86 都の攻防1
最初の揺れを感じたのは、唐錦が、ちょうど夕食を終えて、一息ついた頃だった。
普段は宮中に出仕している身だが、今は帝の許しを得て、実家の権大納言邸に里下がりをしている。
少し前に、千鶴をここに呼んで、知り合いの姫が行方不明になったので、様子を見てきてほしいと頼んだことがあった。
しかし、その直後、千鶴は何者かに誘拐された。
自分の依頼と千鶴の誘拐が、関係があるのかは、わからない。
ただ、先日、行方知れずとなっていた友人の姫らしき人物を保護した、と公賢から連絡があったことを考えると、全くの無関係とも思えなかった。
その後、一旦、内裏に戻った唐錦だったが、宮中は、謀反と平清盛の隠し財産の噂で持ちきりだ。
皆、どこか浮足立っている。
何か、良くないことが起きているのではないか。
心配しても、自由にできない女の身では、ただ、まんじりと千鶴の無事を祈るしかない。
そんな折、父の権大納言から、家に戻ってくるようにと連絡が来た。
宮中で、陰謀めいたものがあり、近々、大きな政変が起こるかも知れない。何が起こるのか想像もつかないので、自分の近くに置いておきたい、と言われたのだ。
唐錦は、見慣れた生家の庭を見つめ、女房の伊予の命婦相手に、
「それにしても、今の地震は大きかったわね。」
「えぇ。何事もないといいのですが・・・」
地震は不吉の前触れだから、などと話をしているうちにも、小刻みな揺れが起こった。
と、今度は、廊下を足早に歩く音がして、
「姫っ!姫はいるか?」
父の声がした。
「入るぞ!」
言うと同時に、権大納言が、廊下と隔てた几帳の向こうから顔を出す。
「お父様!!」
権大納言は、「大丈夫か?」と唐錦の身を案じながら、部屋の中に入ってきた。
「この揺れは一体、何でしょうか・・・?」
大きい揺れは、最初の一回だけだが、小刻みな揺れは今も断続的に続いている。
「やられた。伏龍が発動している。」
「伏龍?・・・それは、何でしょうか?」
父は、女房たちを一旦退出させると、唐錦に顔を寄せ、小声で、
「伏龍とは、平清盛が宋より取り寄せた呪具だーーー言われている。それも、手にしたものは天下を手中におさめるような代物だ。」
「呪具・・・でございますか?それでは、その呪具を使い、何者かが、術を発動させたのでしょうか?」
「いや、違う。」
権大納言は、首を横にふった。
「私もつい最近まで、伏龍とは術具だと思っていたが、公賢どのによると、正しくは、道具ではないのだそうだ。」
「道具ではない?それでは、伏龍とは、何を指すのでしょうか?」
「天と地を覆す術、そのものだ。」
「天と地を覆す術っ!?」
あまりに穏やかでない言葉に、唐錦は両手を口許に充てて、「ひっ」と短く嘆息した。
「そのような恐ろしい術が・・・あるのですか?」
「ある。」
権大納言はきっぱりと頷くと、
「大地には、巨大なる魔が眠っている。それは、遥か昔から、我ら妖かしたちの間で語り継がれてきたことだ。」
その妖かしは、地の奥深くに伏した伝説で、生贄を捧げると、目を覚まし、大地を揺らす。そして、竜巻、洪水、その他、あらゆる災厄をもたらし、この国を一掃する。
「その眠っている妖かしこそが、伏龍のことだったのだ。」
頭中将は、龍を目覚めさせ、この地に築いたものを全て、無にするつもりなのだ。そして、改めてそこに、新たな枠組みを築く。
それが、頭中将と道満庵の陰謀。
「頭中将は、もう隠すつもりはないようだな。これだけの事をしでかしたのだ。帝の耳にも入っておる。」
「頭中将の陰謀と千鶴が拐われたことは、何か関係があるのですか?」
「・・・その贄となるものは、神に近い血筋であるほど、よいらしい。神の末裔、すなわち現世においては、帝だ。」
