表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

桜の古木の花咲く前の下(推理合戦後編)

 「ブラボー!」

 舞はスタンディングオベーションで片山を称えた。

「今のシーンなんか、ホント次回作で使いたくなっちゃうじゃない。」


 すると「そうかねぇ?」と純子が鼻を鳴らした。

「今のセリフまんまだと、思い入れ過剰な上に気障きざと取られるきらいが無きにしもあらずだ。まあ片山くんとしては、舞の覆面男案件に対する複雑な感情ををケアする必要を感じて、少しサービスしたんだろうけど。彼本来の持ち味とは、ちょっとテイストが違う気がする。」


 舞は「それの何が悪い? 大衆作品ではその過剰な演出をヒトは”劇的”と評するんだぜぃ!」と退けた。

「私だって里美と同じく台本書きのはしくれだ。その創作者としてのプライドをくすぐってくれる洒落しゃれた演出を、好ましいと思わないでおられようか。たとえ根底には、たぶん上手に言いくるめる目的からなんだろうな、と頭の片隅をかすめるモノが有ったとしてもだ。」


 そして「片山君、悪いコトは言わないから今すぐこんな性悪しょうわる女とは手を切って、私の相棒になりなさい。純子と違って私なら、頼まれたらこっそりパンツくらい見せてあげる。眼球攻撃もしないのを確約するから。」とリクルートする。


 けれど片山は「たいへん魅力的な雇用条件ではありますが、現在の職場に満足しているので、謹んでお断りさせて頂きます。」と頭を下げた。

「そもそも彼女との間には相互確証破壊のちぎりが有るんだから、裏切るなんて不可能ってことで。」


 「そう来ると思った。」と舞は天を仰いだ。「性悪女と古狸。”割れ鍋にぶた”の理想の組み合わせだもんねぇ。」


 その上で「今のはウソ。」と破顔一笑はがんいっしょう

「純子のひねりのいた誠実さも分かってるし、片山君のえて分かりにくくした優しさも同じくね。」


 「そりゃどうも。なにやら面映おもはゆい感じだぜぃ。」と純子が頭をいた。

「ただ私には、岡崎さんの意図が”根底にどんな想いがあったにせよ”舞に対しての思いやりに欠けてる気がしてね。」


 「アリガト。」と舞は微笑む。

「でも私と里美との間の事は気にしなくていい。私も分かっているから。たぶんアナタと片山君の出した答えのどちらもが、正解。どっちの比率が高いのかは……里美に訊いても教えてくれないだろうけどね。」


 「グラデーションが掛かっているというよりも、人の頭の中って常に揺れ動いているから、その瞬間瞬間で答えは変わるのかも知れないよ。」と純子も笑みを返してきた。

「まるでシュレディンガーの猫。」


 「この一件、次回作として私に書かせて欲しいんだ。一生のお願い!」

 舞は思い切って二人に頭を下げた。

「舞台は学内、登場人物も生徒だけ、衣装・小道具は用意する必要がない! 脚本ほんも出来上がったも同然だし。」


 「岡崎さんの最終公演に対する『返し歌』にもなるしね……って、ダメダメ!」

 純子はノリ・ツッコミで応酬おうしゅうした。

「いったい何回目の”一生のお願い”だと思ってんのよ。」


 「僕も岸峰さんに賛成。」

 片山が小さく右手を挙げた。

「岡崎さんがしたのと同じように、岡崎さん・村上君・覆面男の三人にだけ公開するっていうのなら、返歌へんかとして悪くないのかも知れないけれど、映像作品に仕上げようと思ったら、撮影・音声・照明とか多数の人間が関わってくることになる。どうしても、って言うのなら脚本だけ仕上げて岡崎さんにプレゼントしたら良いんじゃない?」


