80 福原の攻防2
「遅くなって、すまない。」
その台詞は、惟任に向けられたものでも、公賢に向けられたものでもなかった。
それは、腕のなかで命つきかける斑の姫、その人に向けられたもの。
姫は、うっすらと瞳をあけ、自分を抱きしめている男の顔を認めると、苦痛に歪んだ顔が、一瞬、ほろりと綻んだ。
それから、最後の気力を振り絞るがごとく、
「青嵐の中将・・・」
と、男を呼んだ。
たった一言、名前を呼んだだけで、この男が、斑の姫にとっての何者であるのかが分かる。
姫の目に滲んだ涙が、一筋、頬を伝った。
青嵐の中将は、応えるように一度、強く斑の姫を抱きしめると、
「・・・公賢どの。私を連れてきてくれて、ありがとう。」
全身から振り絞るように、感謝を告げた。
「姫には私の妖気を与えます。今しばらくは、持つでしょうから、あの男を・・・!」
「惟任っ!」
公賢の鋭く突き刺さるような指示が飛ぶ。しかし、それより早く、惟任は、駆け出していた。
鞘に包まれたままの刀を振り上げ、地面を蹴る。
飛び上がって、胴を打った。
関係者は生け捕りに。
公賢からも、朝雅からもそう言われている。
僧は、惟任の一撃で、後方にぶっ飛び、地面を転がって、気絶した。
「捕縛!」
公賢の掛け声で、空中から白い縄が現れ、あっという間に、僧を縛り上げる。
「道満庵、あなたの負けです。」
公賢の背後には、人型に変化したつり目の女房が、同じく白縄に縛られた黒拍子を連れていた。
公賢は、道満庵を捉えた縄を確認すると、すぐに、斑の姫のところにとって返し、
「退いてください。」
青嵐の中将が、姫の身体を支えたまま、正面を公賢に譲る。
公賢は、しゃがみこんで、まっすぐ伸ばした人差し指と中指を揃えて、口許に充てた。
それから、顔の前に収まるくらいの、小さい九字を切った。
その間、青嵐の中将が、やや青ざめた面持ちで、神妙に待つ。
斑の姫は、変わらず、ぐったりとしていて、透けてしまいそうなほどに影が薄い。
しばらく何かを唱えていた公賢が、やがて目を明けると、青嵐の中将の方を向いて、しっかりと頷いた。
それでようやく、助かったのだと分かる。
「ふぅっ。」
見守っていた惟任からも安堵のため息が漏れた。滲んだ汗が、するりと額を流れ落ち、知らず知らず、緊張していたことに気づく。
公賢は、斑の姫を青嵐の中将に預け、立ち上がった。
悠然と歩き、道満庵の前で、ピタリと足を止めた。
「さて二人、捕まりましたよ。」
公賢は、縛られたまま転がされている道満庵ではなく、もっと遠くに向けて、よく通る声を発した。
すると、向こうの木の影から、するり、と長身の男が、姿を現した。
「っ頭・・・中将!?」
まさか、噂につられて、本当にここまで足を運んでくるとは。さらに、自ら姿を現したことに、惟任は、驚嘆の声をあげた。
「半妖と道満庵は、こちらの手にあります。」
公賢が、頭中将に向けて、「さぁ、あなたはどうしますか」と、賽を投げる。
投げ掛けられた頭中将は、口許を緩め、「ふっ」と笑った。悲観的な笑みでも、自嘲的な笑みでもない。余裕のある笑い方。
「状況は何も変わっておらんよ。」
目を覚ましたらしい道満庵が、縛られて転がされたまま、横から口を挟んだ。
「あんたらの取り返したがっている白拍子は、こちらの手中にいるのだ。戦況は五分と五分。いや、ワシらのほうが有利か。」
「千鶴どのは、どこだっ!?」
惟任が、押さえきれぬ怒りのあまり、道満庵の胸ぐらを掴むと、道満庵が、「ふんっ。」と嘲笑った。
「教えるわけがなかろう。」
続く一言がいけなかった。惟任の、最も触れてはいけない逆鱗に触れた。
「あれは、ワシの手に入れた中でも、最高級の道具じゃ。命尽きるまで、利用させていただく。最期の一滴まで、搾り取ってみせるわ。ふっはっはっ・・・」
気づいたときには、刀を鞘から抜いて、道満庵を捉えている縄ごと一刀両断にしていた。
「っが!!」
道満庵の額から、鳩尾にかけて、深く食い込むような一太刀。
惟任は、その太刀をふるいながら、自分に驚いていた。
逆上して、主の言いつけを破り、切り捨てるとは、所詮、自分も父の子か。
