88 頭中将と伏龍
ちょっと長いのですが、ここまでの頭中将視点を一気に書きました。
この国には、龍が眠っている。
その龍を呼び起こすのはーーー私だ。
頭中将 九条慶政は、九条家の嫡男として産まれた。
祖父は、九条兼実。太政大臣まで勤め上げ、今の九条家の礎を築いた人だった。
慶政は、産まれた時から、見目美しいと評判の子だった。皆が口を揃えて、「光源氏も、かくや」と言ったらしい。
幼い頃、慶政を抱いていた乳母が取り落としたせいで、大怪我を負った。顔は傷つかなかったが、その影響で、女が抱けぬ身体になった。
それゆえ、宮中の華と言われるほどの美貌を持ちながら、浮いた噂は一つもない。
落とした乳母は、ひどい懲罰を与えられ、密かにどこかの島に流されたという。だから、慶政には乳母がいない。
しかし、それはそれで良い。
まわりの者たちをみていても、乳母など、身分のわりに口やかましく言うばかりで、それでいて、皆、頭が上がらず、良いことなんてないと思っている。むしろ、いない方がましだ。
『女が抱けぬなど、一人前の男ではない。』
影で、そう揶揄する輩もいたが、そんな連中は、表から裏から、使える術は全て使って、政治の表舞台から消し去った。
取るにならない、頭の足りない者たちに・・・この国を牛耳る力のない小物たちに、私を笑う資格などない。
断じて、許さぬ。
中には、女が抱けぬということに対して、憐れむ者もいた。だが、慶政は、憐憫の情など、欠片も受け付けるつもりはない。
女に欲情しないぶんだけ、別の欲が強くなる。自分がこの国を率いるのだーーーという強い野心が、ふつふつと湧いてくる。
この国は、古来より、帝を中心に政を行ってきた。天の神の血を引く特別な人の力に、高位の貴族たちが手を貸すことで、国は安寧を得ていたのだ。
それが、ある時を堺に、武力をもった者たちが台頭してきた。慶政は、所謂、剛力を全く認めないわけではない。個々において、卑しき人々を抑え込める程度の武力は必要だ。
だが、武力をもって国の中枢に食い込もうとする輩は嫌いだ。なんの美しさもない、野生の獣のような奴ら。
神が作りし、この国を、その力を捨てて、畜生に落とそうとしている。
今の世は、帝や高位の貴族たちも、争いごとに武士の力を借りる。攻めるほうが力を挿頭すのだから、当然、守るほうもそうなる。
そうすると、互いに武力をもって、武力を制し、ますます、力に頼るようになる。
武士たちは、右中将、源実朝を筆頭に、御家人などと呼び合って、徒党を組んでいる。
実朝は、近衛右中将なのだから、本来、左中将の慶政と地位は変わらぬはずなのに、まだ子供分際で、まるで、この世の武力全てを束ねているかのようだ。
武力は誰でも手に入れられる。
高貴な血も、特別な力も必要ない。
庶民も農民もその気になれば、刀を手に持ち戦える。出自の定かではない水呑百姓でさえ、取り立てられ、覇権を持つことができるかもしれない。
慶政は、その事に気がついたとき、ゾッとした。
そんな人間が、この国を動かすのか。何の知見もない奴らが・・・。
源平でさえ、激しい戦だったという。早晩、民をも巻き込み、血で血を洗うような戦が起こるかもしれない。
海の向こうの隣国ーーー今は宋だが、そこでは、定期的に覇権を争う戦乱の世がくるという。そして国が変わる。
この国も、そんなふうになるのか。
神に守られてきた、この国が・・・
ーーーいや、そんな国にしては、ならない。
私が、奴らから取り戻す。
そして、私のような、教養と能力ある特別な者たちが、影に日向に帝を支え、この国を牛耳る。
それが、九条家嫡男として生まれた自分の務めだ。
そうだ。私が真に、この国を導くのだ。
物心ついた頃には、慶政の頭は、そのことでいっぱいだった。
頭中将として、順調に地位を築くと同時に、古来より伝承に書かれた、様々な呪法を調べた。
どうすれば、私の理想を実現できるのか。
頭の帝は、誰でもいいのだ。慶政の理想を邪魔しない程度の頭脳をもった王子でさえ、あれば。
宋帰りの道満庵と出会ったのは、そんな時だった。幼い頃に預けられていた寺を久しぶりに訪れたら、そこに我が物顔で存在していた。
存在していた、というのも、おかしな表現だが、それが一番しっくりくる。
道満庵という名は、たぶん、かつて安倍晴明と比肩した陰陽師、芦屋道満から名を借りたのだろう。
ふざけた名の男だ、と思った。
