79 福原の攻防1
西の山の端に沈む太陽が、最後に残った一筋の光明を隠すと同時に、それが、始まった。
襲撃。
郎党たちが、突如、悲鳴をあげた。
「明かりを焚けっ!!」
惟任の声で、松明が、一斉に灯る。
幾本もの松明のおかげで、辺り一体、見渡せるようになった。
惟任は、倒れている者の数を目算した。
およそ、4、5人。
相手は―――?
惟任たちのおよそ3倍の軍勢が押し寄せていたが、それは問題ではない。郎党たちのほうが、圧倒的に剣技に優れ、あっという間に薙ぎ倒していく。
そのとき、男たちの間を、黒い影が横切った。
「黒拍子っ!?」
縦横無尽に飛びすさびながら、男たちに、一太刀、二太刀と、目にも捉えられぬほどの早業で、次々に浴びさせる。男たちは応戦しているが、動きが早すぎるうえ、多勢が目眩ましになって、防ぐことが困難だ。
あれの武器は、爪。おそらく、一太刀は重くない。急所を抉られないかぎりは、一撃で殺られることはないだろう。
血しぶきが、そこかしこであがっている。急所に入らずとも、数を浴びれば、失血の危険がある。
惟任は、ちらりと背後の公賢を見た。
公賢は、印を結んでいるが、動く気配はない。
公賢を守ったほうが良いだろうか?思った瞬間、それを汲み取るように、
「私に構わなくて宜しい。」
微動だにせず、言った。
「私があれに狙われることは、ありません。」
惟任は、頷くと、前方を凝視し、影の動きを探った。
影は、右から、左へ。高く跳躍し、次の獲物はーーー ?
「ここだぁ!」
狙らわれた男の背後に躍り出て、剣で真っ正面から爪を受けた。
カンッ
松明の炎が爆ぜる音に混じって、爪を弾く、甲高い音が響き渡る。
黒拍子が後ろに飛んで、片足で地面に降り立った。
爪の長い、背中がひどく丸まった、黒装束の男。
千鶴から、聞いた通りの相貌。
「黒拍子だな?」
黒拍子が、ぺろりと舌なめずりをした。細くて長い舌だ。
「そんな呼ばれ方も、したかもな。」
長い爪のついた両手を顔の前で構え、片足で立ったまま、ゆらゆらと身体をゆすっている。
「まいったな。あんたは、全員殺ってからのつもりだったんだが。俺が、時間をかけすぎたか。」
「どういう意味だ?」
黒拍子は、楽しそうに、にたにたと笑った。
「だってあんたは、雑魚とはちがうだろう?」
回りを見回す仕草。それにつられて、周囲に視線を巡らすと、すでに、立っている男のほうが少ない。残った者たちも、他の者たちを相手にするので、精一杯だ。
「だから、あんたは、あれを倒したあとのお楽しみって話だったのさ。」
いうと同時に、黒拍子が、地面を蹴りあげ、宙に舞った。
「高いっ!」
やはり、人とは違う跳躍力。
惟任は、身体を低くし、上空からの攻撃に備え、刀を構えた。
黒い影が、空から降ってくる。
いや、違う。
惟任は、反射的に、刀を右に振った。カキンと、爪に当たる音。弾いた。
そして、左。正面。背後。
息もつかせぬほどの連続攻撃。
黒拍子は、まだ立っている男たちや、大きな松明を足掛かりにして、巧みに方向を変える。
あまりの早さに、気を抜くと見失いそうだ。
「やるなぁっ。」
黒拍子は、楽しそうに、声をあげた。
「これについてこれるとは、やっぱり俺の目に狂いはなかったわけだ。」
無駄口を叩きながらも、攻撃の手は止まらない。
「速度をあげるぜ?」
言うが早いか、攻撃の速度が上がった。
「どうだ?」
惟任は、返事をする余裕もない。
なんとか、深い一撃は交わしているが、ギリギリで避けきれなかった斬撃が、手や足に、小さな傷をつけ始めた。
