83 少年の憧憬1
今日から、公賢の過去についての話です。
一応、神仏習合の時代であったと言うことだけ、前置きさせてください。
愛した人の運命は、生まれ落ちたときから、決まっていたという。
その人は、公賢より、8年早く生まれた。
父である帝は、彼女が生まれて、三刻とたたないうちに、四方の名だたる僧を集めて、占わせた。間をおかず、集められた者全員が、全員とも、口を揃えて言ったという。
「神に仕える身となる御方です。」
果たして彼女は、その宣託どおり、10歳の時に伊勢斎宮となった。
伊勢斎宮は、未婚の内親王から選ばれ、都にいる帝に代わり、伊勢神宮に仕える役務を負う。
一連の取り決めに従った儀式が終わると、大勢の女官を引き連れて、伊勢へと下ってきた。
安倍公賢が、彼女と初めて会ったのは、5歳の時だった。
公賢の父は安倍家に連なる陰陽師で、しかし、安倍家にとって手に負えない男だった。
当時の当主が、どこかの馬の骨ともつかぬ娘に手を付け、産まれた庶子だ、と言われていたが、本当のところは分からない。
父は、どうしようもない男だった。
庶民の手には届かないはずの酒を、どこからか入手しては、浴びるように飲む。
女の尻ばかりを追いかけ、あっちこっちに入り浸る。手を出す女は未婚、既婚を問わず、気に入ったら、あっという間に、口八丁手八丁で、手籠にしてしまうから、あちらこちらで諍いばかり起こしてくる。
さらに質の悪いことは、陰陽師としての能力が、桁違いに高かったことだ。
普段は、伊勢の田舎に引っ込んでいた父だが、本家本流の安倍家で解決出来ないことが起こると、都に呼ばれる。
秘密裏に。
名前も存在も残さぬように。
安倍家は、ただ、その能力だけを利用していた。
だから、家名を汚すあの男の存在を、安倍家は黙認していた。
素行の悪さで切られそうな首の皮を、能力の高さで、ぎりぎり繋ぎ止めているような、そんな男だった。
当時、公賢は、父と一緒に伊勢にいた。
母はいない。
ひょっとしたら、父が入り浸っていた幾人かの女たちの中にいたのかもしれないが、公賢は知らない。
産まれたと同時に、父が女から取り上げたのだという。
仮に母があの女たちの中にいたとしても、一度も会いに来たことのない女だ。公賢に情などないだろう。
父は、本当は、子を引き取りたくなど、なかったはずだ。
だが安倍家が、それを許さなかった。
高い能力をもつ父の、血を受け継いだ息子。父同様に使える道具ならば、生かして、育てたほうが良い。
公賢を育てるというだけで、安倍家からは、かなりの援助があったようだ。
父はその殆どを酒と女に使ってしまったから、公賢は恩恵を受けていないけれど、少なくとも、捨てられることはなかった。
そんな公賢の状況を憐れんだ伊勢の神官たちが、良く公賢の面倒を見てくれた。
手伝いをする代わりに、食事をくれたり、読み書きを教えてくれたりした。
まだ童姿の公賢は、伊勢神宮の手伝いをする小僧として、神社にも出入りしていた。
5歳になる頃の公賢は、すでに陰陽師としての能力の片鱗を見せ始めていた。
妖かしを見る力もあり、さほど強くないものなら、祓うこともできる。
神官たちに九字の切り方を教わってからは、あっという間に彼らの力を凌ぎ、彼らですら手をかけないと祓えないような厄介なものまで、いとも簡単に祓ってしまう。
神官たちは、公賢のことを、その容貌と血筋から、「狐の坊主」と呼んで、単に手伝いの小僧として以上に、公賢のことを重宝していた。
「お前は都に行けば、あっという間に政権を揺るがすほどの権力を持つだろうな。」
あまりにも神官たちが、心配そうに言うので、公賢は特に考えもなしに、「別に都に興味はありません。伊勢で満足です。」などと、答えていた。
