まさかの講演の講師
テスト期間が終わり、カフェで会わなくなってしまった衛と奈緒美。
作者も意外な場面で再会します。
「──と、色々と大変なこともありますが、今、皆さんが頑張って勉強して遊んで経験して、それはいつか必ず活きてくる。それが企業というものです!だから皆さんも希望を捨てずに夢を拾い続けてくださいね」
ご清聴ありがとうございました!と最後に締めくくられた。マイクを使わず、透き通る大きな声で。
きっともう声が疲れているだろうに、それでもその後質疑応答の時間はしっかりと流れ、今日の講師はそれでもニコニコと笑顔を隠し切れんばかりに対応し、今度こそ完全に幕が下りた。
「大谷、ちょっと」
ホールから戻る途中、大谷衛は先生に呼びつけられて振り返った。
「なんですか」
「実は音響機材の調子が突然悪くなってしまったじゃん。一応業者は呼ぶつもりだけど、確認だけしてもらいたくて」
「白井先生がいらっしゃるのでは?」
「確かに白井先生は別の学校で演劇部の顧問をやっていらっしゃったし、機材の使い方はわかる。だからもちろん先生もいらっしゃるよ。でも君もぜひ手伝いをしてほしいんだ。うちには演劇部も機材に詳しい人もいないからね」
そこまで言われたら、衛も言い返すことはせずに頷いた。
衛の学校は吹奏楽部や合唱部は強いが、音響機材をよく使用する部活がなかったため、いつも詳しい衛が何かと駆り出されていた。仕方がないとはいえ、面倒極まりないとため息をこっそりついても誰も叱らないだろう。はぁ、面倒くさい。
そして再びホールへ戻る。学校にホールがあることはさて珍しいのだろうか、他の学校をよく知らない彼にはわからないことだ。ただ言えるのは──
(やり方がわからないなら使わなければいいのに)
そういうことだ。
しかしそんな考えなどすぐにどうでもよくなった。そこにはまだ講師がいて、衛は驚いた。てっきり移動したと思っていたのだ。
どうやら彼女自身、バテてしまったのか疲れてしまったのか一歩も動けないようで。ゴクゴクとスポーツドリンクを飲んでいた。そんなものなぜ用意してあるんだ。
だが学校も学校だ。講師とはいえ学校の客ではないか。なぜ彼女のことを配慮して中止にしなかったのか。幸い音響の調子が悪くなったのは終盤のほうだったが、とはいえ見よあの哀れな姿を。エアコンが効いていると言ってもずっと座っている生徒や教員たちが感じる気温が違うと気づかなかったのだろうか。それでも暑かったらしく顔は赤く、喋りすぎたのか笑う彼女の声はもう掠れている。
衛は気づくと方向転換していた。正直そのことに自分でも気づいていなかったし、白井先生に呼ばれていることも知らなかった。気づいたのは彼女の瞳が彼を捉え、その目が大きく開くすぐ横で、汗が額から流れていると認識したときだった。
「え!?どうしてここに──」
「しっ。喋らないで」
衛はポケットからハンカチを取り出してその汗を拭いた。未だ彼女、雨野奈緒美は動揺しているが、衛は大して気にしていないそぶりをしてみせた。
奈緒美は我に返ったのか、慌てて衛の手を掴んで止めた。その掴み方も優しくて、衛はスッと目を細めた。
「ハンカチ汚れちゃうじゃん」
「喋っちゃダメって言ったでしょ。聞こえなかったの?」
「大谷!講師に対してなんだその態度は!普段からおまえは目上の人に対してため口を使うのか!」
まぁ、それだけ疲れたら聞こえづらくもなるか、と続きを言おうとしたのに、隣から罵声を浴びせられ遮断された。生徒指導課の柳原先生だ。
「やめてください。講師が疲れているんです、そんな大きな声を出さないでください」
「誰のせいだと思っているんだ!おまえが無礼だからだろうが!」
「こんな暑い日に彼女を立たせてマイクも使わせず大勢の前で声を張らせたのはどなた──」
「待って、衛くん。私が手で先生に『続ける』って合図したの」
「別にあんたの心配なんかしてない。どっちの方が無礼かって話だから。ねぇ、それより喋らないでって言ったよね。喉痛めたこと、わかってる?」
