73 近衛府の捜索
権大納言、花山院忠経は、門のところで待つ近衛を、部屋の中へと招き入れた。
目の前に座る若い男が、ぴしりと伸ばした背筋を崩さぬまま、頭を下げる。
「不躾に申し訳ございません。」
「いやいや。こちらこそ、わざわざ、近衛少将のお出ましとは驚きました。」
やや圧をかけるように鷹揚に言うと、男は、「いや。はや。」と、汗を拭った。
近衛中将こと、頭中将(近衛中将と蔵人頭を兼任する役職)が来ていないことは、事前に、女房に確認させたので、知っていた。
「こちらに、謀反に協力したおそれのある白拍子が出入りしている、という情報があったものですから・・・」
格からいえば、権大納言のほうが、ずっと上だ。近衛少将は、しきりに恐縮していた。
「市中だが、検非違使では、ないのだね?」
近衛は、帝を守護するのが仕事で、市中警護は原則、検非違使の管轄だ。そう思い、念の為、確認すると、
「今回の謀反については、帝の御身に関わることでもありますので、近衛が。」
「陣頭指揮は、どなたかな?」
わかりきったことをあえて、尋ねると、
「左近衛府、頭中将どのです。」
考えていた通りの答えが返ってきた。
「あの・・・それで、千鶴という名の白拍子は、こちらに?」
「あぁ、本日、唐錦の里下がりに合わせて、舞を頼むつもりで呼んだのだ。」
これはすでに、伊予の命婦から頭中将に伝わっている。隠すと、かえって疑われかねない。
全く、命婦も余計なことをしてくれた、とは思うが、今更、責めても仕方がない。
ただ、本人が誓ったように、身体の関係をもって誑かされたわけではないだろう。
嫉妬心からくる、軽い出来心。それを頭中将につけこまれたのだ。
身体の関係をもっていない、ということについて、忠経は確信していた。頭中将には、幼いころの事故が元で、男性機能を失して女が抱けぬ、という噂があった。
ああいう人なので、面と向かって確かめた者はいないが、陰では、まことしやかに囁かれている。
真偽の程は、確かではないが、そのような噂がたつ程に潔癖な人物が、たかが尚侍の女房に手を出すとは考えられない。
「なるほど。それでは、千鶴とやらは、今、こちらに?」
忠経の言葉に、今にも立ち上がらんとする近衛少将を、「お待ちなさい。」と制する。
「件の白拍子は、結局、ここには来なかったのです。」
「こちらに来なかった・・・のですか?なぜ?」
「さぁ?」
今となっては、七条家の姫が牛車で送ってくれたことが吉と出た。事前に周囲を警戒網を貼られていたとしても、千鶴の出入りは見た者はいないはずだ。
忠経は、空とぼけて、首を傾げ、
「頼みに行った下男の話では、なんでも、どこかに遠出をするので、帰ってきたら、こちらに寄る、といっていたようだから、予定が変わって戻って来られなかったのではないかな?」
「それでは、ここにはいない・・・と?」
「そうだ。」
忠経が頷くと、近衛少将は納得しない様子で、
「遠出というのは、どちらに行くと言っていたのですか?」
「はて、どこだったかなぁ?」
「その下男の者から、話を聞いても?」
「それは勿論、構わぬが、誰を使いにやらせたか、記憶が定かではない。確認する時間をいただくが、良いかな?」
「・・・わかりました。」
少将が不承不承、頷いた。
「それでは、その方には、後ほど伺うとして、本当に、この家に来ていないかだけでも、確認させていただきたいのですが・・・」
やはり、そうきたか、と内心、舌打ちをする。
「頭中将から、必ず家の中を確認するように申し使っておりますので。」
権大納言家に申し訳ありませんと、坐位のまま、腰を前に倒す。
丁寧だが、引き下がる気はない、という意思を感じさせる。
「職務だから、仕方あるまいが・・・」
権大納言は、年頃の娘を持つ父親の顔をすると、
「娘は、まだ若く、独身。ましてや、尚侍だ。その部屋に、ずかずかと若い男に踏み込まれるのは・・・」
「は。もちろん。そのような不躾な真似はいたしません。尚侍は、御簾を身体の中程まで降ろしていただき、他の女房は、部屋のほうで、いつもどおり控えていただければ結構です。」
