第二章 巻き直しの新生活 3.審判者/番人
「フクロウの巣穴亭」というその宿屋での寄宿生活は、想像していたよりもずっと快適だった。
生活の質という意味では学園での寮生活の方が上なんだろうが、身に余るほどの贅沢な生活、それも秘密を抱えた上での相部屋となると、気の休まる時が無いんだよ。リラックスできるこの宿屋の方が何倍もマシだ。待遇も実家での生活と大差無いか、少し良いくらいだしな。
昼食だけは学園の食堂で摂るが、朝飯と晩飯は宿屋でお世話になる事にした。旅人や住民相手の食堂も兼ねているだけあって、ここの食事は質・量ともに満足できるレベルだ。味付けも俺が馴染んできたものに近いし、何なら外食も自炊も構わない。寮だとこっそり自炊なんて真似はできなかったからな。俺にとってはありがたい話だ。
一つ不満があるとすれば、冒険者だの何だのの荒くれどもがやって来るため、酒が入るとしばしば乱闘騒ぎが起きる事だろう。二階にいても聞こえるんだよな。けどまぁ、あの連中はあの連中で、酒でストレスを発散しているんだろうから、女将さんたちが黙認している以上、俺がどうこう言える立場じゃない。
……だから、あの時の事は俺の失敗だったと思う。
その晩、食堂で夕飯を摂っていると、例によって酒が入った上での乱闘騒ぎが発生した。いつもなら騒ぎに巻き込まれないように距離を取るんだが、この時は生憎と俺が食べているすぐ隣で喧嘩騒ぎが持ち上がった。
そのせいで……俺が食べていた料理の皿が、引っ繰り返された。
(「――お、おぃ」)
(「――ま……ちょっと待て……」)
……俺が育った故郷は湖沼地帯で、水産物は相応の漁獲があったが、主食となる穀物や芋類の育ちは良くなかった。そのせいでみんな苦労していたもんだ。
(「だ、だから、ちょっと待って……」)
……魚にしても村人総出で船を出したり網を引いたりして獲るわけだから、好きなだけ食べる事はできない。育ち盛りの弟や妹に食べさせてやりたいから、俺は蛇とか虫とかをこっそり獲って蛋白源にしていた。前世の記憶を取り戻してからは、料理の幅も広がって、結構満足できるものに仕上がったけど。それでも、料理の一皿一皿、食材の一つ一つは、父さん母さんが汗水垂らして確保してくれたもので、粗末に扱っていいものではないという事は、骨身に沁みて解っている。
(「い……いや……俺たちも悪気があったわけじゃ……」)
……なのに……この駄目大人どもは……酒に酔って暴れた挙げ句……汗水垂らして収穫された食材を……女将さんたちが心を込めて作ってくれた料理を……下らん喧嘩騒ぎで引っ繰り返しただと?
「「――ヒッ!!」」
俺がじろりと睨むと、駄目大人二人は互いに抱き合って震えていた。
他のお客さんたちは、既にこの場を離れている。喧嘩騒ぎに巻き込まれないようにとの配慮だろう。
「いい大人のくせしやがって……食べ物を、粗末にするんじゃねぇっっ!!」
「「す、すみませんでしたぁっっ!!」」
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~Side 「フクロウの巣穴亭」女将~
いやぁ、あたしもこの商売始めてから長いけど、あんな子供は初めて見たね。
最初に学園から頼まれた時には、寮での喧嘩騒ぎに巻き込まれた少年を預かってくれとだけ言われんだ。本人に落ち度は無いんだけど、喧嘩両成敗の建前から、このまま寮内に留めておくのは拙い――そう言われてね。喧嘩相手の子がどうなったのか少し気になったけど、乱暴するような子じゃないからと言われて引き受ける事にした。何だかんだで学園はお得意様だしね。
初めて会った時の印象は、随分と礼儀正しい子だっていうものだったね。
前髪を長めにして目が隠れているのと、子供にしちゃ体格が良いのを別にすれば、取り立てておかしなところも目立つところも無かったよ。うちの食事にも文句を言わないし、部屋は綺麗に使ってくれてるしで、常連の冒険者どもよりずっとありがたいお客だったね。
――そんな印象が一変したのはある晩の事。
馬鹿が酔って騒いで掴み合いになった挙げ句、あの子の料理を引っ繰り返しちまったのさ。
そこからは見物だったねぇ……
十かそこらの子供が、禍々しいような殺気を放ちながら、騒ぎを起こした大人二人を黙って見下ろしてるんだから。
どうも食い意地が張ってるとかじゃなくて、食べ物が粗末に扱われるのが我慢ならないって感じだったね。実際にそんな事を言ってたみたいだし。あまり裕福な家の出じゃないみたいだけど、身分や家柄に関係無く、食べ物は大事にするもんだ。あたしもあの子に賛成だね。
喧嘩騒ぎを起こした馬鹿もちっとは知られた荒くれなんだけど、あの子の眼力にゃ耐えられなかったみたいだね。抱き合ってガタガタ震えてたから。まぁねぇ、離れた位置にいたあたしたちだって、あの怒気には身が竦んじまったくらいだからねぇ……あの子の怒りをまともに食らった二人は、そりゃ堪ったもんじゃないだろうさ。ま、良い薬ってやつだね。他の客? 巻き添えになるのを恐れて、さっさと端っこに逃げてたよ。流れ弾でもあんな視線を浴びたくはないからね。
騒ぎの後、柄の悪い連中の足は遠退いたけど、その代わりに騒ぎを嫌うお客さんが増えたからね。うちとしちゃあ文句は無いさ。あの子は頻りに恐縮して謝っていたけどね。
そうそう、その一件で、あの子にピッタリの二つ名が付いたのを知ってるかい? それはね……
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~Side ネモ~
あの騒ぎの後で女将さんから、俺に新たな二つ名が付いたと教えてもらった。「食堂の審判者」、あるいは「食卓の番人」というらしい。
――俺は悪くない。