スライムの異物反応と付随する環境適応能力について
「見て見てー。暗記〇ン」
最近のスライムの趣味は本に自らの身体を押し付け、身体の表面に転写された文字を取り込むことである。
「今度は何の本を読んでたのかしら」
これがまた楽しいのだ。見て読むよりも、よほど効率的であり、非破壊的に本の内容や状態を知ることができるという、およそ人の身のままでは行えなかった所業を行えるので、新感覚なのである。暗記〇ン。
「歴史書だな。疫病で滅んだ」
なぜか体表にはインクのように文字が反転して転写されるが、本自体はスライムが張り付く前と全く変わりがない。それは体表の一点に凝縮され、最終的に一本の線として原形質の中に浮かぶ核の中に取り込まれていった。
「あー・・・えへへ?」
耳長白衣の女性は誤魔化し笑いを浮かべるが、それはここ数年ほど自室の掃除を行っておらず、どこにどの本があったかを、ひいては自室の本がどうあったかすら忘却してしまっているから。突き詰めれば長命種であるが故の時間感覚の喪失による怠慢である。否、長命種にしてもここまで無精であるのは珍しい。
「えへへじゃねえよ!部屋の中ぁこんだけ散らかしやがって。俺が不定形じゃなかったら身動きできない粗大ごみ置き場も同然じゃねぇか。どうやって寝泊りしてんだこれ」
スライムが耳長の女性に捕らえられてからしばらく、比較的整えられた環境に置かれていた。ビーカーを始めとする実験器具や奇妙な魔道具なども置かれていたため、研究室だろうとあたりをつけていた。
一年ほどして実験時以外にもビーカーの中から出られる許しをもらったのだが、探検と称して隣の部屋の扉を開けたところ、うずたかく積まれて足の踏み場もない、というより人が出入りできそうもない壁があった。暗記〇ンで楽しんでいた本はその一番手前にかろうじて引っ張り出せる位置にあったものだった。
「寝泊りなんてこの部屋でも十分じゃない?水道あるし寝床は私物の椅子があるわよ」
たしかに夜はこの場に不釣り合いで上質そうな柔らかいカウチソファーに座って仮眠をとっていた気がする。よくそれで満足な睡眠ができるものだと感心するのだが。
「もしかしてその椅子って自腹か」
「それなりに高直なものだけど、生きるために必要なものは勝手に運んできてくれるし、お給料なんて基本的に使わないもの。頼むからいくらか散財してくれないと経済も回らなくなるからーって言われてるしね」
耳長の女性は無精なのと同時に金銭に興味がないらしく、長命種の寿命と給料により自然に溜まっていく資産になんら頓着しないようであった。前世ではお金に苦労していたスライムであるため、なんたる理不尽であるかと叫びたくなった。だが目の前に金の生る木があると、ちょっと誘惑されるのも人情である。
「その、資産状況はどんな感じですかね・・・えへへ」
ちょっとゴマを擦ってみたくなるのも人情である。
「この世界の普人種たちの平均生涯賃金の十倍くらいかしらね」
それだけの額の金銭が一人の個人で死蔵されているとなれば一大事。スライムは早速目の前の|耳長女≪かねのなるき≫からお金を収穫しようと試みる。
「ところで、えへへ・・・その散らかった部屋なんですがねぇ、あっしが片付けさせていただきますとも、ええ、埃ならあっしの分身が動いて食べて回りますんで、えへへ、その労働の代わりにお金をくれないかなって思うんですよ」
「いいわよ。異界由来の興味知識ってどういうところに出るかわからないし、ある程度の金額の中から要望に沿ったものを届けてもらえるようにしましょう」
それはつまるところ実験動物の扱いと変わりはなかったが、スライムは小躍りした。見た目は半透明の不定形がカタツムリよろしくビーカーを背負い、ぽよんぽよんと跳ねているだけである。
「ひゃっほーい!!カネだ!!ヒモだろうがなんだろうがなんとでも言え!見てるか底辺ども!!」