「えぇっ?・・・それでは、千鶴は、帝の血をひいているのですか?」
確か、彼女は孤児で、実の親のことはよく知らないはずだ。
「公賢殿も人が悪い。」
権大納言が、ぽつりと呟き、
「母方の祖母が、三代前の帝の妹君だそうだ。」
「まぁっ?!では、公賢さまは千鶴のことを、ご存じだったのですね。」
権大納言が、苦笑した。
「千鶴には、詳しく話してはいないようだがな。」
「では、もしかして千鶴は、その伏龍とやらの贄に? 千鶴は・・・無事なのでしょうか?」
「わからぬ。」
恐ろしい妖かしを起こすための贄。考えるだけで震えが止まらない。
権大納言は、沈痛な面持ちで、
「ともかく、無事であることを祈ろう。」
◇ ◇ ◇
最初に頭中将を発見したのは、治部卿である平業兼だった。
かつて公賢と千鶴に世話になった業兼は、公賢からの協力要請に、二つ返事で引き受けた。
公賢から、頭中将の陰謀の全容を聞いたとき業兼は、背筋に寒気が走った。
国家の転覆。それも、単純な転覆ではない。
一度全てを打ち壊し、混沌の中に新たな帝を据え、一から国を作り直す。相当な力技だ。
狂っているとしか思えない。
治部卿は、帝のことを思い浮かべた。彼は、藤袴の甥にあたる。
まだ、10歳そこそこで帝位についた少年王は、聡明で、穏やかな性格だ。ここ数年の間に台頭してきた新勢力に対しても、肩入れしすぎず、かといって、冷遇することなく、冷静に裁いている。
それが反鎌倉勢からみると、物足りなく感じているのも分かる。
だが、業兼の目には、それは仕方がないことのように思えた。すでに、武士という勢力は、事実としてあり、武力では彼らにかなわない。
頭中将が、理想としているのは、数百年もの間続いた帝と公家による統治なのだろう。名残惜しむ気持ちは分からなくはないが、もう、そこに戻ることはできない。
「頭中将殿!投降されよ!!」
業兼は、月明かりに佇む頭中将こと、九条慶政に、告げた。
頭中将は焦る様子を見せるどころか、扇子で優雅に顔をあおいでいる。
「頭中将どの!すでに貴方のやったことも、貴方の野望も、帝の耳に入っている。」
頭中将は、にやりと笑った。
その笑みに、業兼の背筋がぞくりと冷えた。それを、持ち前の胆力で抑え込んで、
「貴方は、すでに包囲されている。逃げることは出来ない。」
左京、二条。
正面から相対するのは、平業兼。そして、背後にも兵が囲みつつある。
どう考えても、こちらが優勢。
「近衛の兵を使っていますね。私の部下なのに、なぜ治部卿である、あなたの指揮下にいるのでしょう?」
頭中将の言う通り、今回、兵部省と近衛府から人を動員していた。頭中将は近衛中将でもあるから、本来、彼らは頭中将の部下にあたる。
「帝に許可をいただいたのだ。ちなみに、頭中将殿は、内々に左中将の役職を解かれることが決まっている。」
「聞いてませんね。」
「決定事項だ。」
いい放つと同時に、兵に命じて、頭中将に、飛びかからせる。
「おぉっと!」
頭中将は、風になびく柳のように、ひらひらと、自然な動きで、兵たちを躱した。
「鍛え方が足りませんな。我が部下ながら、情けない。」
頭中将の武における実力は、不明であった。
中将は、出世頭の若者がよく歴任する役職なので、必ずしも武に秀でているとは限らない。
流鏑馬は上手いという話だが、実戦で戦える実力が、どの程度あるのか。
一方、平業兼は、武官こそついていないが、かつて美濃守であった。美濃は、清和源氏ゆかりの地であり、腕に覚えのあるものも多い。
かつては、そういう輩と相対していたのだ。
その辺の優男に負けるつもりはない。