芦高王子と出会ったのは、それから、しばらく経ってからだ。道満庵が連れてきた。
3代前の帝が、戯れに手をつけた更衣が産んだ子だという。
母親の血筋は悪くなかったが、後ろ盾となる実家の親が、早くに亡くなっていた。
加えて、気の弱い女だったらしく、女御たちにいびられて、あっという間に心を病んで、遠縁の身内を頼って里下がりをした。そうして産んだ子だった。
当時の帝は性欲が異常に強い御仁だったというから、ありそうなことだ。女と情を交わすのは好きだったが、だからといって情けをかけた女を守るわけではない。
当然、その王子は親王宣下を受けていない。
それどころか、存在すらも忘れかけられている、捨てたれた王子。
これといった主張のない、凡庸な王子。
実にちょうど良い王子。
高い芦の茂る原っぱに、ポツンと立った草庵で産まれたから、「芦高王子」と呼ばれている。
同じ庵で育った道満庵は、芦高王子の誕生を受け、「それなら俺は道満だな。芦の屋の道満だ。」と言いだし、元の名を捨てたという。
以来、道満庵と名乗っているのだとか。
本当に、ふざけている。
だが、ふざけているのは名と態度だけで、腕は確かだった。特に、呪いや禁呪を得意としており、人を陥れる闇い呪法の研究ばかりしている。
思想はなかったが、武力ばかり頼んで徒党を組みたがる者たちほど、浅はかで、醜くはなかった。
慶政が、かねてからの野望を口にしたとき、道満庵はニヤリと笑った。
「いいなぁ。あんたは。」
ぶ厚い舌で、ぺろりと唇を一舐めして、
「その、一見爽やかな見目とは裏腹に、身体中から、禍々しい野望が立ち上っている。実に美味そうだ。」
「お主に喰われるほど、私は小物ではないぞ。」
そういってやると、嬉しそうに、「カカッ」と嗤った。
それから、道満庵と慶政は、手を組んだ。
表で華々しく活躍するのが、慶政なら、裏から手を回すのは、道満庵。
邪魔者は、全部、入れ替えれば良い。
だが、それだけでは駄目だ。
武力を挿頭す連中は、すでに中枢に食い込んでいる。それを一掃するには、一度、大きく破壊するのが手っ取り早い。
ついでに、武力よりも強い力をがあるのだと見せつけなければ、ならない。
伏龍は、そのために、どうしても必要だった。
伏龍ーーー覇権を手にするための宝玉。
平清盛が、宋から、秘密裏に手に入れたもの。
しかし、伝承は往々にして、嘘を付く。
語り継がれるうちに、創作され、塗り替えられていくのだ。
事実、伏龍は、宝玉でもなければ、宋から輸入したものでもなかった。
古来から、この地に眠るもの。
慶政がそのことに気づいたのは、つい最近だ。
平清盛が、その謎を紐解いたのは事実で、しかし、使わぬまま、その謎を封印した。
「伏龍を手に入れたい。」
慶政が初めて口にしたとき、道満庵は、「ほう?」と片方の眉を引き上げた。
「馬鹿にしないのか?」
「なぜ?」
「そんなものは伝説だ、と。あるいは、手を出すべきではない、と。」
道満庵は、顎の下に手を当て、考える仕草をした。
「もし伏龍があるとして、それを扱えるのは当代では・・・・ワシか、安倍公賢くらいだろうな。」
安倍公賢は、安倍家の陰陽師だが、傍流だという。
表だった位こそ高くはないが、能力は晴明の先祖返りと言われている。敵対したくはないが、味方に引き入れるのが難しいことも、分かっていた。
公賢は、世間では変わり者のように言われているが、慶政の見立てでは、意外と常識的な男だ。
おそらく、裏では、相当に帝と親密な関係を築いている。こちらの野心に手を貸しはしないだろう。
「道満庵、お主なら使えるか?」
「できる。」
断言してから、「物があって、やり方さえ分かればな。」と付け加えた。
「なんだ。やり方が分からないのなら、意味がないではないか。」
「今は分からぬが、分かれば必ず出来るのだ。」
「なんだ、その、子どものような言い分は。」
「安倍公賢にできて、わしにできぬことはないわ。」
道満庵は、また、「カカッ」と嗤った。
「やり方・・・か。」
慶政は、手にした扇子を弄びながら、
「宝玉ではないのか?」
「宝玉・・・か。それもありそうだが・・・」
「すっきりしない顔だな。」
道満庵は平べったい自分の顎を、ザラザラと撫でた。
「何となく・・・もっと大きなもののような気がするのだ。天下を手中に収めるほどの強大な力。それを閉じ込めるとなると並の宝玉では、耐えられまい・・・」
