小さな兆し
文化祭で浮き足立った気持ちもだいぶ落ち着き、いつもの日常が戻っていた。
そんな頃、生徒会は大きく変化しようとしていた。
二学期で藺草会長を含む三年生の先輩たちは引退となり、三学期からは二年生が中心となり生徒会を引っ張っていくことになる。
そして私たち一年生も、もう先輩たちにおんぶに抱っこではいられない。自分たちで考えて、行動をしていかなくてはいけないのだ。
生徒会長は学年内の話し合いで決められた。
藺草会長からの推薦や投票でもいいのだが、同じクラスで二年間過ごしてきた仲間だからこそ分かることもある。そう藺草会長からの提案があったからだ。
そうして選出されたのが河骨 優太先輩だった。私としては少し意外だった。
おっとりとしていて優しい。いつもニコニコ笑っていて、リーダーというよりマスコット的な先輩。そんなイメージを持っていたから。
そんな先輩を水川 凪先輩と滝沢 煉也先輩が支えていく。
二人ともしっかりしていて、毎回意見を出したり行動を起こすのはこの二人だった。だから生徒会長になるのはどちらかの先輩だと思っていた。
けれど、二年生の中では河骨先輩が生徒会長になることは決まっていたようだった。
きっと藺草会長が言っていたように、私には見えていない河骨先輩だったり、先輩たちの関係性があるのだろう。
二学期が終わるまでの間、三年生から一、二年生に引き継ぎが行われる。
託されることが多くなる度に、三年生がいなくなる寂しさと、来年には二年生になるんだと当たり前のことを実感させられた。
そして考えてしまうのは、いずれ私たちの中から生徒会長を選ぶ時が来るということ。きっと春がやるんだろうな。なんて、薄らと思い描いていた。
秋は短い。ほかの季節に比べて、線引きが曖昧な気がする。
暦の上では立秋の八月七日から立冬の十一月七日が秋とされているが、八月七日は気持ちも気候もまだ夏だ。なんなら、九月が始まっても暑ければ夏の気分だし、十月でも寒ければ冬の気分になる。
だから私は紅葉しているかどうかで秋だと判断している。他にも、赤とんぼが飛んでいたり、芒が咲いていたり。見た目重視という訳だ。
それでも今年は暖かい日が長く、文化祭で慌ただしかったこともあり今になってようやく秋が過ぎていたことに気付かされた。
辺りの山々の色づいた葉は落ち、残された枝は毛皮をかられた羊みたいに寒々し気に立っている。そこに追い打ちをかけるように、冷たく突き刺すような風が吹き付けていた。
「はぁ〜っ」と勢いよく吐き出された息は、春の周りで白い靄となりすぐに消えていった。
「そろそろ雪も降りそうだな」
二学期の終業式が終わり、放課後に生徒会だけで三年生のお疲れさま会が開かれた。それが終わり、すっかり暗くなった帰り道を三人で歩いていた。
花も小さく「はぁ」と息を吐き出した。
「これで降ってくれれば、ホワイトクリスマスなんですけどね」
文化祭が終わってからは生徒会の引き継ぎや期末テストなどで曜日感覚は授業割などで掴めるが、日にち感覚は全く無くなっていた。
気づいたら二学期が終わっていた、という感覚だった。
「俺たちずっと忙しかったもんな。クリスマスパーティーしたかったなぁ…」
イベント事には目敏い春でも、この忙しさでそこまで気が回らなかったようだ。
私も二人にならい「はぁ」と白い息を吐き出してみる。寒さからではなく、決心を付けるために。
「あの、二人は大晦日って空いてる?」
十二月に入ってから、ずっと聞こうか逡巡していたこと。
「俺は空いてるぜ」
「私も家族で過ごす以外、特に予定は無いです」
「初日の出、一緒に見たいなって思って…」
自分から誘うことなんて初めてで、緊張で語尾が尻すぼみになってしまった。
それでも新しい年を二人と一緒に迎えたい。
私が提案するや否や、春から盛大なリアクションが返ってきた。
「おぉぉぉお、良いぜ!見よう初日の出!なんか咲から言い出すなんて珍しいな。でも、そうゆうのは大歓迎だぜ!」
「そうですね!私もお二人と一緒に見たいです!」