 「そうそう。」と純子も片山案に賛同した。

「ただしその時は、ワタシと片山くんの存在ははぶくのよ。全部、舞ひとりで推理したことにしてね。当然、相互確証破壊サークルに触れるのもナシ。」


 「くうううう……やっぱ断られたか! 無念むねんなり。」

 舞は思い切り悔しがってみせた。

「もう題名も頭に浮かんでたのに。『青春ミステリ 桜の古木の花咲く前の下』って。」


 「坂口安吾さかぐちあんごのパクリだね。ネタ元は『桜の森の満開の下』だ。」


 ふんふんと頷く片山に「そこはインスパイアかリスペクトと言って欲しいね。」と舞は反論。

「題名こそ似ていても内容は全然違ってるんだから。……まあ事件部分は里美のアイデア、推理部分は主に片山君からの剽窃ひょうせつだけどさ。」


 「自分から剽窃と言い切っちゃったか。しかしそれなら盗用元に、村上君と覆面男コンビも加えておかないとマズイって。無視したら化けて出てくるよ。なんてったってミステリとして成立するのは、単純な恋愛モノを奇妙な変態事件に昇華しょうかさせてしまった彼ら二人の涙ぐましい影の努力が有ってこそでしょ? それが無かったら、ミステリ要素皆無の単なる学園ラブコメ……いや、コメディにすらならないわけで。」

 純子はケタケタ笑いながら指摘し、続けて

「でも敬意を示す先の『桜の森の満開の下』って、どんな話なの? 私、安吾は『不連続殺人事件』しか読んだことが無いんだ。」

と質問してきた。


 「三行でまとめると」と片山が説明役を買って出る。

「粗暴な山賊が・鬼に変化へんげする美女を・絞め殺すハナシ。」


 「三文節かよ! 三行にすらなってネェ!」と舞は噴き出した。

「満開の桜の木の下の、不安と孤独と虚無きょむとをつづった耽美たんび的な短編小説だよ。青空文庫に入っているから目を通してみたら? 読み終えるだけなら時間は取らない。映画にも舞台にもなっているけど、円盤探すよりズッと手っ取り早いから。」


 純子にはそう答えを返してから

「そういえばあの日、大高桜の下を掘っている里美を観ながら、梶井基次郎の『櫻の樹木の下には』の冒頭部分を思い出していたんだよねぇ。」

述懐じゅっかいした。

「なんで『桜の森の満開の下』の方は、頭に浮かびもしなかったんだろ?」


 「それは大高桜がだ咲いていないからじゃないかな。」と片山が即座に反応した。

「どちらの作品も桜から来る憂鬱ゆううつとか虚無とか死生観なんかがモチーフなわけだけど、梶井基次郎が『養分を吸い上げる根っこ』に注目しているのに対し、坂口安吾は『舞い散る花びら』に視線が寄っている。加えてその時水口さんが、根っこ近くを掘っている岡崎さんを見守っていたのを加味すれば、思考の流れ具合は明白なわけで、花吹雪を連想しなかったのは自然なことだろう。」


 「片山君って……実はサトリのバケモノなんじゃないの?」

 舞は少しだけ背筋が震えた。

「言われてみればその通りなんだけど、いくらなんでも答えを導き出すのが早過ぎ。」


 「そうかなぁ?」と純子は首をかしげた。

「通学路の並木だって、ようやく少しつぼみふくらんだだけだし枯れ木に近い外見じゃん? 満開の状態を思い描くのが難しいというのは私にでも分かるよ。それに片山くんってボーっとしているように見えて、意外とセッカチなんだよ。だから答えが明々白々な質問に対しては、速攻でケリをつけたかったんじゃない?」

 そして「『桜の森の満開の下』を読んでなかった私には、また片山くんに先を越されてしゃくだけどさ!」とウインクした。

「既に読んでた舞は論外ね。」


 「此奴こやつ、相棒をバケモノ呼ばわりされて腹を立てたものとみえる。」

 舞は渋面しかめっつらを作ってみせる。

「じゃあ代わりに大高桜が満開になったらその下で、『新調 桜の古木の満開の下』を撮ろう。現代劇に変えるけど、クライマックス以外の部分はナレーションを多用して。ストーリーは安吾の小説に沿った感じにするか。」