ゆらゆらとおちょくるように近づいてくる頭中将に対し、業兼も腰の剣に手をかけた。
「躱してばかりでは、勝てぬぞ!」
業兼は、頭中将に刃を向ける。
公賢からは、出来る限り生け捕りにするよう、言われている。
加減しながら、戦い、捕縛する。
そう決めて挑んだのだが、意外にすばしっこい。
「どちらにしろ、逃げることはできぬ。公賢どのは、あなたが京に現れる可能性を読んでいた。すでに、都中に、お主を捕まえるための包囲網がしかれている。」
「なめられたものですな。」
頭中将は、業兼の太刀を、汗一つかかずに避けながら答えた。
「都に配置した兵が、この程度とは。安部公賢自ら、囮となり、福原に出向いたのが、裏目になっている。あの者なくして、私たちを捕らえられるはずがない。」
「な・・・におぅっ!」
わかりやすく、小馬鹿にされたことで、業兼の頭に血が登った。
「馬鹿にするなっ!!貴様など、私たちで十分!捉えて、御前に差し出してみせるわ!!」
生け捕りは最良の策だが、必ずとは言われていない。
止めることが第一なのであり、結果的に死に至った場合は、致し方ない。
業兼は、手加減をやめた。
頭中将の挑発するような、動きを、じっと観察する。業兼の動きに合わせて、右へ、左へ。紙一重のところで、躱してていたが、
「ここだった!」
次の瞬間、業兼は、右上から左下にかけて、袈裟懸けにきった。
それまで、するすると動いていた頭中将の動きが止まった。切られたことを悟ると、顔に、驚きの表情を浮かべたかと思うと、やがて、苦痛に歪み始めた。
「・・・許せ。」
そう言い放った瞬間。ずどん、と背に鈍い痛みが走った。驚いて振り替えると、自分の背から突き出た矢の先が見えた。
そして、その向こうには、いましがた矢を放ったばかりの弓を携えた、頭中将。
「おぬ・・・し・・・」
たった今、切ったはずの男が背後で、ぴんぴんして弓を掲げる姿に、驚愕して目を見開く。
「ご存じありませんでしたか?あれは虚像ですよ。」
頭中将が芝居がかった言い方で、「お気の毒に。」と告げる。
「所詮、力のみを頼りにするから、こうなるのです。愚かな者よ。」
頭中将が、次の矢を携え、放った。
業兼の心臓に向けて、まっすぐ。
あぁ、やられる。
業兼は、自分の敗北を認め、静かに目を閉じた。そのとき、
「愚かなのは、あなたです。」
業兼の頭上から、聞き覚えのある声が振ってきた。
ハッとして、目をあけ仰いだ。
そこには、宙に浮いたまま止まる矢と―――
「公賢どのっ!」
安倍公賢が、すぐ隣の屋敷の塀の上にいつもの涼しい顔で、腰掛けていた。
◇ ◇ ◇
京都守護、平賀朝雅は、右京の朽ちた屋敷の前で構えていた。
かつては、立派な建物があったのかもしれないが、今は、土台と、僅かに残る屋根のみが、その痕跡となっている。
朝雅が、取り囲んだまま、すでに二刻はたっている。
中にいるのは、芦高王子。
芦高王子は、ちょうどよい王子だった。
生まれは卑しくないが、母親の縁者に育てられていたので、宮中の知り合いは、ほとんどいない。
だから、頭中将と道満庵に担がれたのだ。
彼らだけで謀反を起こしても、なんの意味もない。しかし、そこに、頭に据える帝の知があれば別だ。
だから、担ぎ上げられ、今はこの屋敷で身を隠していた。
「どうしましょうか?」
部下が、声をかけてきた。
「まぁ。ここで、粘るより仕方あるまい。そのうち出てくるだろう。」
「踏み込みませんか?」
「仮にも王子だ。」
頭中将の方は、治部卿が追っている。
一番、腕をかっている惟任は、福原に回した。あいつがいれば、この場を任せて、他を見回りに行けるのだが。
朝雅は、ため息混じりに、朽ちた屋敷の跡を眺めた。