なるほど、と思った。
慶政も、普段隠しているが、呪術の心得はある。
道満庵が言うことは、的を得ていると思った。
「平清盛は、その謎を解いたのだろう?」
「そうらしい。」
「では、その遺品の中に手がかりとなるものがあるのではないか?」
「遺品・・・か。」
蔵人頭という仕事柄、宝物の在り処は詳しい方だが、平清盛の遺品から、それらしい物が見つかったという話は聞いていない。
「鎌倉方に流れているではないか?」
「それもありうる。」
平家討伐を指示したのは帝だ。その過程の中で略奪があっても、目をつぶっている。
もしその中に伏龍を手にした者がいても、粗暴者たちに、その価値をわからないだろう。
「鎌倉と親しい者たちの屋敷を探す、か。」
子飼いのクロに指示して、忍び込ませた。
クロは、都の路地裏で、子どもたちに虐められていた。それを慶政が、偶然見つけて助けた。
先祖のどこかで妖かしの血でも入っていたのだろう。その血が色濃く出たらしく、猫のような三角の耳を持つ異形の子どもで、親に捨てられたようだった。
これが、なかなかの拾いもので、一応の恩義を感じているのか、慶政を主と認め、言うことを聞く。
ただ、性格も猫に似たのか、自由が好きで、決して、本心から忠誠心が強いというわけではないのが玉に傷だ。
そのクロに、あちこちの屋敷を探させたが、それらしい物は何も出てこなかった。
ついに、内裏の宝物庫にまで潜入させたが、下手を打って、クロの噂が広がってしまい、使いづらくなった。
そんな最中だった。
「伏龍の正体が分かった。」
しばらく姿を見せなかった道満庵が、ふらりと戻ってきて言った。
「本当か?」
思わず身を乗り出した。
「ありゃあ、宋から輸入されたものなんかじゃねぇ。」
道満庵が、平べったい顎の無精髭を撫でた。何かを手に携えている。
「軸だ。清盛が書いた。」
クロに取ってこさせたのだという。
その軸を広げると、平凡な山河の絵と何か漢詩のようなものが書いてある。道満庵は、その漢詩の一部を指して、
「ここに、伏龍の正体が書いてある。」
「ほう?して、そこには何と?伏龍とは、何なのだ?」
道満庵は、軸に乗せた指を、二度、トントンと弾いてから、
「この国に、古から眠るものだ。」
「・・・この国に、古から眠るもの?」
「あぁ。それに、後世の人間が、唐物の龍って名を当てはめたのよ。」
「・・・なるほど。」
閉じた扇子を口元に翳して唸る。
「では、その古から眠るものを起こすには、どうすればいい?」
「やはり贄は要るな。それも、出来るだけ強い血の。」
「そうか。」
伏龍を行使するには、何らかの生贄が要るだろうということは、以前から想定していた。
少しでも妖力強いほうが良いと、最初は、妖蛇を使おうとした。
クロが偶然捕まえてきたもので、「このままよりも、人間を喰わせて育てたほうが良い」と、道満庵が言ったから、さほど身分の高くない、適当な貴族の娘と縁組でもする体で、生娘を見繕った。
婚儀が済んだら、そのまま地方の受領にでもなったことにして、父親には、女は死んだと報告するつもりだった。
しかし、すんでのところで、安倍公賢が踏み込んできて、阻止された。
惜しくはあったが、妖蛇自体、偶然得たものであったから、その策には、さほど固執していなかった。
道満庵から、できれば帝の血が入っている方が良いと進言されたから、今度は、そこそこの貴族の娘に狙いを定めた。遠縁ではあるが、血縁に帝の血が入っていた。
身分の高い貴族の縁組は、四方に知れ渡り、場合によっては帝の耳に入るので、以前のような手は使えない。
そこで、避暑で田舎に遊びに出ていたところを、クロに拐わせた。道満庵から貰った、唐物のおかしな薬を嗅がせると、すぐに気を失ったから、簡単だったらしい。
騒ぎになることも覚悟したが、なぜか、同時期に他の貴族の娘たちが相次いで行方不明になり、同様の案件だと捉えられたのか、思ったほど人々の気に留まらなかった。
女は定期的に薬を嗅がせていたので、逃げだすことはなかった。その女を、そのまま贄にするつもりでいた。
クロが、あの女を見つけ出すまでは。
白拍子、千鶴。
以前、公賢と共に、あの庵に踏み込んできた、変な女。
正直、遊び女など興味がないから、顔なんて、いちいち覚えていなかった。
しかし、クロが言った。
あの女の血は飛び上がるほどに美味い、と。
