桜の古木の花咲く前の下(覆面怪人の出現編)
――桜の樹の下には屍体が埋まってゐる! か……。
水口舞はかじかんだ手に息を吹きかけて、盟友である岡崎里美が園芸用シャベルで土を掘じくり返しているのを物も言わずに見守っていた。
舞の頭の中では、おそらくは梶井基次郎が生み出した文章の中で、もっとも人口に膾炙しているであろうフレーズがリフレインしている。
黄昏時は既に過ぎ、2月の寒風が身に染みる節分の夜の始めである。
子供がいる一般家庭では、一家の主が鬼のお面でも付けて賑やかに豆撒きの儀式が行われていることだろう。
――我ながら、付き合いの良いことだな!
と舞は密かに苦笑した。
舞は映研、里美は演劇部で共に脚本担当である。
所属する部活は違えど、学祭や定期公演のたびに切磋琢磨し合ってきた仲であるから、里美から
「3月の追い出し公演をもって、全面的に後進に道を譲ることにした。ついては黒歴史である創作ノートを葬ることに決めたので、見届け人になって欲しい。」
と頼まれては断る道理が無かったのだ。
◇ ◇ ◇
「創作ノートを葬るって言ってもさ、今日日手書きはナイよね。USBだかSDカードなんでしょ? 金槌で完全粉砕かな? クラウドに上げてるんならゴミ箱ポイか。」
舞の問いに里美は「ちゃんとプリントアウトして、すでに焚火で完全灰化した。それを埋めるんだよ。」と、神妙な顔で打ち明けた。
そして少し恥ずかしそうに
「データは……まあ、消さずに取っておくかな。ゴミ箱ポイもナンだから。後で読み返してみたくなるかも知れないし。」
と付け加える。
「仮にそんな事態にでも陥ったら、顔から火が出るのは必至だろうけどね。」
「なんじゃ、それ?」と舞は口を尖らせる。「単なる自己満足の儀式かよ。」
けれども舞にも、同じく創作をする者として里美の決意の揺れには共感出来るところが有った。
だから言葉は乱暴でも、口調が優しくなってしまったのは自分でも判った。
「ケジメだよ。ケ・ジ・メ!」
里美は有名なアニメの登場人物のセリフを引用して応える。
「まあ自分でも、中途半端かな? と解っちゃいるんだけどね。」
「分かった。見届け人、引き受けた。」と舞は真面目な顔で頷いた。
「で、どこに埋める心算なの?」
「いろいろ考えたんでけどね。やっぱり大高桜の根元に決めた。」
と里美は宣言した。
大高桜とは大戸平高校のグランド脇に立つ、現高校の前身であった旧制中学創立と同時に記念樹として植樹された枝垂れ桜の古木だ。
特に柵で囲っていたりされている訳ではないが、毎年春には全枝見事に咲き誇り、大高のシンボル的存在の樹であることは間違いない。
通学路にもソメイヨシノが並木として数多く植えられてあるが、里美は寿命が60年ほどのソメイヨシノより、将来に亘って更に長生きするであろう枝垂れ桜を『黒歴史』の墓標にすると決めたのだろう。
――黒歴史なんて埋められても、大高桜にとっては迷惑なことだろうな……。
と舞は考えたが
「埋めるのはコレ。」
と里美が示したのは、小さなビニール袋に半分ばかりの灰。
「長年の――まあ実時間的には数年間だけだけどさ――情熱の名残はこんだけにしかならなかったよ。大高桜の根を傷付けないよう、園芸用のちっちゃなシャベルで注意深く穴は掘るつもり。」
「植物質の灰なら害は無いね。……むしろ塩基性肥料になるんじゃない?」
と舞は応じざるを得なかった。
「でも、どこで焼いたのさ? 近頃は野外での焚火禁止なトコが多いでしょう。農家さんに頼んで籾殻焼きの時に一緒に焼いてでももらったの? それとも……こっそり親の目を盗んで、キッチンの流しで換気扇を回しながら?」
舞の問い掛けに
「そこはねぇ……頭を絞った。ワンゲルの村上君に頼んで、焼き台で灰にしてもらったんだ。」
と少し恥ずかしそうに答えた。