先生方は無理そうなので、僕が講師を保健室へ連れて行きます。そう言って衛は奈緒美の腕を肩に回して立たせた。先生は「無理させてはいかん」と言っていたが、それよりこんなところへ留める方がどうかしている。衛は先生の話を聞かずに彼女をその場から離した。
「企業の代表として、この学校に講演しに来るとは思わなかった」
衛はポツリと言葉をこぼすように言った。ベッドで横になる奈緒美は恥ずかしそうにしていて、散々言い聞かせたおかげか返事はしない。
「ほら、これ。舐めて」
衛が差し出したのは、ひとつの飴玉。それに何を思ったのか、奈緒美は目を見開くと、ふふっと笑った。いつも口を開けて笑う彼女の珍しい笑い方だ。
(…………なんか、変な気分)
「何で笑うの」
「喋っていいの?」
「……まずは舐めて」
「ふふっ」
今保健室の先生は、「ちょっと席を外すから、お知り合いなら任せてもいい?」と言って保健室を離れている。本当にこの学校はおかしなとこだ。来るとこ間違えた。
まぁでも自分がいなきゃ今頃彼女は救急車の中だろうな、とこっそり思う。先生に呼び止められる前、ホールを出るにこっそりエアコンの温度を下げておいたのだ。急に体が冷えて風邪をひかないように、少ししか下げられなかったが。
少し時間が経って喉の調子が良くなったのか、奈緒美が話し出した。
「会えると思わなかった」
「俺の学校だって知ってたのに?」
「この歳で、それも学校の講師をするなんて思ってなかったよ。それに何百人もの生徒がいるのにそのうちの一人に会えるなんて、まさに奇跡としか言いようがない」
「俺と会うことが奇跡なら、マイクの調子が悪くなるのはもっと奇跡だ」
「ははっ、本当にね」
一旦唾を飲み込んだのか、手を口に当ててゴクッという音を小さく出す。そして衛の方に、奈緒美は顔を向けていった。
「衛くんって飴とか持ってるんだね」その顔はいたずらっ子のように笑っていた。「意外だな」
「はあ!?違うから。教室へ戻る途中でいつも飴を持ってるやつから取り上げただけで──」
「あ、じゃあこれ衛くんのなんだ!ごめん、貰っちゃって」
「別にそれは元々あんたのために……あっ!」
しまった!という顔をしても既に遅い。奈緒美はたぶん今日一番の驚いた顔を見せたのではないだろうか。それでも心底嬉しそうに目を細められて、衛はバツが悪くなって顔を逸らした。
「衛くん」
「…………何」
「本当に久しぶり。会いたかった」
「っ!?」
そんなことを言われて、誰が一体平然としていられるのだ。衛も当然、例外ではない。息が詰まるのを感じて、情けないことに眉尻が下がりそうで、思わずシーツをぎゅっと掴んでしまった。
(…………大人のくせに。社会人のくせに。何馬鹿正直に言ってるの。いつもいつも、会いたかったとか嬉しいとか言っちゃって──)
たかが1ヵ月。テスト期間が終わってから会わなくなってたったそれだけ。
──俺も、会いた、かった…………
馬鹿みたいに心臓が言うことを聞かず動いていて。それを見て見ぬふりをするには、情けない言い訳を並べるしかなくて。そんなのプライドが許さないから、あんたも同じであればいい。そう思って──
「ふがっ!」
衛は奈緒美の鼻を摘まんだ。
「……はっ」
「笑った、酷い!私患者なのに」
「鼻を摘まんだことは怒らないの?」
「それもダメ!乙女の鼻を摘まむ悪い手はこれか!」
避難しても楽しそうに笑う奈緒美。そして衛もやはり楽しくて、ここが学校だという事実を恐らく忘れていたのだと思う。
──どさくさに紛れて彼女が気づかないうちにその髪にキスをしたのは。
その事実はきっと、衛以外には誰も知られない。
読んでいただきありがとうございます!
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本編はもうこちらのシリーズに加えようかなと思い始めたのでもしかすると1話に食い込むかもしれません。
次はここで書ききれなかったことを書きたいと思います!