学校生活
最後尾のボック席、窓際の進行方向と逆側。
昨日と同じ席、同じ景色が流れているのに、心持ちは昨日とは全く違っていた。
春冷えのした昨日の朝と同じく、今日もまた気温は涼しい。それでも握った指先は温かさを保っていた。
体は正直みたいだ。
自分では気づかなかったが、昨日は緊張が指先を冷たくさせていたようだった。
壁にもたれながら感じる揺れが心地良い。
窓の外には、電車が通り過ぎた後の真っ直ぐに伸びた線路が続いている。
私は昨日考えていたことを、もう一度思い返していた。
敷かれたレールの上を進む。
私がこの言葉を嫌いでない理由、それは目的がないことを受け入れていたからだ。
ただの自論だが、次の駅までの時間潰しくらいにはなるだろう。
電車は、地元でも有名な短いトンネルを抜けようとしていた。三メートルしかないトンネルは、一瞬影がさすだけで外を眺めていないとトンネルがあったことすら分からない短さだ。
その影により一瞬窓に映し出された私の顔は、昨日までとは違う意志を持った表情で、真っ直ぐに伸びた線路を眺めていた。
敷かれたレール。その上を進んできた人は、それに気づいて振り返った時に自分の意思では何も得ていないことに懊悩する。それと同時に、用意された到着地が自分のものでないと知ることになるのだ。
初めて走る線路なのに、次にどんな景色が流れてどんな場所に到着するのか教えられていはつまらない。
理想とする目的地があればこそ、レールが最短でも遠回りだとしても楽しいのだ。
先生に言われたから勉強する。友達がやっているから自分もやる。そんな他人任せの行動や思考では、得られるものは少ない。そして、その全てを納得することは出来ない気がする。
例え失敗しても、その結果を誰かのせいにしてしまえるからだ。
言われた通りにやっただけ、みんなもやってるから、自分だけが悪いわけじゃない。これは自分が選んだ道じゃないのだから。
だからこそ、どんなに小さくても目的を持ち、そこに向かうために何処かでターンアウトスイッチを押すしかない。
敷かれたレール、ではなく自分で選んだレールを進まなくてはいけないのだ。
私の場合、目的を持っていないことを知っても懊悩しなかった。それどころか、同じ風景をいつまでも見ていた。まるでジオラマの街をグルグルと走る電車みたいに。
自分の性格、周りの環境に甘えていたのだ。
けれど、昨日の出会いが私に目的をくれた。
二人と一緒に学校生活を送りたい。
それは、私にとって初めて出来た目的だった。
ターンアウトスイッチ。それを押してくれたのは春だから、今も甘えていることには変わらないかもしれない。それでも見つけた目的は、自分自身のものだ。
敷かれたレールの上を進む。嫌いな言葉ではない。
だけど、今はようやく自分で選んだレールの上を進めている気がする。
窓の外ではどんどん景色が流れ去っていく。
電車が通り過ぎた後の線路はどこまでも真っ直ぐ伸びている。
いつもと変わらない、そんな風景。
それなのに私の心は少しわくわくしていた。
箱部駅へ到着すると春が乗車してきた。
いかにも眠たげに、右手で目をこすりながら大きなあくびまでしていた。
一緒に行こうと約束したわけではないのに、当たり前のように同じ席に座ってくれる。
おはようと言われ、おはようと返す。
ただそれだけのことが嬉しかった。
柔らかそうな栗色の髪は右側が寝癖で大きく跳ねていた。きっとそっちを下にして寝ていたのだろう。
春が頭を動かすと寝癖も連られて動き、ぴょこぴょこという効果音が聞こえてきそうだ。
髪の色も相まって、見た目はまるで発芽玄米みたいだ。
しかし少し困ったのは、頭を動かすと一緒に動く寝癖に気を取られて春の話が全く頭に入ってこないでいた。
跳ねていることを言おうか、言うまいか、言っていいものなのか。そう思いあぐねている内に、電車は仏駅に到着してしまった。
こんな風に他人を気にするなんて初めてで、距離の取り方を未だに測りかねてしまう。
仏駅では花が乗車してきた。
花も春と同様、待ち合わせしたわけではないのに自然と同じ車両に乗ってきてくれる。
寝癖ひとつ無い艶のある長い黒髪を耳にかけながら、花が微笑んだ。