 「良いんじゃないかな。先行の商業作品が参考に出来るし、そこに水口さんの新たな切り口とか解釈を加味すれば面白い作品に仕上がりそうだ。ただ必要経費が膨らみそうなのが心配ではあるけどね。少しくらいなら僕もカンパするよ。お年玉の残り分。」


 片山の言葉を聞いて「ああ良かった。片山君がサトリのきみでないことが確認できたよ。」と舞は微笑む。

「頼み事をしたいのは”そこ”じゃないから。」


 「それなら彼に代わって、サトリの姫が答えよう。」

 純子が怖い声を出した。

「白目舌出しの絞殺死体なら、もう二度とやらないよ。何回言ったら分かるかな! 全くもう……」


 「お願い! これで本当に最後にする!」

 舞は両手を合わせてひたいが膝に着くまで頭を下げる。


 「だめだめ、その手は桑名くわなの焼きはまぐり。」

 純子は古い地口じぐちを引用して、鼻であしらった。

「集客がどうとか言うのなら、次からは私に頼まず舞自身が演じなさい。なんてったってせても枯れても『ミス大高』なんだから。これまで以上に大当たりするのは間違いない、ほんとは最初からそうすべきだったんだよ。」


 「出来るんだったら、既にやってるって。」

 舞はグイと身を起こして反論する。

「監督も元々はその心算つもりで私を映研に引っ張ったみたいだし。でも役者をやってみて分かったのは、自分が決定的に裏方気質うらかたかたぎだってコト。ストーリーを練るのや絵コンテ書くのにならパッションを総動員出来るけど、表に出て演じること・人から観られることには虚無しか感じないんだ。……実を言うと、私はコンプレックスのかたまりだからね。出所不明なミス大高なんかに選ばれても迷惑なだけ。」


 「ミス大高やミスタ大高って、元々は写真部と新聞部有志とが学祭向け話題作りの裏企画として始めたものらしいよ。日本の高度経済成長期くらいには全国で流行はやってたみたい。今では水口さんの言うように企画者本体が地下に潜ったというか、モヤッとしたものに成っているけど。流れてくるのも選考基準が分からない結果だけだしね。」

 片山がふわっとした口調でコメントした。

「それでも今も、自分が選ばれたいという人はいる。……水口さんや岸峰さんみたいに迷惑だなって感じる人とは違ってね。主催者が分からなくなってしまったから、立候補することが出来なくなってしまったのと同じく、出場辞退を申し出ることも出来なくなったわけだ。公式企画として存在させていた方が良かったのかもね。」

 片山が口にしたのはそこまでで、舞のコンプレックスが何かについては質問もせず、言及もしなかった。また、ミス大高の現在の企画者についても同様に。


 「私が、地下に潜ってからのミス・ミスターの企画を実行しているのが誰かを当ててあげるとしようか。誰かさんは言い出し辛いみたいだし。」

 純子が目をつむって腕を組んだ。

「それで利益を得るのが誰かを考えればいい。実に簡単な事だよ。歴代映研の監督だね? もしかしたら昔と同じく写真部なんかも絡んでいるかも知れないけれど。でも主軸は映研のはず。ミス大高が出演するとなると、確実に話題性が上がるわけだから。」


 ふぅ、と片山が溜息を吐いた。

 まるで『今ここで言わなくてもよいものを』と主張しているかのようだった。

 けれど純子は構わず先を続けた。


 「今では舞、アナタも選考に一枚噛んでいる。そうでなければ私が準ミスに選ばれる道理が無いんだ。」


 「純子は本当にクレバーだし本当に容姿端麗。私のあこがれなの。最初からアナタがミス大高に選ばれるべきだったのよ。準ミスではなくてね。」


 「ようやくゲロってくれたか、我が友よ。」

 純子が舞に向かって肩をすくめてみせた。

「監督さんはどこかで舞の発するオーラを見て『このだ!』って確信したんでしょう。それは新入生オリエンテーションの時だったのかも知れないし、部員募集の勧誘活動の時だったのかも知れない。目が肥えている自信があったから『他の部との掛け持ちでもいいし、客演という手もある』と多少強引にでも、舞から少なくとも連絡先か所属クラスは聞き出した。」