御簾を身体の中程まで、というのは、顔を見ないための配慮だろう。中程まで上がっていれば、万が一、唐錦の向こうに誰かが隠れていても分かる。
「分かりました。それでは、ご案内しましょう。」
立ち上がった忠経に、近衛少将も続く。
「見にいらっしゃるのは、少将お一人でよろしいですか?」
「はい。他の者たちは皆、この家の周囲に待機させております。念の為。」
逃亡を阻止するための、あからさまな措置に、少将が、「あまり、いい気はしないと思いますが、頭中将の指示ですので。」と、申し訳なさそうに言う。
「仕方ありますまい。私としても、それで疑いが晴れるなら、構いません。」
忠経は、順に部屋を案内したあと、最後に唐錦の部屋の前で立ち止まった。
「近衛少将がみえることは、すでに娘に伝えてあります。」
忠経は、部屋と廊下の境目の几帳の前で、祈るような気持ちで、目をつぶると、少将に分からぬように、深呼吸をした。それから、
「姫、はいりますよ。」
部屋に向かって声をかけてから、足を踏み入れる。
唐錦は、指示通り、御簾を半分まで下げて待っていた。御簾の奥には一人だけ。隠れられる几帳は、全て避けられている。
女房たちは、皆、両手を揃えて、自分の前につき、やや顔を俯けて座っていた。
少将は、「失礼します。」と部屋の中に入り、ぐるりと見回した。一度、全体を見てから、視線を一人ひとりに巡らせる。
横で見守る忠経の首筋に、緊張で冷たい汗が流れた。
全員の顔を確かめた少将は、
「ありがとうございました。こちらには、いないようです。」
忠経が、「ホッ」と安堵のため息をついた。
「お騒がせして、申し訳ございませんでした。」
少将は、唐錦と女房たちに丁寧に頭を下げると、踵を返した。
「もう、よろしいですか?」
「はい。ご協力、ありがとうございます。」
忠経は、少将を屋敷の入口に案内する。
歩きながら、「さすが、権大納言家の女房は、洗練された、美しい方ばかりですね。」などと、世辞を言ってくる少将に、忠経は、さり気なく尋ねた。
「少将は、その白拍子の顔をご存知なのですか?」
すると、近衛少将は首を横に振った。
「残念ながら。」
「それでは、なぜ、あの中にいないと断言できたのですか?」
答えていいか迷ったような顔をしてから、まぁ、いなかったのだから、いいでしょう、と教えてくれた。
「どうも、その白拍子というのは、髪が短いのだそうです。腰のあたりまでの髪を、いつも、背中で一つにまとめているのだとか。」
忠経は、やはりそうか、と内心、賭けに勝った自分を称えた。
「こちらにいた女性は、すべて髪が床を這うほどに長かったようです。御簾の中にいる唐錦の君も含めて。」
やはり、そこまで確認していたか。なかなかに侮れない男だ。
「それに、頭中将が言うには、私が見れば、必ず分かる、のだそうです。顔を知らなくとも、気が付くから大丈夫だ、と言われました。」
その言葉に、権大納言は、内心、冷や汗をかいたが、それをおくびにも出さず、
「それならば、疑いは晴れた、ということでよろしいかな?屋敷の周りに配置した近衛も引き上げてもらえるか?」
「はい。頭中将に確認して、夕刻には、引き上げさせていただきます。」
「わかった。よろしく頼む。」
そう確認すると、忠経は、門まで近衛少将を見送った。
◇ ◇ ◇
忠経と近衛少将が去った部屋で、唐錦と女房たちが、顔を見合わせ、自分たちの企みが成功したことを確認しあっていた。
「千鶴、もうよいぞ。」
唐錦が声をかけ、伊予の命婦が御簾をあげる。その向こうから、慣れない場所に緊張している千鶴が、顔を出した。
「本当に、これが、間に合ってよかった。」
唐錦が紫色の風呂敷包を手に、言った。
近衛少将は、この部屋に千鶴がいたことに気が付かなかった。全ては、この風呂敷包みのおかげだ。
時は少し遡り、権大納言が、門に近衛の少将を迎えに行ってすぐのこと。美しい毛並みの三毛猫が一匹、庭から飛び込んできた。
猫の背には紫色の風呂敷が結ばれていた。
見覚えのある猫の柄に、千鶴は、誰が遣わした猫なのか、すぐにわかった。