「咲さん、春さんおはようございます。春さんは芸術的な髪型をしていますね」
なんの躊躇もなく、二言目には私がずっと言おうか悩んでいた言葉を口にした。
私の十五分の葛藤は、花の数秒の思考に適わなかった。きっと花は悩んでないかいないだろう。
友達としての挨拶の一環。これはきっと、みんなが当たり前にする会話なのだろう。
花の指摘に、春は驚いたように自分の髪に触れた。
「え、そんな凄い髪型してんの!?」
「はい。それはもう、勢いの良い跳ね方をしていますよ」
どうやら自分では気づいていなかったようだ。
花は席に座ると、鞄から白くて小さな花の模様の入った手鏡を取り出し春に手渡した。
春は鏡に写った自分の姿を見て、ようやくどんな髪型をしていたのか理解したようだった。
跳ねている所を抑えながら、春は素早くこちらを見て尋ねてきた。
「咲、もしかしてずっと気づいた!?」
顔がすこし赤くなっている。
「うん、ごめん気づいてた。…ずっと発芽玄米みたいだなって思ってたんだけど、言って良いのか分からなくて、言えなかった」
そう言った今も、この言葉で良かったのか考えてしまう。
「言ってくれよ〜。俺めっちゃ恥ずかしいじゃん!」
「ふふふ、発芽玄米って。確かにその通りですね。髪色もぴったりです」
花は口に手を添えながら、可笑しそうに笑っていた。
「花は笑いすぎだぞー!」
そう言って頭を手で押えながら、春も楽しそうに笑っている。
だから私も連られて笑ってしまった。
相手にかける言葉を探すのは難しい 。
今までして来なかった分、尚更だ。
それでも、新しいレールの上を進むと決めたのだ。最適解なんて分からないけれど、自分が思う最良解をこれから見つけていこう。
入学して二日目を迎えた。
クラスの雰囲気はまだぎこちないが、これから三年間付き合っていく仲間のことを知り、自分のことを知ってもらおうとみんな奮闘していた。
顔には出さないが、きっと心で必死に考えているのだ。
今日から早速、授業が始まる。と言っても、午前中は自己紹介や教科選択の方法、学校生活のルールなどのレクリエーションタイムになっていた。
その中でも自己紹介…。苦手なことの一つだ。
紹介できることも、話したいことも思い浮かばず、いつも同じ言葉しか出てこない。最初が肝心と思った矢先にこれだ。
葦有先生の「次の人どうぞ」の声が近づくにつれ、思考が遅くなっていく。
そして自分の順番が回ってくるまでの間、必死に考えて出した言葉が「鈴城咲です。よろしくお願いします」これだけだった。
誰よりも短い自己紹介で終わってしまった。
葦有先生からも、もういいの?と聞かれたが「はい」と答えるしかなかった。
その点、花や春はさすがだった。
「御形花と申します。周りを明るく、心を癒せるお花のようにと願をこめて、花と名づけられました。気軽に花とお呼びください。因みに敬語は小さい頃からの癖なので、気軽に話しかけ貰えると嬉しいです。三年間、よろしくお願い致します」
最後にニコッと笑って席に着いた。
名前の通り、花の微笑みは周りを明るい気持ちにさせてくれる。
私は花の笑顔を見ると体育館裏で咲いていたあの桜の花を思い出す。凛と力強いのに儚げで、見ていると心が癒される。淡紅白色の綺麗な花。
葦有先生の「次の人どうぞ」の呼び掛けの前に立ち上がって話し始めたのは春だった。
「どーも菜砂春です!みんな知っての通り、入学式では学年代表の挨拶をしました!だからこう見えて結構頭良いです」
そんな春の頭には、朝の寝癖がまだ残っている。みんなも春の頭の良さよりも、勢いの良い寝癖の方が気になっているみたいだった。
「三年間の目標は、学校生活全力で楽しむなので、みんなで楽しい思い出たくさん作っていきたいと思ってるんで、どうぞよろしく!」
それでも緊張の色が全くない見えない春の底抜けに明るい性格は、一瞬でクラスの雰囲気を変えてしまった。
発芽玄米みたいな寝癖でさえ、春にかかればチャームポイントに変わってしまうのだ。
レクリエーションも終わりに近づき、最後に生徒会役員を決める話し合いをすることになった。
