表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/102

75 奪回の算段

「どうも、むこうの思惑どおりに事がすすんでいるような気がするんだがな。」


平賀朝雅(ひらがともまさ)は、胡座をかいた片膝の上に、肘をのせ、その上に顎を置いて言った。


「結局は、全部、頭中将の描いたとおりだ。」


朝雅は、「そうだろう?」と、目の前の、涼し気な目元をした男、安倍公賢(あべのきみかた)に確認をとる。


「そう、ですね。こちらの動きを読んでいた、ということでしょう。」


前と同じ釣殿で、前と変わらぬ、何を考えているのかよく分からない顔で、平然と返す公賢に、


「悔しくはないのか?」


すると、感情の読めない男の薄い唇が、左右にスッと伸びた。


「えぇ。慙愧の念に堪えません。」


慙愧の念、というよりも怒っているように見える。

その静かな圧力に押され、隣の惟任(これとき)が震える声で謝罪を口にした。


「申しわけ・・・ありません。」


下唇を、切れそうなほどに強く噛んでいる。

好意を寄せている女性を、すんでのところで攫われたのだ。頭の中は、もう少し早くついていれば、という後悔の念でいっぱいだろうと思うと、気の毒に映る。


今のところ、誰が攫ったかは分かっていない。

だが、頭中将の暗躍があったとみて、間違いないだろうというのが、公賢と朝雅の一致した意見だった。


どうやってやったのかは、分からない。

ただ、その場には、おかしな匂いが漂っており、彼女の大事にしていたという柘植の櫛が残されていたらしい。


菊の意匠があしらわれた、その櫛は、今、公賢の手の中で弄ばれている。


「どうも、埒が明かんな。」


朝雅は、公賢を挑発するように見つめ、


「さて御仁、この後、どうするつもりだ?」


頭中将の企みに対して共闘する、という点について、自分たちと公賢の思惑は一致している。

しかし、この「白拍子を守る」ということについては、かわいい部下には悪いが、朝雅は左程、重視していない。


それが重要な事だと、この食えない男が言っているから、それに従っているのみ。それほどに重要ならば、次はどうするべきなのか、考えるのは、この男の仕事だ。


そのとき、ドンッという、落雷のような音とともに、


「主はぁっ・・・この家の、主はいるかぁい?」


玄関口から、よく通る女の声がした。

かと思うと、ドタバタとけたたましい足音を立てて、少し癖のついた黒髪を振り乱しながら、妙に色っぽい中年の女がひとり、飛び込んできた。


「な・・・何ごとだっ?!」


女は、狼狽する朝雅と公賢の顔を交互に確認してから、公賢の方に視線を据えて、キッと睨んだ。


「あんたが、安部公賢だね?」

「いかにも。」


公賢が、いつも通りの淡々とした口調で答える。この突然の事態に微塵も動揺していない。


「あなたは菊鶴(きくつる)、ですね?」


この短いやり取りで、二人が顔見知りではないことが分かる。しかし、その割に、相手の正体に確信を持った聞き方だった。


「そうさ。」


色っぽい中年の女が頷く。その拍子に、耳にかかった髪が一房、はらりと落ちた。


「やっとあんたの住まいを見つけたよ。」

と、呟くと、


「ここのところ、あれこれ千鶴にちょっかいかけているのは、あんただね?」

「その言い方は、少し誤解を招きますな。」


公賢が、いなすように肩をすくめた。


朝雅は、この事態を無関係のいざこざだと判断して、傍観を決め込み、二人のやり取りを、見守ることにした。


菊鶴と呼ばれた女は、するりと公賢の隣に腰をおろした。全身から怒気が立ち上っているのに、隠しきれない艶がある。


一体、どういう女なのだろう。

格好こそ、着古した小袖だが、全体的には小綺麗で、肌つやも良い。襟元から、ふくよかな乳房が、ちらりと覗いて、思わず視線を反らした。


「言い方なんて、どうでもいいのさ。厄介ごとに巻き込んでいるのは、事実なんだから。」