スライムはそう叫ぶと早速掃除に取り掛かった。床は二つに増えた自分が這いずり回り、うずたかく積まれた壁はスライムの内部空間に一旦収納する。小一時間もすれば壁は消え、綺麗に磨かれたような樹脂製の床が現れた。
「・・・そういえば俺、というかスライムって、汚れを食べて綺麗にするけど病気にならないよな」
「なんでも消化するものね。どうなってるんだか」
スライムの分身の体内に取り込まれた汚れはとうに痕跡を残さず消え去っていた。
「下水だろうがなんだろうが、下手したらケイ素以外の無機物すら取り込んでる節があるぞ。味も感じるんだが普通の食べ物じゃないと独特の味なんだけどよ」
「あと体から精霊出すわよね。すごく弱いからすぐに消えるものばっかりだけど」
スライムの分身はその体積に見合わない大きさのものを次々と取り出して並べていく。もちろん本棚や机はぴっかぴかに磨かれたようになって部屋のレイアウトを整えていった。
「おいちょっと、精霊?この世界に精霊とかいんの?」
「ん?異界の精霊も危険なものなのかしら?」
「いや、創作上の存在・・・だよな?そんな感じだから存在しない空想のものだぞ?つか危険なものなのか?そんなものが俺から出てると?」
ビーカーの中のスライムは身を捩って自分の半透明な体を確認するが、それらしいものは見えない。
「基本的に消えるものだけれどね。見えてないなら、ほら、これでいいわよね。私が見えてるように精霊に像を結んでみたわ」
すると床に張り付いていたスライムの分身から大量の光が出てきているように見えた。そのほとんどがグロテスクな造形をしていて、単純なものから複雑なものまで、様々なものがあった。比較的単純なものより複雑な造形をしているものや、大きいものの方が消えるまでの時間が長いようである。
「なんだこの、これが精霊なのか?大きくて気持ち悪い虫っぽいのとか、顕微鏡の中の微生物みたいな。ほんとにすぐ消えてくな・・・」
「存在強度が弱いのよ、こいつら。存在自体は魔素でできてるようだから、すぐに消えなくとも傍で魔法でも使われたらその魔法行使のための魔素吸収、魔法の放出で巻き込まれて崩壊するのよ。というか、顕微鏡の中の微生物?こいつら生き物なの?」
スライムの身体から離れて空気中を長く漂うほど複雑で大きな精霊たちは、耳長の女が掌中に生み出した風の玉に吸い込まれて消えていった。
「顕微鏡で見えるものはなんだと思ってたんだよ」
「そりゃ精霊よ。顕微鏡を使わずに見える種族は少ないけど、年経た大きな精霊が魔法を使って何かをすることだってある。そういうときは見える種族以外にも見ることができることもあるみたい」
話が微妙にかみ合わない気がする、異界知識のせいか。しかし微生物は微生物ではないのか?それに、グロテスクなこいつらが精霊?どこにあるかわからない喉に小骨がひっかかったような気分だった。腑に落ちない。
耳長の女は像を消し、新たな像を結ぶ。それは昆虫のような翅が生え、せいぜい丈が二寸ほどしかないような人型の姿となった。
「おっ、この姿ならわかるぞ。前世ではポピュラーな精霊像だった」
「ここまで来るともう傍で魔法を使われたくらいじゃ消えなくなるわね。むしろ他の精霊を取り込んで強くなるから駆除にも一苦労する。言葉がわかる個体もいるから説得もできるけど・・・あんまり成功した試しはないわね」
スライムは先ほど微生物たちの像が結ばれていた空間を凝視していた。なぜエルフには見えて自分には見えないのか、見えているなら光学的には相互作用しているのではないかと考えたが、どうもそうではないらしい。
身を捩ってうなりつつ、ふと思いつきで最近扱えるようになってきた魔力を、薄く、一瞬だけ放出してみた。|反響定位≪エコロケーション≫の真似事である。すると自分を中心として三次元的に膜が薄く広がり、消えた。後には空気中に浮かぶ微生物たちの姿が残った。