「ほれ、もう一丁っ!」
「さらに、こっちぃ。」
「おっと、今度はこっちも、危ないぜ?」
黒拍子は、この上ないほど、愉快そうに笑いなが、煽ってくる。
もはや、疾走する風に黒色が溶けて、追うだけで精一杯になってきた。
このままでは、やられる。
その状況を反転させたのは、その場に響き渡った声だった。
「こっちをみな。」
それは、正確にいうと、惟任への呼び掛けではなかった。
「安部公賢どの。これが、見えるか?」
◇ ◇ ◇
嗄れた声に、公賢は、視線をあげた。
中肉中背のこれといった特徴のない男が、麻に包まれた何かを、手に携えている。
「それが何かも、わかりますし、あなたの正体もわかりますよ。」
「ほう?知っていたかね。」
落ち着いた低い声に、焦りは見られない。
「邪法の申し子、道満庵。」
「善き名ぞ。」
公賢が、手の印を結んだまま、身体ごと、男のほうへ向けた。
念を込めると、男の身体が、どろどろと溶けだし、姿を変える。
「卓越した術の使い手でありながら、邪法に手を出しましたね?道満庵。」
これといった特徴のない男は、背の低い、むっくりとした、本来の姿になった。
「邪法とは、そう見なす者たちのつけた名。宋に渡って学んだワシからすれば、世に邪法などというものはない。すべては、必法なり。」
「あなたの解釈は、ご自由に。」
「ふんっ。」
道満庵が、鼻をならした。
「議論にはのらぬか。つまらぬやつよ。」
「あなたがわざわざ、ここまで出向いた要件は議論ではないのでしょう?」
公賢は、道満庵がこれみよがしに小脇に抱えた、麻の塊に視線を落とした。
「ふむ。確かに。」
道満庵は、乱暴に、それを掴んで、前へ押し出した。
「これの正体も、分かっておるのだろう?」
「えぇ。もちろん。ちゃんと、分かっていますよ。」
「ならば、話が早い。」
道満庵が、くるんだ麻に手をかけた。
「では、こやつと引き換えに、あれを出してもらおうか!」
声高に叫んで、巻き付いていた麻を、ばっと剥ぎ取った。
◇ ◇ ◇
これほど集中しているはずの惟任の耳に、二人の会話は、不思議なほどに鮮明に届いた。
道満庵。
頭中将と手を組み、公賢のように呪術を操る者。
僧のような格好をした、その男は、公賢と短い会話を交わしたのち、手に持っていた何かの包みを剥ぎ取った。
その瞬間を、惟任は目にした。
そして、目にした途端、身体中の血が沸き立つのを感じた。
道満庵が、ぞんざいに腕に抱えていたもの。
それは―――
「千鶴どのっ!」
気を失っているらしく、ぐったりとしている。
「よそ見している暇はないぜっ。」
惟任の気が逸れたのを、黒拍子は、見逃さなかった。心臓を狙った、渾身の一撃をかまし―――
「ッ!?」
次の瞬間、血を吹き出し、宙を待っていたのは、黒拍子のほうだった。
「ウッ!!」
地面に叩きつけられ、短く呻く。それを見下ろすように、立ち、
「あんたの相手はもう終わりだ。」
鳩尾にもう一太刀。
「グハッ!」
深く抉った。これで、当面は動けない。死にはしないだろう。運が良ければ。
その刀を抜くと、道満庵のところに駆けつけた。
「その人を、返せぇぇぇ!」
走りながら、刀の峰で足を払い、体勢を崩したところに、飛びかかって、腕から千鶴をもぎ取った。
千鶴を抱えるようにして、守りながら転がる。
その勢いが、止まったところで、跳ね起きて、腕に深く抱えなおした。
「千鶴どのっ!」
肩をゆすったが、目を開ける気配がない。
「千鶴どのっ!起きてください!!」
青白い顔で、ぐったりと、惟任に体重を預けている。
「貴様っ!!千鶴どのに、何をした?」