「焚火可能なキャンプ場まで、ちょこっと連れて行ってもらって。」
――ほう、ワンダーフォーゲル部の村上君とな! なるほど野外生活に長けた彼らなら、便利なキャンプ道具を持っているし、火の扱いにも間違いが無いだろう。
映研や演劇部は、時に必要な客演俳優や大道具・小道具製作者を、外部に応援を頼む。
ことにワンゲル部は力持ちで手先が器用な人材の宝庫――しかも伝統的に女子から頼み事をされたら断れないという気風の良さもあって――頼み事がしやすい。
村上君は小柄で寡黙、活発系女子の里美の『相方』としては幾分地味な感じだが、舞台装置用の木材加工には芸術性が高いと定評があって、彼女が以前から頼りにしていたのを承知している。
かく言う舞も映像作品を制作する時には、客演女優として生物部の岸峰純子を重宝していたりする。
部外からの助っ人は――そしてその助っ人候補と日頃から良好な友人関係を保っておくことは――幽霊部員が多い映研や演劇部にとって死活問題、生命線でもあるのだ。
◇ ◇ ◇
「うー、寒い寒い。」
舞は里美に向かって「風の当たらない位置にまで後退するわ。」と宣言した。
さっさと埋めてしまえば良いものを――大事な儀式と心で位置付けていることも有ろうが――盟友はヤケに時間をかけている。
「退却ヲ許可ス。」
里美は芝居がかった声で返答してきた。
「学舎の陰にて部隊を再編されたし。」
「ゥルセ―!」と言い捨て、舞は小走りで校舎が風を遮る場所へと急ぐ。
しゃがんで黒タイツの膝を抱え込むと、少しは寒さが凌げる感じだ。
その場所から眺めると、大高桜の下でシャベルを扱っている里美は、街灯から距離があることもあって、いかにも小さく儚く見えた。
――あーあ。絶対スカートの裾を汚しちゃってるよ、あの娘は。
その時だった。
里美にそっと近づいてくる人影に、舞は気付いた。
黒っぽい服――おそらく大高の学生服――を着た男で、棒か木の枝のようなモノを手にしている。
そして奇怪にも、顔にはグルグルと布覆面を巻いていた。
覆面男は里美が一人になるタイミングを、目立たないよう明かりの届かない暗がりに紛れて計っていたのだろう。
「里美!」と大声を上げて、舞は立ち上がった。「逃げて!」
そして怯むことなく駆け出した。「誰だあ、テメエ!」
仮に男が全く所属不明の人物であったとしたのならば、舞も大声で助けを求めることしか出来なかったかも知れないが、相手が同じ高校の生徒であろうと見当が付いたために出来た芸当だ。
気付いた里美は腰を抜かしたのか、ぺたんと地面に座り込んで手にしたシャベルを懐剣のように構えた。
猛ダッシュする舞の迫力に気圧されたのか、覆面男は手にした棒を捨てると、徐々に後ずさりし、最後には背中を見せて遁走した。
「逃げるなあ!」
後を追おうとする舞に「待って、舞。」と泣き笑いのような声で里美が呼びかけた。「膝が笑って、立てないんだよ。」
怪人は既に逃げた後だから、今は盟友を助けるのが先だ、と舞は里美に駆け寄った。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないって。」
里美がようやく立ち上がる。「腰が抜けるって感覚、初体験したよ。」
「もう帰ろう。灰は埋め終わったんでしょ。」
と舞が提案した。
「そうだ、それより職員室に寄ってく? 変質者が出たって言って。それとも体育館に行ってみようか。まだ遅練で残っている男子が居るかも知れない。帰り道のガード頼んでみよっか。」
「いや、職員室には行きたくないな。『何していたんだ?』って訊かれて、黒歴史を埋めてましたなんて答えたくないもの。このまま帰ろう。」
と里美は頭を振った。
「正直、あまり大事にはしたくない。」
――『オオゴトにはしたくない』だってェ~?!