調べてみると、なかなか面白い事が、ぼろぼろと出てきた。
道満庵が、戯れに都に放った鵺を捕まえたとき、側にいたらしい。
鵺は、道満庵が、塚を暴いて遊び半分に蘇生させたもので、何かに使えるかもしれぬと好きにさせていたが結局、公賢に捉えられた。
いとも簡単に捉えたものだ、と思っていたが・・・・
「なるほど。餌があったか。」
しかし、その餌は諸刃の剣。
ニヤリと嗤った慶政に、
「どうした?」
道満庵が怪訝そうに尋ねたので、説明してやると、
「その女、使える・・・な。」
道満庵も同じことを考えたらしい。
「あれを実行に移すか。」
慶政が判断し、道満庵が頷いた。
あれーーーすなわち、謀反。
ずっと前から仕込んではあった。
いざという時に、慶政たちの身代わり、目眩ましにするために、反鎌倉方の貴族の中に、謀反の企てをでっち上げる。
貴族の手蹟は、内裏に忍び込めば、いくらでも手に入る。クロに取ってこさせて、字を真似ることの得意な者に、偽の血判状を作らせた。
あとは、それを証拠にして、適当な貴族たちを捕縛する。
しかも、運の良いことに、主犯格にしようと見繕っていた貴族、権中納言の藤原房親の邸宅に、千鶴は頻繁に出入りしていた。
すべては、慶政の都合の良いように、事が運んでいる。
これは私の理想を叶えよ、という神の思し召し。すべては天の采配だ、と思えた。
早速、謀反を表沙汰にし、白拍子を捕まえに行った。
あいつらは、近衛たちが捕まえにくるつもりと思っただろう。だから、逃がそうと策を弄する。
しかし、そんなことはしない。近衛が捕まえても意味がない。
女を欲しているのは、近衛じゃない。慶政たちだ。
目に見える大きな危険から逃れられると、気が緩んで、隙ができる。人間とは得てして、そういうものだ。
案の定、近衛がこちらの目くらましであることにも気が付かず、警戒を解いた途端、女はほいほいと、権大納言邸から出てきた。
先の貴族の娘を攫ったときと同じ薬をクロに渡してあったので、すぐに捕まえてきた。
喰わせろとしつこく言うクロを抑えて、道満庵に検分させたら、みるみるうちに目の色が変わった。
「これは・・・すごい。」
「帝の血が濃いか?」
「そうだな・・・・・いや?・・・それだけじゃない。」
道満庵は、何だかよく分からぬ不気味な呪具を手に、もう片方の手で千鶴の唇触れて、押し開けた。口の中に手をつっこみ、まじまじと中を覗く様は、あまり趣味の良い姿ではなかった。
「帝の血だけじゃない。何か・・・他にも神聖な・・・」
そこまで言って、それきり、言葉を止めた。
横で見ていたクロが、あまりにしつこくせがむので、指のあたりを少し切って、血を取って与えた。
クロは、その血を一口舐めると、恍惚の表情をして、「こいつは、間違いなく生娘だ。」と叫んだ。
「他の人間の体液が僅かでも混じっていたら、すぐ分かる。それほどに、純度が高い血だ。」
クロのうっとりとした顔は気色悪いと思ったが、最も心配していた点ーーー生贄とする女が、生娘であることが分かり、安堵した。
白拍子だから遊び女だろうと思っていたので、少し意外ではあったが、生娘のほうが、血の純度が高い。
そんなことさえ、天が自分に味方している、と慶政は思った。
「出来るか?」
伏龍の儀が、という言葉は、言わずもがな。
道満庵が黙って頷く。
「龍を呼び起こし、そして、この女を喰わせよう。」
平清盛が残した軸に、その儀の方法が書かれていたという。道満庵が検分していて、もう少しで読解に至る。
「私の・・・私の、術で呼び出すのだ。伏せた龍を」
道満庵は譫言のように、そう呟いて、
「安倍の陰陽師たちにも出来なかったことを、私は成し遂げる。」
道満庵は、わなわなと震えている。たぶん、喜んでいるのだ。
慶政は、その様を、冷静に見ていた。
安倍の陰陽師など、どうでもいい。ただ、龍を呼び覚ませば、それで良いのだ。
この国を作り変えるには、一度、壊す必要があるのだ。
そのために、龍は必要なものだ。
「道満庵。伏龍の儀をするぞ。」
かつて、英雄に斃され、この地に眠る、我が国に古から棲む龍。
ヤマタノオロチを、復活させる。
1章22の公賢と千鶴の会話を覚えている方がいると嬉しいです。
* * *
一応、完結の「結び」まで、ほぼ書ききっているのですが、回収漏れや説明不足のないように推敲を重ねて、重ねて・・・なので、更新スピードがやや落ちております。