。
だから――そんなエルに何の気負いもなく話しかけた彼の事が、少し気になった。
ネモ。ユニークスキル持ちの可能性があるという事で学園に入学してきた、平民出身の特進者だ。入寮早々に同室者とトラブルを起こして退寮になった、クラス一の有名人でもある。尤も、あの騒ぎは同室の者――確か、カイズとかいった筈だ――が責めを負うべきだという事で退学したが、もう一方の当事者であるネモにも何らかの処分を与えるべきだという意見が出たため、「平等」に彼にも処分が下ったのだという話だった。
――馬鹿な話だ。そういうのは「悪平等」というものだろうに。言いがかりをつけられた被害者が加害者と同列に罰せられるというなら、法を信頼する者などいなくなる。為政の側に立つ者が、そこを履き違えてどうするというのか……
ともあれネモ君は黙って処分を受け容れ、粛々と寮を出て行った。今は学園外の宿屋に寄宿しているらしいが……
そんな彼が僕の親友に話しかけたのだから、気にならないわけが無い。こっそり耳を欹てていて驚いた。学園の教授並みの知識を、事も無げに披露しているとはね。平民出身だと名告っているが、本当のところはどうなんだろう。ひょっとして彼も、僕と同じように「わけあり」の境遇なんだろうか。
「興味深い話をしているみたいだね、エル」
「あ、アスラン様、申し訳ありません」
気になったので二人の間に割り込んでみた。
「ネモ君だったかな。僕はアスラン・リンドローム。一応は彼の主人という事になっているけど、彼は僕の大切な友人でもある」
「……ネモだ。宜しく」
意外に口が重いな。エルとは気安く話していたのに。まぁ、エルの方は話に興味を引かれつつも、無警戒ではいられないみたいだけど。
……僕がネモ君に興味を引かれたのには、もう一つ理由がある。
あのエルが背後を取られるなんて、久しぶりに見たからね。
エルはああ見えて暗殺と、それを防ぐ技術を身に付けている。その力量は、何度もエルに窮地を救われた僕が一番能く知っている。
だから、そんなエルに警戒もさせず、するりと後ろから近寄ったネモ君の事が気になった。
そうして注意していてまず判ったのは……ネモ君が普段から足音を立てずに歩いているという事だった。
一見したところ暗殺者の習性のように思えるけど、少し考えたらおかしい事が判る。普段から忍び足で歩いていたら、自分が泥棒か間諜か暗殺者だと公言しているようなものだ。真っ当な間諜や暗殺者なら、そんな馬鹿な真似は決してしない。勿論、泥棒も。
だから……思い切って本人に聞いてみた。そうしたら……
「……あぁ、魚や獣に気取られないように歩くのが、習い性になってるからかな」
「魚や獣?」
「あぁ。俺の故郷は湖沼地帯でな。漁業が盛んなんだよ。俺みたいな子供は漁に出る事は許されないけど、雑魚を捕るくらいは普通にやってたからな。猟師の手伝いで森へ入る事もあったし」
【狩りの心得】というスキルを持ってるそうだが……忍び足が習い性になるほどとは、一体どんな危険な獣が――と言いかけたら笑って否定された。小さな動物や魚ほど、音や振動に敏感なんだそうだ。……言われてみればそんな気もする。
「バッタなんかもな、こっそりと近寄ったつもりでも、手が届く前にさっと飛んで逃げるんだ。網無しで捕まえるのは、やっぱり難しくてな」
最初は口の重い印象を受けたが、昆虫や小動物を捕まえる話になると、一転して熱の籠もった語り口になった。エルも狩りをしていた時の事を思い出すのか、二人してその手の話で盛り上がっている。
それにしても……僕はそういった狩りの経験が少ないのは自覚してるけど……ネモ君の故郷では、バッタを捕るのに投網なんか持ち出すんだろうか?
この世界にはまだ捕虫網というものは存在していません。なので、ネモは自作した捕虫網でバッタを――食材として――捕っていたわけですが……自作したその網の事は綺麗さっぱり忘れていたりします。