 「里美と二人で文芸部に入るか演劇部に入るか迷ってたんだよ。クラスの自己紹介の時に、互いに小説好きだって分かったから。」

 ――こうなってしまった以上、隠していても仕方がない。

 舞は腹をくくった。

「二人とも物語を読むのもだけど書くのが好きだったからね。でも文芸部に入っても、身の回りの少数の人にしかなかなか作品を読んではもらえないじゃない? それに比べて脚本だったら少しは多くの人から観てもらえるのかなって。うちの学校の演劇部は、戯曲集に載っているような出来合いの脚本じゃなく、毎回新作をやる伝統があるみたいだったし。」


 「二人とも先輩を押し退けて、自作を舞台にかけてもらえる自信があったってことだね。うん、そのくらいの気概きがい自負心じふしんとが無いと、物書きとは言えないからね。そこは分かる。」

 純子は舞の言葉に頷いた。

「しかし二人一緒に一つの部に所属してしまったら、どうしても困ることが出てきてしまう。」


 「そう。二人一緒に演劇部に入ったら――二人して先輩の作品より凄い物を書き上げることが出来たとしても――どちらか一方のシナリオしか、選んではもらえない。」

 舞はマイリマシタと微笑みを作る。

「だから脚本書きは諦めて、文芸部にしようかって、ほぼ結論を出してたとこなの。今では『小説家になろう』みたいに外部への発表の場はあるわけだから。」

 そして「だって部内の選考で自分の生み出した作品が落とされたら、絶対に嫉妬が湧くし相手を憎く思ってしまうのは避けられなくなる。相手の作品の素晴らしさを正当に評価することが出来ていたとしても。」とささやくように付け加える。

「そんな時に、また監督から声を掛けられたの。」


 「なんだ、そんな事で迷っているのか。優秀なシナリオライターなら我が部も演劇部と同じく喉から手が出るほど必要としているぞ? 書きたかったら我が映研で書けばよいじゃないか! キミにはオーラが有るから女優としてガンバって欲しいのは山々だが、脚本書きも兼務するというのはどうかな? 良いシナリオだったら積極的に採用させてもらうとしようじゃないか。それならば異存はあるまい。キミは我が部で、友人は演劇部で、それぞれ思い切り腕を振るえば良いのだ。どちらの脚本作品がより高い評価を勝ち取るか、公開した折の評判で比較することも出来るであろうし。」

 そんなふうに誘われたんじゃない? と純子は優しく問いかけてきた。

「『水口舞がミス大高に選ばれた』という噂が流れ始めたのは、その前後。たぶん後だと思うけど。」


 舞はこくりと頷く。

「そして『スゴイじゃないか。ミス大高だぞ。』と監督は言ったの。『キミが出演すれば、その作品は必ず大当たりする。映研作品は演劇部の舞台より、より高く評価されるってことだ。』ともね。」

 舞は自嘲じちょうの微苦笑を漏らす。

「同じ脚本書きの立場に立つと思ったら、里美には負けたくなかった。ドーピングも同じだとは感じながらもね。良い作品を創るのが、里美にも自分にも第一義だというのを踏まえた上でも。」


 「人気アイドルや俳優を使えば動員数はある程度見込める。それが社会的事実なんだから、監督さんの目論見もくろみあながち外れてはいなかった、ってコトね。だから舞も”一度は”乗る決意を固めた。脚本を書きながらも、学園アイドルとして女優をやってみることを。」

 乗り掛かった舟とばかりに続ける純子を「ハイ、そこまで。」と交通整理中の警官のように片山が制止した。

「これ以上続けたら、水口さんはコンプレックスの事を話さなければいけなくなる。僕たちにはそれを聞く権利も義務も無い。」


 舞は片山のセリフにフッと笑いを誘われた。

――「権利」はともかく「義務」とはね。分かってらっしゃることだ!