刀を納めた惟任は、そのまま、がくんと、片膝をおった。
頭上から、公賢のため息が降ってくる。
「申し訳け・・・ありません。」
言い訳はできまい。
「殺して、しまいました。」
しかし、惟任の予想に反して、公賢は、「違いますよ。」と、即座に否定した。
「あなたは、殺してはいません。面をあげなさい。」
「は?」
顔をあげると、そこには、
「何も・・・いない?」
確かに切った手応えがあったはずなのに、そこには、何者の姿もなく、ただ、縛っていたはずの白い縄の切れ端だけが、残っていた。
「謀られました。」
公賢が、右手に何か白いものを持っている。
「これは、私の使う式と同じようなもの。あなたが、切った瞬間、道満庵の姿は、これに戻りました。」
つまり、今の今まで戦い、捉えたと思っていた道満庵は、陰陽師のような技を使って作り出された偽物というわけか。
「あれだけ実体に近いものを作り出すとは・・・かなり高度な技です。」
公賢が、感心するように言った。
惟任は、ハッとして、頭中将の方に、視線を向けた。
「それでは、あれも!!」
公賢が頷く。
「偽物、でしょうな。」
それなら、余裕の笑みも納得できる。
頭中将が、木の側を離れ、こちらに向かって歩き出した。
顔がはっきりと見えるところで、ピタリと止まると、
「意外と早く露見してしまいましたな。」
作り物とは思えないほど、精巧な顔で、挑発的に小首を傾げた。
「なぜ、こんな真似を?」
惟任が尋ねると、頭中将がこちらに、ちらりと視線をよこして、
「平清盛の隠し財産が、福原で見つかったーーーこの噂が、意図的に流された虚偽であることは、気がついていました。」
「ほう?どうしてですか?」
公賢の問いかけに、頭中将が「出所、ですよ。」と、答えた。
「この噂の出所を辿ると、2つの場所に行き当たりました。」
「2つ?」
頭中将は1本の指を立て、
「1つは、権大納言です。」
その予想は合っている。この噂を宮中に、流す役目を、権大納言 花山院忠経が引き受けている。
「権大納言は、普段、こういった宮中の噂には、無関心。むしろ、真偽確かでないものからは、あえて、距離をおく質の人です。それが、今回は、誰をたどっても、かの人に行き当たる。しかも、それでいて、権大納言より先が辿れない。これは、とても不自然なことです。」
やはり、迂闊に噂に飛び付くよう輩ではなかったか。
「もう1つの出所は?」
尋ね返す公賢に、動揺の色は見られない。
「一条兼助という名の男のところに、末の姫がいるでしょう?」
一条家 三の姫、つまりは鶯の君のことだ。彼女こそ、この策を考えた張本人。
「もう一つの出所は、なんと、その姫お付きの女房です。」
惟任は、思わず頭を抱えた。
鶯の君に、阿漕という名の女房がいることは、知っている。しかも、たいそう噂好きらしく、いつぞや、黒拍子のことを千鶴に吹き込んだのも、彼女だった。
おそらく、鶯の君から、その話を聞き、黙っていられなくなったのだろう。あるいは、自分も協力するつもりだったのか。
しかし、さすがにそう有力でもない貴族の、しかも女房から噂が立つなど、どう考えてもおかしい。善意だとしても、完全に逆効果だった。
「なるほど。」
公賢は、納得した様子で、頷いた。
「そこまで分かっているならば、何故、わざわざ、式で紛い物を作り出してまで、ここに姿を現したのですか?」
確かに公賢の言うとおりだ。
嘘だと思ったのなら、放っておけばいい。わざわざ回りくどい真似をして、こちらの策に乗ってくる意図はなんだ。
「まぁ、あなたたちの下らない作戦に引っかかっるという酔狂な遊びをした、というのもありますが、それより目的は・・・」
頭中将が、人差し指をピッと立て、安部公賢の顔に向けた。
「あなたですよ。」
公賢は、指の先をちらりと、見てから、すぐに、頭中将の顔に視線を戻した。その悠然とした態度は、いつもと変わらないように見える。
頭中将は、指先を下ろし、腕を組むと、
「あなたの言うとおり、私たちは、わざわざ、ここに来る必要なんて、何もない。何故なら、そもそも、伏龍は、すでに我が手中にあるのだから。」