「おっしゃ。こういうことだな。見えたぞ」
「そうね、魔力と相互作用してるから、そうなるわね」
触手を伸ばして微生物をつつく、すると微生物がくっついたかと思えば、そのまま溶けるように触手に取り込まれていった。
「ああ、食べられるんだこれ・・・食べちまった・・・」
「スライムって精霊食べるのね・・・?ゲテモノ食いだと思うわよそれ」
「だよなぁ。でも、食べたおかげでいろいろわかったこともある。これ情報生命体だ。肉体を持ってたころの情報を保持してた」
スライムの言葉に耳長の女は首をかしげる。あまり馴染みのない言葉だったろうか。
「んー平たく言うと情報を存在基盤とした生命だ。普通の生命は存在基盤が肉体だろ?機械と同じで、古くなったら外からパーツを持ってきて入れ替えるわけだ。そうして全体を一定に保つんだが、肉体は情報の劣化によって元の設計図から離れていってしまう。これが老化だ」
スライムは自分の身体を変形させ、はしごをひねったような形の二重らせん構造をとる。
「前にテセウスの船って呼んでた話よね」
「人間のアイデンティティに適用するとちょっとおかしな話になるんだけどな。まあ、この情報生命は魔素を存在基盤としているらしい。複雑なほど、より大きいほど存在強度が上がるのは相補性や冗長性で崩壊する部分を修復していっているからだ。これは生命といっていいんじゃないか。しかもこいつら、捕食によって複雑性を増すこともできるらしい」
二重らせん構造の一部を崩し、はしごの半分が一部消えて歯抜けになる。そこで触手を伸ばして手近な精霊を捕食し、欠けた部分を生やした。
「食べて分かったってことは、あなた、その食べたものに影響されてるのよね?・・・大丈夫?この前みたいに王都飲み込んで処女童貞食い散らかさない?」
「あれは半分お前のせいだろうが!いちおう、取り込んだものは魔力として還元されてる。すんごい微々たる量だけどな」
オキアミ食ってるクジラみたいな気分だ、と独り言ちるが、もちろんスライムの前世はクジラではないので不適切である。
「捕食した情報の中には環境情報も入ってて、この情報を元に体を組み替えたらその環境に適応できるっぽい。これも微々たるもんだが、積み重なっていったら火山の中だろうが極地の氷地帯だろうが、いろんな環境に適応できるかもしれねぇ」
耳長の女はそこで意味ありげに頷き考え込む。思い当たる節はあるらしい。スライムはそれを横目に見ながら、もはやマイホームと化したビーカーの中へと戻る。
「それで、なんであなた、というよりスライムは精霊を放出してるのよ」
「捕食した肉体をバイオマスとして利用してるから?情報生命として放出されてるものは排泄で、未消化物?」
「うさぎの食糞?」
「違う」
未消化物を捕食している様を食糞などと例えられたのにはさすがに抗議したい。スライムはぷりぷりぷるぷるしながら原形質の本性を見せるかのように体表を泡立たせるが、見た目はビーカーに入った梅酒ゼリーが震えているだけである。
「あー・・・そうするとアンデットの類とか、会話ができる精霊っていうのは、そういうことなのか」
「この世界の倫理的に理解できる話じゃないけど、会話可能な人類種をスライムが捕食した結果、肉体を失った魂の成れの果てができたってわけね。生存本能に突き動かされて、小さな精霊を食べて、いつしか自分が人類種であることも忘れて・・・」
おや今回はしんみりした終わり方になりそうだぞとスライムは喜ぶ。毎度毎度性奴隷のように扱われては、ヒモ化した身であろうとも尊厳がなくなっていくというものだ。
「じゃあ、あなたのいう微生物でそうなるなら、もっと大きな生物ならどうなるかしら。例えば虫とか、小動物とか」
「そういや俺、ヒモ以前に実験動物だったな?!」
なけなしの尊厳は根こそぎ奪われたのだった。