菊鶴がいった。


「千鶴が行方不明になったってのは、あんたのせいかい?」

「ふむ。」


公賢は、スッと扇を口許にあて、


「知らせたのは・・・惟任、かな?」

「・・・・はい。」


横の惟任が、さっきよりも、しっかりとした口調で頷いた。


「もしかして、家に帰っているのではないかと思い、訪ねたのです。」


無駄だと知りつつ、一縷の望みをかけたのだな。すぐに行動をおこし、全ての可能性をあたる、という点においては、惟任らしいとも言えるか。


「それに、もし攫われたのだとしたら、いつ千鶴どのが戻るの分からぬのに、黙ってい続けるわけには、いかないかと思いまして。」

「なるほど。」


公賢が、涼しげな目元を少し細めて、頷く。こんなときでも仕草は優雅だ。


「そこのお兄さん、千鶴のことを教えてくれたのはいいんだけど、肝心のあんたの居所を聞きそびれたのさ。おかげで、ここらを散々探したよ。」


三人の会話から、この菊鶴というのが、千鶴とともに暮らしている縁者、おそらくは白拍子の師匠であると推察できた。

それなら、この色っぽさにも納得がいく。この声で謡い、踊れば、見ている方は、なかなかに男心を(くすぐ)られて、堪らない気持ちになりそうだ。


「まぁまぁ。」


朝雅が、惟任を庇うように、


「下手に騒がれても、やりにくくなるから、信頼できる者なら、話してもいいのではないか?」


公賢も、「ふむ。」と頷くと、


「まぁ、それは、いいでしょう。それで?」


公賢は、菊鶴の方に視線をくれた。


「貴女は何をしに、ここまで来たのです?」

「何をしにって・・・決まってんじゃないか。千鶴を取り戻しに。」


言ってから、艶っぽい目元を、挑むようにフッと細めて、


「あんた、まさか、このまま千鶴のことを見捨てるつもりじゃないでしょうね?」

「まさか。」


公賢が即答する。


「そんなわけがないでしょう。」


朝雅は、心の中で、「おや?」と思った。公賢が、また、いつもと違う反応を示したような気がしたからだ。


静かな凪のような水面が、僅かに揺らぐような、小さな動揺。


今までも、幾度か感じたことーーーこの白拍子は、特別。彼女を守ることは、おそらく、公賢にとって、何か重要な意味があることなのだ、と朝雅の第六感が、告げていた。


だが、それを探ろうとするほど、朝雅は、野暮ではない。

探っても、おそらく先端を掴ませることすらしないだろうが。


狐と謳われるこの男の、何か弱点めいたものを探し当てたような心地で、興味深く観察していると、いつの間に現れたのか、猫目の女房が、


「鶯の君がいらっしゃいました。」


と、告げた。


「鶯の君?」


その場にいた、公賢以外の三人が同時に声を上げる。ただ、その言葉に含んだ意図には、差があった。

朝雅は、鶯の君なる人物そのものに対する純粋な疑問であったが、残りの二人は、その人物を知っているらしい聞き方だったからだ。


間をおかずして、見るからに貴族の、しかし、そこまで身分が高くない様子の女子が、


「公賢さまっ!」


と、足早に部屋に入ってきた。


着ているものから察するに、あまり裕福な家ではない。もとは、そこそこに上等な着物を、何度も繕って、大事に着ているような女だ。


その鶯の君は、釣殿に入ってくるなり、居合わせる朝雅や惟任に億面もせず、ずかずかと公賢の側に近づいてくると、


「千鶴は今、どこにおるのですっ?!」


どうやら、鶯の君の来訪の目的も、菊鶴と同じらしい。


「何と。先客万来ですな。公賢どのは、人嫌いだと聞いておりましたのに。」


やや皮肉るように言う朝雅を、鶯は無視して、


「今朝方、父上から良くない話を聞かされたのじゃ。それで、うちに仕えているものに、家まで様子を伺いに行かせたところ、留守のようで・・・。すぐ権大納言邸に向かったら、そこで、千鶴が行方知れずになったと聞いて、取るもの取らず、ここに来たのだが・・・」