「七草高校の生徒会は普通科から、一学年につき三人選出します。生物生産科、環境工学科は実習や実験が入っているので、基本普通科のみで行っていきます。まずは立候補する人」
「はい、はい!俺、立候補します!」
またもや葦有先生が言い終わるより先に、教室中に通る声で春が勢い良く手を挙げた。あまりの勢いに、前の席に座っていた子がビクッとしていた。後ろからいきなりそんな声を出されたら、そりゃあ驚くだろう。春は申し訳なさそうに、顔の前で手刀を作りながら、ごめんと謝っていた。
「それじゃあ菜砂君と、あと二人誰かいますか?」
「先生、それ俺が指名してもいい?」
まさか…。
「別に構わないけど、やるかどうかはその人の判断次第ですよ」
分かってるって、と言いつつ春は既にこちらを向いていた。目が合うと、昨日と同じニヤついた顔をしている。
「花と咲にお願いしようと思うんだけど、いいかな二人とも」
これは予想していなかった。
だって、これを部活動に分類するわけがないのだから。
入学二日目にして私と花は、春からとんでもないサプライズを受けることとなった。
結局断る理由もなく、春の希望通り生徒会役員は私達三人が引き受けることとなった。
例年、生徒会役員決めは立候補者が居ないため、次の日まで持ち越されることが多いらしく、こんなに早く決まったのは初めてだと葦有先生は話していた。
しかも個人指名だなんて今までになかったらしく、本当に引き受けて大丈夫か授業終わりにこっそり聞きに来てくれた。自己紹介で私の性格を加味して、心配してくれたのだろう。
けれど生徒会に入ることは別に嫌ではなかった。心配はあるけど不安はない。
だって、二人と学校生活を送りたいと決めたのは私なのだから。
そう言うと葦有先生は、頑張ってと肩を軽く叩いてくれた。
「春さんにはやられました。まさか、部活動じゃなくて、生徒会に入る羽目になるなんて」
昼休み、三人で机を合わせ昼食を食べながら話題はやはりこのことだった。
「昨日のうちに言ってくれれば良かったのに。てっきり、放課後どこかの部活に連れていかれると思ってた」
「だって言ったらサプライズになんないだろ!楽しみにしとけって言ったじゃん!」
お弁当のエビフライを口に咥えながら、春は楽しそうに体を揺らしている。
それにつられて頭の寝癖も揺れている。水をつけても治らなかったらしく、どうやら今日一日発芽玄米スタイルでいくようだ。
「ところで、どうして部活動じゃなくて生徒会なんですか?」
花がデザートの苺のへたを取りながら聞いた。
「おっ!よくぞ聞いてくれました!生徒会ってさ、学校生活のこと何でも中心になって活動するじゃん。俺さ、卒業までに俺たちが考えた行事を一つ増やしたいんだ!そしてそれをこの学校の伝統にしたい。俺たちが卒業しても、その行事だけはずっと受け継がれていくんだ。すげぇだろ!」
自信満々に言い切った春は、満足げに残りのおかずも全て平らげた。
生徒会に入るだけじゃなく、そんなことまで考えていたなんて。
学校生活を全力で楽しむ。それは目の前のことばかりじゃなく、自分でも楽しいを築いていこうとしていた。
春は自分でレールを敷いて進んでいる。
花は小さくて真っ赤な苺を口に含みよく噛んだあと、ゆっくりと飲み込んだ。
「それはすごく楽しそうです!でも、行事を一つ増やすなんて、そんなこと出来るんですか?」
「できるできる〜。なんたって、俺たちは生徒会なんだから。生徒会に出来ないことはないのだ!」
春は右手を強く握りしめ、目を輝かせながらガッツポーズをしながら宣言した。
その生徒会への絶対的な自信は、一体どこから生まれてくるのだろう。
私は気になっていたことを質問した。
「行事って、何を増やそうとしてるの?」
「それは……」
春はたっぷり溜めたあと「まだ決めてない!」と同じ勢いで宣言した。
「え、決めてないの!?」
「いや、だからそれを俺ら三人でこれから決めていくんだよ!」
そう言って笑った春は、やっぱり楽しそうだった。
放課後、さっそく三人で提案する行事についての話し合いをすることになった。
教室で相談しても良かったのだが、春が「ポテトが食べたい!」と言うので、帰り道にあるスーパー中之にあるイートインコーナーで話し合うことになった。