思った以上の好反応に驚きつつ、話を続けた。
「文化祭が終わってから忙しかったから、今年最後くらいゆっくり二人と過ごしたいと思って。あっ、でもみんな家離れてるよね。どこで見よう…」
誘うことに精一杯で、誘った後のことを考えていなかった。これだけ時間があったのに、見切り発車もいいところだ。どうしようかと迷っていると花が提案してくれた。
「私の家の近くに大きい神社があって、毎年屋台とか出て賑わってますよ。初詣も出来ますし。近くにオススメの場所もありますけど、どうですか?…ただ春さんはともかく、咲さんには少し遠いかもしれないです」
春、花、そして私の家はそれぞれ一駅ずつ離れていてる。春と花の家までは歩いて二十分程だが、私と花の家ともなると車で三十分は掛かってしまう距離にある。
「なので咲さん、宜しければ家に来ませんか?神社やオススメの場所は春さんの家と私の家のちょうと中間位なので、咲さんさえ良ければ是非!」
「え、でも、大晦日に行くのは迷惑じゃないかな?」
「大丈夫です!両親にはいつも咲さんと春さんの話をしていますし、会ってみたいと言っていたので」
こうゆう場合、甘えていいものなのか。
春に視線を向けてもニコニコ笑いながらこちらを見ているだけだった。自分の意思で決めなければいけないようだ。それなら。
「…お邪魔じゃなければ、行ってもいい?」
「はい、喜んで!家の場所はあとでメールしますね。春さんとは現地合流で大丈夫ですか?長原神社なんですけど?」
「そこなら行ったことあるから大丈夫だぜ!」
トントン拍子に話は進み、私は初めて花の家に行くこととなった。
***
十二月三十一日。
学校の教師だという花の両親は、優しく私を出迎えてくれた。
二人とも丁寧な話し方で、柔らかい雰囲気や笑顔が花と親子であることを強く思わせた。
「咲ちゃん、今日は来てくれてありがとうね。出掛けるまでの間、ゆっくりしていってね」
そう言って微笑んだ顔は花にそっくりだ。
「はい、ありがとうこざいます」
「咲ちゃんは甘いものとか好きかしら?」
「好きです」
「良かったわ。このマドレーヌ、私と花で作ったのよ。たくさんあるから食べてね」
「はい、頂きます」
「それじゃあ、居間にいるから何かあれば声掛けてね」
紅茶とマドレーヌを持ってきてくれた花のお母さんは、そう言うと部屋を出ていった。
花の優しくおっとりとした話し方は母親譲りのようで、話していて凄く落ち着く。
「咲さん、今日はありがとうございます。父も母も咲さんに会えてすごく喜んでました」
「そんな、私の方こそありがとう。あの、口下手でごめん…春ならもっと、ちゃんと受け答えできたのに」
そう、きっと春なら誰とでもすぐ打ち解けられる。そして誰からも好かれる。
すると花は机の上でギュッと力を入れていた私の手に、そっと自分の手を重ねてきた。
「私の両親は咲さんだから会えて嬉しいと思っていますよ。もちろん春さんにも会いたいと言ってましたけど。そんなに自分を卑下しないであげて下さい。私も春さんも、今のままの咲さんが好きだし一緒にいられて嬉しいって思ってるんですよ」
花の微笑みはやっぱり暖かい。スーッと手の力が抜けていくのを感じた。
「私も、今の二人と一緒にいられて嬉しい」
自然と笑顔が零れてた。
私の言葉に「はい!」と嬉しそうに答えた花は「冷めないうち食べましょ」と暖かい紅茶と甘いマドレーヌを差し出してきた。
誰かと二人きりになると、会話なんてまるで進まなかった。なのに最近では素のままの自分でいていいんだと思えるようになっていた。
そして今では話したいことがどんどん湧いてきて、木が枝を伸ばすように話していたことから派生して、尽きることなく広がっていく。
「そろそろ時間ですね」
花の言葉で壁にかかった振り子時計に目をやると、時刻は二十三時を回っていた。もうそんなに経っていたのか。
「春さんとの待ち合わせ場所に行きましょうか」
待ち合わせは二十三時半だから、もう二時間近く話していたらしい。