「いや話すよ。だってココは相互確証破壊サークルでしょ。外に秘密が漏れる気遣いのない場所。地面に穴を掘って『王様の耳はロバの耳!』って叫ぶのと同じじゃん。」


 「よく言った。どうか御存分ごぞんぶんに語り尽くされませ。骨は拾ってやるほどに。」

 純子は重々しく頷いた。

「今までなんじから幾度いくどむごしかばねとされてきたわれが、身を入れて聴いてしんぜようぞ。」


 「足が臭いんだよ! 足だけじゃなくわき矢鱈やたらと臭くなるんだよ!」


 舞のヤケクソ混じりの告白には、さすがの純子も驚いたようだった。

「はい?!」


 「訊き返さないでよ。メチャクチャ恥ずかしいんだから。」

 舞は泣き笑いで応じる。

「もともと私は汗っかきで脂性なの! でもそれが演技をするとなると――そして多くの人に見られるんだと考えると――信じられないくらいに、下着も靴下もビチャビチャになるほど汗がでちゃうの! ブラウスだってベチャっと張り付いて、雨の中を走ってきたみたいになっちゃうし。おデコからはボタボタしずくが垂れるし。」


 「舞ってそんなに緊張するタイプだった?! ……どちらかといえばタフで自信満々『プレッシャーでも何でもドーンと来い!』な人間だと思ってたんだけど。」

 今度は純子が謝る番だった。深々と頭を下げ

「ゴメン。よく知ってるつもりで、全然気が付いていなかった。」


 「頭、上げなさいよ。アンタの言う通りなんだから。ただし撮影カメラの前に立った時以外には、ね。」

 舞はこれ以上は親しい友――加えて一度は恋い焦がれた相手――を責めることが出来なかった。

「プレッシャーを感じたりナーバスになった時にでも、パフォーマンスを落とさない自信はあった。入試や定期試験の時なんかはむしろ、緊張が頭を冴えさせて良い結果を出すことがあったくらいだし。汗をかくといっても、普段なら普通の汗っかきレベルでしかなかったからね。制汗スプレーを使えば、なんとか一日くらいなら保つ程度のね。だから撮影テストでカメラの前に立ったとき、全身から脂汗をしたたらせる、そんな自分が信じられなかった。」


 「……」

 純子は声を出すことも出来ないようだった。


 「磨き上げられた板敷きの床に、靴下裸足くつしたはだしの自分の足跡だけがベタベタとハッキリ残る。新しい靴下に取り換えても直ぐにダメになった。それ以上に、替えの無い制服は着たままシャワー浴びたみたいにグショ濡れに変わって行くし。それで、これ以上は無理だ、と悟ったよ。私は決定的に『観られる方には向いてない』って。監督は、彼女自身も主演女優を務めた経験者だから『大丈夫。私も初めは同じだった。慣れれば治る。このやくを張れるのは、今後カンバンを背負しょっって立つ水口しか考えられない』って慰めてくれたんだけど、私は『奇跡を期待するよりも、別の人材を探す方が早いし確実です!』って反論したわけ。監督、ワタシには甘かったから言いたいことが言えたの。」

 舞は落ち着きを取り戻してきた。

「その頃には『ミス大高』のカラクリにも察しが付き始めていたからね。内部に入れば……仲間内に入ってしまえば、隠し通せるものではないから。」


 「で、どうやって岸峰さんに辿たどり着いたの? 中学時代からの知り合いだったわけではないんでしょ? 彼女は目立つタイプだからと言われれば、その通りと答えるしかないんだけど、スポットライトよりメスフラスコの方が似合う人間だからね。」