「公賢さま・・・?」
まっすぐに千鶴の膝に飛び込んできた猫を、抱きとめた。
「風呂敷を解いてみよ。」
唐錦に言われ、風呂敷の結び目を解いて、中を検めると、
「これは・・・髪の毛?」
「髢(かつら。付け毛)ですね。」
伊予の命婦の言うとおり、黒々とした豊かな髪が、丁寧に束ねられていた。
「まさか、こんなにすぐに、このような立派な髢が手に入るなど・・・」
驚く伊予の命婦を他所に、千鶴は、手に取った髢から、ほんのりと立ち登る、嗅ぎ覚えのある匂いに気がついた。
すっきりとした甘い香り。これはーーー
「藤袴の花の香りかのう?」
唐錦も一緒に、スーッと鼻で吸い込むような仕草をした。
「えぇ。これは、藤袴の宮さまの髪の毛。」
藤袴は、先日、自身の起こした事件への禊として、仏門に入った。その折に、地面を這うほどに長い髪を、肩の上あたりまで切っている。
これは、間違いなく、その時に藤袴の宮が切り落とした髪だった。
「唐錦の君、急ぎましょう。これを、すぐに千鶴さまの頭に。」
「うむ。」
権大納言は、千鶴に、女房のフリをするようにいった。このままの姿では到底無理だったが、髢があれば、誤魔化せるかもしれない。
伊予の命婦に手早く髢をつけてもらい、女房の着物を羽織ろうとすると、
「ちょっと待て。」
難しい顔をして見守っていた唐錦が、止めた。
「着物は、これを。」
唐錦は、自分が着ていた袿を脱いで、千鶴に渡す。
「な・・・んてことをっ!!それは、唐錦の君さまの!」
仰天して目を見開く伊予の命婦に構わず、
「今から来る近衛少将は、千鶴の顔を知らぬ可能性が高い。だから、女房でも、誤魔化せるかもしれぬが・・・しかし、千鶴は、以前、近衛府に舎人として入り込んだことがあるだろう?ということは、千鶴とよく似た顔の舎人がいるわけで、もし万が一、その舎人を見たことがある男だったら、それほど似ている千鶴をみれば、印象に残ってしまうかもしれぬ。」
「なるほど。しかし・・・」
「その点、私は宮中でも顔を見せたことは殆ど無い。もし万が一、覚えられたとて、今後、その少将の前に顔を見せねばよいのだ。それに、もし付け毛を疑われても、女房たちならばまだしも、尚侍の間近に寄って確認することはあるまい。」
だから、私が女房になる、と唐錦はいった。
「千鶴は、私の着物を着て、御簾のむこうへ」
唐錦の断固とした言葉に、伊予の命婦も「分かりました。」と強く頷き、あっという間に千鶴に唐錦の着物を着せた。
千鶴を御簾の向こうに座らせると、唐錦は素知らぬ顔で、伊予の命婦の隣に座り、流麗な仕草で両手をついて、顔をやや伏せた。
少将を案内してきた権大納言は、女房の席に座る娘を見て、驚いたはずだか、さすがに、顔色一つ変えなかった。
その結果、近衛少将は、千鶴に気が付かずに帰っていった。
唐錦は慧眼だった。千鶴は、近衛少将と呼ばれたその男の顔に、見覚えがあった。かつて、千鶴が潜り込んでいた、左近衛府所属の少将だった。
左近衛府、つまり頭中将のーーー
もし、今回、ここに頭中将が来ていたら、この企みが成功したかどうかは分からかい。頭中将は、唐錦の顔を知らないはずだが、どういう娘か調べるくらいのことは、するだろう。
あの男の、鋭い眼を誤魔化すのは難しい。
自分たちの企みが無事に成功したことを喜びあっていると、
「唐錦の君、風呂敷に紙が入っております。」
髢を片そうとしていた伊予の命婦が、そこからハラリと落ちた紙片を唐錦に渡す。
唐錦は、サッと目を通すと、
「千鶴。日が暮れたら、惟任どのが迎えに来るそうだ。」
突然の名に、千鶴の心臓がドキンと跳ねた。
「惟任どのからの伝言だ。」
唐錦に渡された紙には、力強い字で、
『日が暮れたら、権大納言邸東門に迎えに行きます。ご無事で。 曽我惟任』
と記してある。唐錦と伊予の命婦が
「公賢どのからの指示でしょうか?」
「おそらくな。」
と話す横で、千鶴は、紙をきゅっと握った。
いつも助けてくれる人は、今回も自分のために、動いてくれている。そのことに、千鶴の心は、不思議なほどに、深い安心感に包まれていた。