「なんだってっ!?」
叫んだのは、黒拍子だった。
「それは、一体、どう言うことだ?」
どうやら、何も知らなかったらしい。ひどく驚いて、目を剥いている。
「伏龍が、すでにあんたの手の中って・・・」
「クロに二度目に、内裏に忍び込んでもらった際、軸を取ってこさせただろう?」
黒拍子は、すぐに思い当たったらしく、「あぁ。」と頷いた。
「あれは、使われていない奥の部屋だな。宝物庫に比べたら、大したことはなかった。」
黒拍子は、残忍な笑みをにやりと浮かべ、
「まぁ、途中で変な女を切っちまったこと以外はな。」
千鶴が近衛の舎人として、遭遇した、あの晩のことだと分かる。
「あれは清盛が宋から取り寄せたという古い軸。山河の絵と詩が書いてある。そう価値のあるものではない。しかし実は、その詩は、清盛の手蹟によって書かれたものだ。伏龍の全ては、あそこに記されていたのだ。」
「なんだと?!」
「まぁ、完全に読解に至ったのは、つい二日前のことだが。」
「じゃあ、俺がここに忍び込んだのは、丸っきり無駄ってことじゃっ・・・」
「使うんですか?」
二人の会話を、ピシャリと遮るように、公賢が聞いた。
先程までとは、うってかわり、冷たい声。
振り向くと、眉を吊り上げ、険しい表情をしていた。
「使うんですか?伏龍を。」
頭中将は、「ふふ。」と笑った。
「あれほど鎌倉を憎んだ清盛でさえ、手中に納めて尚、使わなかった、禁断の術。それを、あなたたちは、使うんですか?」
「愚問、ですね。」
頭中将は、首を軽く回して、こきり、と鳴らした。
「わたしは、清盛ではありませんよ?」
「では、なぜ使わなかったかも分かっている、ということか・・・」
公賢から、ぶわっと怒りの気配が立ち上るのを感じた。
しかし、頭中将は、全く気に止めていないらしい。あるいは、術で作り出した偽物だから、この気配の変化に気がつかないのか。
「クロ。先程の質問に答えましょう。」
黒拍子が、目をパチパチとしばたいた。
「あなたがここに来た意味はあるのです。何故なら、我々は、この男、安部公賢を少しでも長く、ここに留めなくてはいけなかった。できれば、捕まえたかったが、それはやはり難しいようだ。なれば、せめて、足止めくらいはしておきたい。それには、全員が偽物ではだめなのです。特に、クロの動きは偽物を、作れませんからね。」
惟任は、改めて黒拍子をみた。
頭中将、道満庵とは違い、これだけは本物らしい。
「なるほど。偽物のあなたが、出張ってきた目的は私、ということなのですね。」
「そう。あなたが都にいては、邪魔なのです。私たちの行う、伏龍の儀式に!」
頭中将が声高に叫ぶと同時に、地面ががたん、と揺れた。
「地震っ!?」
頭中将の姿が、陽炎のように、ゆらゆらと消え始めた。
「安部公賢!あなたが都に戻る頃には、手遅れです。自らの失策を悔いながら、大いなるうねりに飲み飲まれて死するが良い。」
頭中将は、みるみるうちに、一枚の紙片となり、風に巻き上げられて空を舞った。
紙片はそのまま空を飛び、あっという間に黒拍子のところまで飛んでいって、しゅんっという音ともに、黒拍子に巻き付いていた白い縄を切った。まるで鋭い刃のように。
はらり、と縄が落ち、黒拍子の拘束が解ける。
危険を感じた女房が猫の姿に変わり、後ろに飛び退いた。
黒拍子は、背を丸め、ゆらりと立ち上がる。拘束は溶けたが、手負いであることに代わりはない。分はこちらにある。
「・・・逃げられましたな。」
ひらひらと舞う紙片を見て、公賢が言った。その動きに、意思はない。ただの紙だ。
惟任は、繰り返し揺れる地面の上で、均衡を保ちながら、刀を抜いた。
黒拍子と対峙するために。
「ここは私に任せ、公賢どのは、急ぎ都へ。」
これで、斑の姫の悲恋が回収できました。
よかった!ここまで書き続けられて!!
斑の姫は、好きなキャラクターなので、ちゃんとまとめてあげられたことに、ホッとしています。
福原はここまで。次回、場面が大きく変わります。
引き続き、よろしくお願いします。