伊勢斎宮に出会ったのは、そんなときだった。
まだ公賢は、元服前の童姿だから、女官たちの多くいるところでも、気にせずに出入りができた。
ある日、公賢は、勝手知ったる神社の境内で、そのへんを浮遊している適当な霊や妖かしを、呪をかけた糸で繋いで遊んでいた。
ちょうど、同じ年頃の少年たちが虫を捕まえて、糸を結んで飛ばせているのと同じように。
公賢には虫よりも妖かしのほうが馴染み深いものだから、そうして遊んでいただけだなのが、そのとき、ふいに背後から声をかけられた。
「その者たちに飽いたら、ちゃんと離してやるのですよ。」
公賢は驚いて振り返った。
声をかけられたことに驚いたのではない。
糸の先のこれが見えることに驚いたのだ。
「見える・・・のですか?」
「えぇ。ぼんやりと。」
神官たちでさえ、見えない者がほとんどだ。だから、咎められたことなど、一度もない。
それを、この人はちゃんと認識できるのだ。
「そのように声をかけられたのは、初めてです。他の方には見えないようで・・・」
「そうですか。」
「あなたは、何者ですか?」
「私は、伊勢斎宮。」
そう言って、その綺麗な人は、艷やかな髪をサラリと靡かせて笑った。
「それでは、あなたがやりすぎたときに注意するのは私の役目、ということですね。」
公賢よりは、だいぶ大人の、でもまだ少女の名残りのある、いたずらっぽい笑顔で。
◇ ◇ ◇
「神官さまたちのお手伝いは、大変でしょう?」
斎宮は、公賢がやって来ると、庭に面した部屋で御簾を上げて迎えてくれる。
公賢は、出してもらう珍しい菓子を口に含みながら、「いえ。さほど。」と答える。
「父が碌でなしなので、皆が憐れんで、仕事をくれるのです。ただで食べ物を恵まれるのは、嫌だろうと。」
「嫌、なんですか?」
「まぁ・・・嫌、ですね。」
公賢は、縁側から投げ出した足をブラブラ振った。
「・・・同情されるのは、好きではありません。」
「まぁ。」
斎宮が、呆れたように微笑む。
「狐の坊っちゃんは、まだ小さいのだから、そんなことを気にしなくてもいいでしょう?」
「・・・・・」
斎宮は、公賢より8つ上。
確かに斎宮から見れば、公賢なんて、幼子に過ぎない。
それでもーーー
「この神社の殆どの大人たちよりも、自分のほうが、祓う力はずっと強いですよ。」
斎宮に、こんなふうに小さな子ども扱いされるのが、公賢は気に入らなくて、つい、あからさまに口を突き出して、不機嫌な顔をしてしまう。
それを、斎宮が、
「えいっ。」
「っ!?」
頬を軽くつねるように引っ張った。
「っな・・・な?!」
「不機嫌な顔をしていますよ。」
斎宮は、貴方はまだお小さいから、素直に顔に出るのが面白い、とカラカラ笑う。
「内裏にいると、皆、腹の探りあいですからね。」
都の話題にしたときの斎宮は、いつも、あまり幸せそうな顔をしない。
「斎宮さまは、いつか、内裏に帰るのですか?」
斎宮は、「さぁ?」と、困ったように首をかしげた。
「今の帝がいらっしゃる間は、余程のことがない限り、ここにおりますよ?」
斎宮は、帝の交代に合わせて選任される。帝の在位中は、何か特別な事情がない限りは、退任しない。
「それなら、ずっと帝が今のままならいいな。そしたら、貴女は、ずっと、ここにいられるでしょう?」
「あら?でも坊も、いつかは都に行くのでしょう?」
斎宮が、公賢の頭をフワリと撫でた。
「そう・・・なのかな。僕は別に、行かなくてもいいけど・・・都って楽しい?」
斎宮は、顎の下に手を添えて、「そうですねぇ・・・」と、何かを考えるように斜め上に視線を巡らす。
「坊は、妖かしや魔の者を払うのが得意でしょう?」
「まぁね。」
「宮中というのも、魔がたくさん住み着いているところです。ですが、この魔、なかなか簡単には払えない魔です。」