店内では中之オリジナルのBGMが流れている。テンポの良い曲に乗せて、新鮮で安価な食品を取り揃えていると歌っている。
意識して聞くことはないが、地元の人なら無意識に覚えているのだろう。母親と一緒に買い物に来ていた子供が、繋いだ手をぶんぶんと大きく振りながら一緒になって歌っていた。
「じゃあ二人とも、何か案を出していって貰おうか」
こちらでは組んだ手の上に顎を乗せ、まるで偉い社長がとるようなポーズと言葉遣いをした春が意見を求めてきていた。
口にはポテトを一本加えている。それはタバコのつもりだろうか。
「えっと…」と、私が言いあぐねていると「分かりました。私から述べさせて頂きます」
花が先行して意見を出してくれた。
メガネのヒンジを指で押し上げているその仕草は、まるで秘書のようで花に似合っていた。
「それぞれの科の授業を体験するというのはどうですか?料理をみんなで作ったりするんです。ちょうど食品コースもありますし」
急に振られたにも関わらず、しっかりとした意見だ。もしかしたら、あの後から考えていたのかもしれない。
花が言った食品コースとは、生物生産科の中の一つだ。生物生産科の生徒は二年に上がる際、食品コース、動物コース、植物コースにそれぞれ別れ、そこで更に専門的な勉強や実習を積んでいく。
「いい、いいぞ、花!じゃあ次、咲いってみようか!」
「えっと……」十秒ほど考え、少し閃いたことを口にした。
「花の意見を聞いて思ったんだけど、植物コースの人達が育ててる野菜を使わせて貰うことは出来ないかな。夏か秋で旬の野菜を使って、収穫してみんなで食べるとか」
「おぉ、いいじゃん!収穫祭ってことだろ!!なんか、七高っぽい」
七高とは七草高等学校の略だ。
口に加えたポテトを落としそうになりながら、声を弾ませた。
「ところで、春さんはどうなんですか?私たちだけ意見を出すのはフェアじゃないです」
「俺か?俺はもう決まってるぜ!」
花に指摘され、待ってましたと言わんばかりに、自信満々に宣言した。
「花火を打ち上げたい!」
またもや突拍子もない提案が出てきた。
「花火ですか!?いきなりそんなこと出来んでしょうか?」
「出来るっしょ!なんたって俺ら生徒会だぜ」
ずっと思っていたが、春のこの生徒会への絶対的な自信は一体どこから出てくるのだろう。
でも、どんなに難しそうなことでも、春なら出来てしまうんじゃないかと思えてしまうのが不思議だ。
「ってことで、意見をまとめると…収穫の喜びを学校全体で祝う収穫祭と花火打ち上げで決定だな!収穫祭の方は生物生産科に相談すればなんとかなりそうだな。花火は、まぁ勢いで勝ち取ろうぜ!」
「花火はどうか分かりませんが、収穫祭はいい案ですね。さすが咲さんです!時期は秋がいいと思います。学校で育てている野菜の多くは秋が旬のものが大半ですし、それに食欲の秋とも言いますしね」
美味しそうにポテトを食べながら、花は軽くウインクしてみせた。花の一挙手一投足はどれも物語のヒロインみたいで、私はその魅力に惹き付けられてしまう。
春はカリカリのポテトを選んでは口に運びながら、楽しそうに体を揺らしている。一日中一緒にいる寝癖も連られて揺れていたが、いつの間にかそれも見慣れてきていた。
「私なんて花の意見を参考にしただけで、何もしてないよ」
「そんなことないぜ。花の意見と咲の意見があったから、この案を出せたんだよ!前に言ったろ、お互いに影響し合ってるって。二人がいたから生まれた案で、三人いれば出来ないことはない!」
やっぱり、どこから生まれるのか分からない自信だけど、その根拠も理屈も道理もない言葉を私は嫌いではなかった。
それからは、収穫祭についての話を一通りした。
どんな野菜を育てているのか、秋の旬の野菜は何なのか、動物コースからお肉の提供はして貰えるか、など。
話は何度か脱線しかけたが、花の舵取りのおかげで割とスムーズに進められた。
こんなに盛り上がって話しているのに、これはまだ私たちの夢物語でしかないのだ。
それでも、放課後に友達と時間も忘れて話に耽るなんて考えもしなかった今があるのだから、夢物語だって現実になるかもしれない。