鶯は、はたと言葉を切った。彼女の視線が公賢の掌で止まっている。


「それ・・・千鶴の?」


公賢の手には、惟任が拾ったという彼女の櫛が握られていた。

鶯の顔がみるみる真っ青になり、


「大変じゃ!千鶴が!!千鶴がっっっ!」


ふらりと、倒れそうになった。それを、すぐ横にいた菊鶴が、「大丈夫かい?」と、支える。


公賢が、低い声で、ゆっくりと、


「落ち着いてください。」


菊鶴の介助で座り直した鶯に、


「話を整理しましょう。まずは、鶯の君、あなたの話を聞かせてください。先程言った、よくない話、とは何ですか?」


「今朝、父が言ったのです。頭中将が、千鶴に興味をもっている、と。」


「頭中将?・・・っと、失礼。」


思わず合いの手を入れてしまった朝雅は、皆が一斉にこちらを見たので、慌てて詫びた。

「どうぞ、続けてください。」と、先を促すと、


鶯が、こちらを伺うように、ちらちらと見てくる。それに気がついた公賢が、


「朝雅どの。京都守護たるあなたに、お願いするのは忍びないが、ここでの話は、他言無用にしていただきたい。あなたを、武士として、信頼して、お願い申し上げる。」


なるほど、内密な話というわけか。


「私とあなたは、同じ目的のために、手を組むと決めた。その大局のためなら、約束しよう。」


それから、鶯の方を見て、


「約束を違えるような者と思いなさるな。」


と、告げると、鶯が、ほっとした表情をしてから、「実は・・・」と、重々しく口を開いた。


それによると、千鶴は、以前、さる方の依頼で、性別を偽り、近衛の舎人として、勤めていたことがあるらしい。そのとき仲介した人物がいるのだが、


「頭中将が、その方を呼び出し、問うたそうじゃ。『黒拍子と戦った、あの女は、何者か?』と。」


朝雅は、単純に驚いた。


近衛の舎人といえば、内裏や帝を守るのが主な仕事。まさか、そこに女が性別を偽り入りこんだうえに、有名な、あの黒拍子と一戦を交えていたとは。


公賢が、確認するように、


「頭中将は、黒拍子と戦った、『あの()』、といったんですね?」


と聞くと、鶯が頷く。


「千鶴の正体に検討がついているようだったらしい。」

「千鶴は、一度、頭中将に顔を見られていますね。」

「はい。白拍子のときに。」

「誰の身代わりか分かっているなら、そこから千鶴の正体を突き止めることは容易でしょうな。」


公賢が考え込むように黙ったので、今度は惟任が口を開いた。


「鶯の君、それは、いつ頃の話なのですか?」

「私が父から聞いたのが、今朝・・・ですが、私たちは、しばらく宇治に行っていてので、もっと前の話かもしれません。」


公賢が朝雅の方を見た。互いに頷く。


「つまり、十分に準備する時間はあった、ということだな。」


やはり、頭中将の目的は、謀反の片棒を暴くこと、なぞではない。何か、別の意図があって、その白拍子を攫ったのだ。


「・・・準備?」


戸惑う鶯に、惟任が、


「千鶴どののことを知り、調べて、拐かすための、十分な時間があった、ということですよ。」


「つまり、なんだってんだい?」


鶯に話手の座を譲っていた菊鶴が、堪えきれなくなったように、口を開いた。


「その、頭中将ってのが、千鶴を拐ったってことかい?」

「それは間違いないでしょう。」


公賢が答えた。朝雅も頷く。


「その、頭中将の狙いは一体、何なんだい?」


菊鶴が聞いた。


「何のために、千鶴を拐ったんだい?」


公賢は、再び黙った。座が、静まり返ったので、朝雅が、


「菊鶴とやら。頭中将の目的は分からぬ。我々は、頭中将の目的がわからぬからこそ、今、ここで・・・」


「フクリョウ。」


誰かが、朝雅のコトバを遮るように、ポツリと言った。


「え?なんだって?」


朝雅は、聞き違えでもしたかと、問い返すと、鶯が、


伏龍(ふくりょう)です。確か、頭中将は、それを欲していたのでは?以前、千鶴から、そう聞いたように思います。」


鶯が公賢のほうを向いて、


「それを使って、頭中将を誘き出すことはできませんか?」


しかし、鶯の言葉に、公賢は、少し躊躇うような表情を見せた。


当たり前だ。


伏龍は、この世を手中に収めることが出来るという伝説をもつ呪具。平清盛が宋から輸入した宝玉だと言われている。

が、その正体を知るものはいない。

いないはずーーーなのだが、


「あれは・・・人を誘き出せるような代物では・・・」


公賢は、伏龍のことを、明確に「あれ」と言った。


「嘘でも良いのです。頭中将を罠に嵌めることさえできれば。」


鶯の君が公賢に詰め寄ると、それを見ていた菊鶴も、ずいっと公賢のほうに身体を乗り出し、


「その・・・伏龍ってのが、何だか知らないが、どちらにしても、手はないんだろう?このままでは、千鶴が危ないんだ。」


なんとかならないか、と二人か公賢を縋るように見ている。

その3人の様を見ていて、ピンときた。


「伏龍・・・か。」


朝雅の呟くと、皆が一斉に顔を向けた。


「伏龍は未だに所在どころか、正体不明だ。だったら逆に、やって、やれないことは、ないんじゃないか?」


朝雅が、ニヤリと笑うと、公賢は、大きくひとつ息を吐いた。


「分かりました。頭中将が、()()()()()に気づいていないことに、かけましょう。」



昨日、活動報告更新してます。

そちらも書きましたが、ここからしばらく、公賢のターンです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