「そんなに強いの?」
「強くて、多いのです。しかも、質の悪いものばかり。何せ内裏は、別名、伏魔殿と呼ばれるほどですから。」
公賢は、少し考えてから、
「でも、まぁ、魔の者なら、ボクは払えると思うな。今は無理でも、大人になれば、もっと強くなる。」
「そうでしょうね。」
「だけど、やっぱり興味ないな。斎宮がここにいるなら、ボクも、ずっとここにいる。」
斎宮は、「あらあら。」と笑ったかと思うと、少し哀しい目をして、ポツリと言った。
「でも、あなたの一族が、その能力を放っては置かないでしょうに。」
公賢は、「ふーん。」と相槌を打った。
斎宮の言葉の意味は、よく分からなかった。
そうやって、穏やかな毎日を過ごしているうちに、2年の月日が過ぎた。
公賢は、7歳になっていた。
「斎宮さま、何をご覧になっているのですか?」
いつもどおり、庭に面した縁側から、身体をのりだし、部屋の中の斎宮を呼ぶ。
「新しい絵巻物ですよ。都から取り寄せたのです。」
斎宮は、開きかけの巻物を両手を広げてもち、公賢の側に来た。
ゴロンとうつ伏せしている公賢の横に座ると、
「ほら。坊っちゃんも一緒に見ましょう。」
「これは・・・源氏物語、ですか?」
読み書きから手習い、そして、様々な神話や物語。そういったものの多くを、公賢は斎宮から学んだ。
斎宮はまるで姉のように、公賢を可愛がっていて、公賢もまた、斎宮を特別な人だと慕っていた。
特別な、特別な、年上の女性。
もちろん、邪な気持ちを抱いてなどいない。
それは、公賢がまだ幼かったせいだけではない。
彼女が斎宮だからだ。斎宮は、神に仕える身の人だから、未婚であることが求められる。
だから、公賢のこの想いは、ただの憧れなのだ。
ーーーそうでなければ、いけないのだ。
「斎宮さま。今夜は望月(満月)だそうですよ。」
「そういえば、神主たちもそう言っていましたね。」
斎宮が、源氏物語の十六夜の絵をなぞっていた指を止めた。
「内裏では、月見の宴を催すのですか?」
「この時期の望月は、とりわけ大きく綺麗ですからねぇ・・・」
斎宮が、「そうだわっ!」と言って、ポンと手を叩いた。
「坊、今夜、私と一緒に月見の宴をしましょうか?」
「一緒に?」
「えぇ。」
「私と斎宮さまの二人で・・・ですか?」
「私と狐の坊の二人で。」
行きたいーーーでも・・・
「よい・・・のですか?望月は夜ですよ?」
斎宮は、キョトンとした顔をしたかと思うと、たまらず、と言った様子で、プッと吹いた。
「何を当たり前のことを言うのです。月は夜に決まっているでしょう?」
あーおかしい、と目に滲んだ涙を指で拭っている。
「夜、この蔀戸をあけておきます。お団子を用意しておくから、二人で食べましょう。いつものように、ここにいらっしゃい。」
それから、いたずらっぽく人差し指を立てて、
「私と坊、二人だけの秘密ですよ?」
「はい!」
公賢は、二人だけの秘密、と言われた事が嬉しくて、ガバっと飛び起きた。
「あらあら、御髪が乱れて。」
斎宮が、「ちょっと待ってて。」と、部屋に引っ込んだかと思うと、すぐに片手に何か持って戻ってきた。
「さぁ、あっちを向いて座りなさいな。」
言われたとおり、庭に向かって座り直すと、斎宮が、その髪を丁寧に梳いてくれた。
「力があっても、まだまだ子どもね。」
斎宮の柔らかい手が、頭や項を通るたび、公賢の心は、ふわふわとした何かに包まれ、温かいような、でも、とても落ち着かないような気分に襲われる。
気恥ずかしさから、もじもじと視線を巡らし、斎宮の手元を追うと、菊の意匠をあしらった柘植の櫛が目に入った。
長いので3回程に、分けます。
次回は、話が展開します。