居間にいた花の両親に挨拶をして、外へ出た。
部屋にいたから気づかなかったが、一歩外へ出ると雪がチラチラ舞っていた。温まった体から体温がが奪われないようマフラーに顔を埋めながら、少し足早に二人で春との待ち合わせ場所に向かって街灯に照らされた夜道を歩いて行った。
長原神社は予想よりもたくさんの人が集まっていた。出店やおみくじ、甘酒の配布なんかもあり、みんな一様に年越しの瞬間を待ち望んでいた。
私たち三人は神社の裏側にあるベンチに座り、貰った甘酒を飲みながらカウントダウンの時を迎えようとしていた。
「今年もあと五分だなー」
「色々ありましたけど、振り返るとあっという間ですね」
神社には煩悩を打ち除く除夜の鐘が響いている。
自分の内側にある自分自身を苦しめる心が煩悩とされているが、それが百八個も存在するだなんて、考えただけで重たくて破裂しそうだ。
「煩悩って無くせないんだよね」
そんなことを考えていたからか、ふと独り言をついてしまった。しかし、そんな言葉も春が拾ってくれたおかげで意味のある言葉となった。
「除夜の鐘叩いてもダメってことか?」
「あぁ、うん。仏教ではそう考られているらしいよ。でも、煩悩の元になる苦悩をなくすことが出来れば、煩悩を抱えたまま幸せになれるんだって」
自分にはそんな物ないと思っていた。それを持たない私は幸せにすらなれないのだと。でも、春や花と出会い、欲も羨む気持ちも眠っていだけで確かに自分の内にあることを自覚した。
すると花は呟くように言った。
「私は煩悩があっても良いと思いますよ。欲があるのも、妬みがあるのもその人自身が本当に欲しているものの為に持つ感情ですから。…だから私も、そろそろ自分の欲に向き合わないとです」
最後の言葉だけは自分自身に言っているようだった。花の叶えたい欲とはなんだろう。私は勝手に、花なら何でも叶いそうだと思っていた。
でも、それが何なのか聞くことは、少し憚られてしまった。
隣で何か考えていたらしい春が、いきなり立ち上がった。
「つまり、自分の気持ちには貪欲になれってことだろ!ということで、年越しそばとフランクフルトとチョコバナナ食べようぜ!」
「ふふふっ。春さんの内側は、食欲に満たされているみたいですね」
「おうよ!」と言った春は満足気に、今度はどれを先に食べるか考え始めていた。
一気に場の空気が軽くなったのを感じた。
周りの喧騒が一段と大きくなった。
時計を確認すると年越しまでもう一分を切っていた。
秒針が上に向かって進んでいく。
カウントダウンが始まる。
「あのさ、俺今年一年すげぇ楽しかったわ!」
「私もお二人といる時間大好きです!」
今年最後の笑顔も春と花から貰って、また新しい年が明けていく。
「私も──…」
『ハッピーニューイヤー!!』
どこからともなく歓声や拍手が湧き上がっている。
私の声は掻き消されてしまったけど、二人は笑顔で応えてくれた。
初日の出は花のおすすめの場所に案内してもらった。
長原神社の裏から山の頂上へ続く獣道を三十分程登ると、この街を一望できる開けた場所にたどり着いた。そこには小さな祠が静かに立っているだけだった。
三人でその祠に手を合わせ終わると、花が説明してくれた。
「元々はここが長原神社だったみたいです。でも立地が悪くて参拝に来る人も大変だと言うことから、数年前に今の場所に移転したみたいですよ」
場所が場所なだけに寒さは厳しかったが、頂上から見える街の風景や三人でいることの楽しさから、あまり苦には感じなかった。
空の暗さが段々と薄れて、白んできた東の空から光が零れてきた。
太陽が顔を出すとき、誰からともなく手を合わせ願い事をしていた。
一緒に楽しいことをしようと言ってくれた春に、一緒にいられて嬉しいと言ってくれた花に、今年は私がたくさんの楽しい、嬉しいを返せますように。
「明けましておめでとうございます!」
「おめでとう!今年もよろしくな!」
「あけましておめでとう。こちらこそ、よろしく!」
目が眩むほどの眩しい光に、街も私たちも包まれていた。