惟任が、先程まで千鶴をつかんでいた僧の顔を睨む。
呆気に取られていた僧は、やがて、「ほう。」と、目を見開くと、
「クロを倒してきたか。」
感心したように言い、
「しかし、油断は禁物。」
にやりと笑った、その瞬間、惟任の身体を何かが捕縛した。
「っ!!」
見ると、失神している千鶴の胸の辺りから、植物のような蔓が生え、惟任に巻き付いている。
「安部公賢を捕まえるためのものだったが、お前に作用するとは。まぁ、それも善し。」
惟任は、巻き付いてくる蔦を剥がそうと、必死でもがいたが、もがけばもがくほど、強く巻き付く。
「それは、呪草。宋から取り寄せた渡来の種子に、ワシがさらに協力な呪いをかけてあるから、公賢でも、簡単には剥がせぬ。」
「式っ!」
公賢の掛け声で、控えていた猫目の女房が、猫の姿になって、惟任に飛びかかった。歯で、蔦を剥ぎ取り、食いちぎる。
しかし、蔦の巻く速度のほうが強い。
「無駄じゃ。」
僧が「くくく。」と、嘲笑う。
惟任の身体は、もう、ほとんど全身が蔦に巻き取られている。このまま顔を覆われると、すぐに息が出来なくなる。
「大丈夫です。」
その時、ふいに、千鶴が目を開けて言った。
「大丈夫。死なせは、せぬ。」
その声は、千鶴の口から出ていたが、千鶴のものではなかった。
「あなたはっ!?」
惟任が抱き締めていた千鶴は、みるみる姿を変え、千鶴よりも一回りも大きい大人の女人となった。
苦しそうにだらりと下げた首もとに、斑模様の痣が浮かんでいる。
「公賢どの。すまぬ。しくじってしまった。」
女は、公賢のほうに、力のない視線を向けた。
「斑の姫。あなたを危険に晒したのは、私の方です。」
公賢が、答える。
「なに。自分で決めたことだ。」
斑の姫の顔から、みるみる生気を失われていく。
もともと、モノノケなのだから、生気というのも、おかしな話だが、その存在が明らかに消えかかっている。
「・・・毒を、飲みましたね?」
斑の姫が、弱々しく笑った。
「この毒は、失敗じゃ。今日の日暮れ前には飲んだのに、効き目が遅すぎる。おかげで、お主らを危険な目にあわせてしもうた。」
公賢は、「心外です。」と、眉を軽くつり上げた。
「例え、毒を煽る事があろうとも、その毒が回る前に、助けるつもりだったのです。」
「それなら、一足遅かったな。私は、もうダメだ。」
それから苦しそうに、喘ぎ、ゆっくりと目をつむった。額には、汗が滲んでいる。
「惟任どの。私が死ねば、私から、妖気を吸いとり蠢くこの草も、養分がなくなり、やがては枯れる。その間だけ・・・耐えっ・・・よ。」
斑の姫の言葉どおり、蔦の伸びが、徐々に弱まっている。
「姫っ!!」
斑の姫は、すでに、意識がないらしく、うわ言のように何かを繰り返し呟き始めた。
「ちっ。毒を煽っておったか。使えぬやつよ。」
僧が、残念そうに言う声が、耳に入った。惟任の全身の血が、再び、熱く煮えたぎる。
「おっ・・・まえっ!!」
姫を左手で支えたまま、空いた右手を刀の柄にかけた、その時。
逆上して、叫んだ惟任の血を冷ますように、季節外れの、春の嵐のような一迅の風が、吹いた。
「うわっ!」
惟任は、舞い上がる砂埃に、思わず、瞳を閉じた。
再び目を開けた時、腕のなかにいた斑の姫が、いなくなっていた。
代わりに、目の前には、大きな体躯に、立派なあご髭を蓄えた、若者。
そして、腕に、この上なく大事なものを守るかのように抱かれていたのは、斑の姫。
「遅くなって、すまない。」
男が言った。
中途半端なところですが、来週に続きます。