普段なら率先して騒ぎの先頭に立つ勢いの里美にしては、どうにも似つかわしくないセリフだと舞は思った。
けれども本人がそう言っているのだから『いやココは、是非とも山狩りしてでも変態怪人を追い詰めるべき!』と反論するわけにも行かず
「そうか。じゃあ二人、手に手を取り合って”島津の退き口”よろしく退却戦を決行するか。」
と同意した。
走り出そうとした舞だが、里美が付いて来ずに何かを拾って、しかもしげしげと眺めているのに気が付いた。
手にしているのは、先ほどの怪人が捨てた”棒のようなモノ”らしい。
――そうか、証拠品の押収か。大事にはしたくないなんて言ってるけど、出るトコ出る時には必要だからな。
「何だったの?」
そんな物を拾っている場合かよ! と思う反面、怪人の放棄品には舞も興味がある。
「木の枝。」
と里美が手にした証拠物件を差し出した。
「たぶん……梅の枝みたい。もう薄ピンクの花が咲いてる。」
「薄紅梅の枝か。」
舞は差し出された枝を眺めた。
――ホントに梅か? ちょっと違うような気もするけど。
そんな疑問がチラと頭を過ったが、直ぐに別の点に注意を奪われた。
「紙縒りが結んであるよ。和紙みたい。」
紙縒りを解いて、何かメッセージが書いてあるのか確かめてみたかったが
「何が書いてあるのか興味があるけど、今は先を急ごう。」
と里美を促した。
今度は里美にも異存は無く、二人は靴音を響かせて夜道を走った。
◇ ◇ ◇
駅前通り商店街まで1㎞弱を走り抜いたところで、ついに里美が音を上げた。
両手を膝について、ゼイゼイと荒い息。
「最早これまで。介錯せい。」
舞も肩で息をする状態だが、そこはキッチリとツッコミを入れる。
「夏の陣の家康か!」
創作を嗜む者同士としての、盟友への作法である。
そうしておいて「ちょっと腰を下ろして一息入れよう。確かにシンドイね。陸上部だったらウォーミングアップの距離なんだろうけど。」と里美を、まだ暖簾を仕舞っていない甘味屋へ誘った。
学祭や定期公演の打ち上げをさせてもらったりする、行きつけの店である。
「おばちゃん! 善哉二つ。それと……お茶でなくて、水ちょうだい。」
甘味屋の主は
「おや? 舞ちゃんに里美ちゃん。節分の夜まで部活かい?」
とお冷を出してきた。
「善哉、ちょっと待っててね。すぐに温めるから。」
里美はコップの冷水を一気に飲み干して
「今夜は遅くまでやってるんだね。」
とお愛想を言う。
アルコールや夕食を出す店とは違い、この甘味屋は6時前には閉まってしまっていることが多いからだ。
7時を回ってまで開いているのは稀有なことなのである。
「今日は豆撒き、明日は立春だからね。」と、主はカウンターの向こうでガス台に火を入れた様子。
「甘納豆とか鶯餅なんかを買いに寄ったり、一服したりするお客がいるんだよ。煎り大豆は苦手だとかで。」
そして「そういう里美ちゃんだって、今日は珍しく早咲き桜を持ってるじゃないか。もう受験だっけ?」と続けた。
「私たち四月には受験生になるけど、実際に受験するのは一年後ですよ。」
と舞は応じて、里美が手にしている枝の花に目を遣って
「ホントだ。舞、梅じゃないよ。桜だよ。ソメイヨシノとかじゃないけど。」
と驚いた。初見で抱いた違和感は、間違っていなかったのである。
「なんだ、舞ちゃんはウッカリさんだねぇ。桜と梅を間違えるなんてさ。」
と主が豪快に笑う。
「名探偵甘味屋のオバちゃんが推理するに、その桜、貰ったんでなければ里美ちゃんには気になる先輩がいるんだろうさ。流行ってるらしいからね。」
「先輩に早咲き桜を贈るのが、ですか?」
と舞が訊き返すと
「そうじゃなくて」と主は善哉を器に装った。
「受験生に贈るのが、だよ。『サクラサク』に掛けているんだよ。商店街の花屋でもフェアやってるみたいだね。今日も桜の枝持った人、何人か見掛けたねぇ。」
――覆面の怪人は、里美のことを三年生だと勘違いしている下級生なのだろうか?
熱々の善哉を啜りながら、舞は頭を捻った。
そして枝に結ばれていた紙縒りのことを思い出し
「そうだ。ちょっと桜見せて。」
と同じく黙々と善哉を口に入れている里美に頼んだ。
「ん。」と里美から差し出された枝を受け取り、結んである紙縒りを解く。
しかし、そこには何も書かれてはいなかった。