 しばらく口をつぐんでいた片山が、柔らかに”合いの手”を入れた。

 金縛かなしばりにかかった純子に代わって、義務感からの発言のように。


 「純子は裏コンテストでの結果、ホントに最初から序列ナンバー2だったんだ。」と舞は微笑む。

「でもそれは監督の”押し”が私だったからというだけのハナシ。ポスター用スチルとか撮る写真部では純子を推す声のほうが高かったみたいなんだ。だから実質のNo.1は純子が正しいんだよ。昔は演劇部も選定に絡んでたみたいなんだけど『役者の話題性だけで作品を創るのは間違っている』と主張する演劇性至上主義の部長さんが居て、ケンカ別れに近い状態で手切れになったんだって。70年安保のころっていうから、信じられないくらい古い喧嘩けんか発端ほったんみたいだけど。」


 「なるほど、岸峰さんに白羽しらはの矢が立った経緯いきさつが、これでハッキリしたね。」

 片山はヨイショと立ち上がると戸棚からブリキの缶を取り出し、純子の前に置いた。

「監督さんは水口さんに『生物部に入った岸峰純子が準ミスだ。水口が自分で演技出来ないんだったら、なんとかこのと仲良くなって欲しい』とでも頼んだのかな? 映研や演劇部は人材の外部委託を得意としているみたいだから、そのノウハウも蓄積されているんだろう。」


 純子は操り人形のようにギクシャクした動きでブリキ缶の蓋を開けると、中にあるビスケットのようなモノを物も言わずにガリガリと食べだした。


 続いて片山は、雑嚢ざつのうからペットボトルのお茶を取り出し純子に渡した。

「水口さんは監督さんの要求通りに、最初は岸峰さんを自分の身代わりとして映画に出てもらうためだけに近付いた。けれども親しくする間に、次第に岸峰さんにかれて行ったんだね。監督さんが水口さんのとりこになってしまったのと一緒で。気持ちは分かる。二人とも本人は偽悪者ぎあくしゃぶってる心算だけど、根が気持ちの良い人間なのは隠しきれないから。……で、今に至る、と。」


 「片山君、私もビスケットもらっていい? なんだか脳が疲れちゃったよ。」

 舞の要請通りに、片山がブリキ缶を渡そうとすると

「食べちゃダメ!」

と純子が慌てて止めに入った。

「それビスケットみたいに見えて、北九州名物『かたパン』っていう凶器だから。うかつに前歯で噛んだら歯が折れる。かんパンより断然硬いんだよ。」


 「なにそれ?」

 舞は一度手を止めたが、恐る恐る一枚取り出し両手を使って折ろうとする。

「硬ッた~ィ。マジびくともしねェ!」


 「初めて食べるのなら、ハンマーで細かく砕いて少しずつ唾液だえきで溶かしながら飲み込むんだ。慣れてきたら、奥歯で端からちょっとずつかじり取る。カロリーと各種栄養が凝縮されているのは請け合うよ。」

 片山は舞に注意を与えてから、純子に

「失語症から回復できて良かったね。」

と皮肉を言った。

「『深淵しんえんのぞく時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』 よく引用されるニーチェの箴言しんげんだけどね。岸峰さんは踏み込み過ぎた。」


 「ヒトをクトゥルフ神話の邪神みたいに言わないでよ。」

 舞はそう言おうとしたのだが、堅パンチャレンジをしていたせいで

「ひろお ふろうふひんわお ひゃひんいらひに いわわいれよ」

としか発音できなかった。


 けれど意味は通じたらしく、片山はフフッと笑った。

「歯が立たなかったら、持って帰ってホットミルクに浸すといいよ。ポケットに突っ込んでても、中で粉々になる気遣いはないから。……一見不可能に思える状況下でも、方法さえ間違わなければ対処は可能だ。違うかな?」

 続けて「岸峰さん、どう落とし前をつけるのかな。なんてったって『骨は拾ってやる』とまで言い来ちゃったんだから。」と指摘した。

「いくら相互確証破壊サークル内限定の秘密共有だとしても、なんにもナシじゃあ寝覚ねざめが悪いんじゃない?」


 純子はお茶を飲み干すと

「片山くんが『権利も義務も無い』って言った意味が、ようやく分かったよ。」

と溜息を吐いた。

「その時には、権利はともかく義務ってなんじゃ? としか思わなかったから。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