69 復讐の跡
短いです。
4章は、あまり山場がないので、サクサク更新しています。
宇治に着いてから、三回目の夜が明ける頃だった。宇治川の上流方方向に移動していたナンテンは、やがて、木の生い茂る森を抜け、人里近くに出た。
人里とはいうものの、集落の外れの寂しいところ。そこに、2軒の掘っ立て小屋が、少し離れて、立っていた。
見覚えのある、その家は、前に訪れたときよりも、さらに朽ちて、屋根の一部はすでに崩れ落ちていた。
ナンテンは、そのうちの一軒の前に立った。
かつて、惣吉の家だった場所。
ナンテンは、少しだけ躊躇してから、中へと入る。
あのとき、血が溜まっていた室内の床は、きれいに片付けられていた。
ここで、ミツは妖怪へと变化した。
強い恨みの思いを抱いて。
そして、隣の治兵衛の家に向かったのだ。親愛なる主人の復讐をするために。
ナンテンは、惣吉の家を出ると、今度は治兵衛の家に向かった。
隣と言っても、都のように、びっちりと並んで、家が立っているわけではない。治兵衛の家は、畑を挟んだ向こう側にある。
惣吉の家と負けず劣らずのボロボロの治兵衛の家には、扉がなかった。引き戸の溝の跡があるから、もともとあったものが、取れてどこかにいってしまったらしい。
ナンテンは、治兵衛の家の入口の前に立って、中をのぞいた。
治兵衛の家も、誰もいなかった。
惣吉の家と同様に誰かが片付けたのだろう。
ここに立つと嫌でも蘇る。
あのとき、ナンテンが目にした光景。
今も目を瞑ると、瞼の裏に思い出す、あの凄惨なーーー
*
ナンテンの制止も聞かず、猫又へと变化したミツは家の外へと出ていった。
「おい、ミツ!ちょっと待てって。」
ナンテンの呼びかけに、ミツは振り向くことすらしなかった。
おそらく、理性がなくなっているのだ。
2つに割れたしっぽが、力なく、ずるずると地面を引きずられていく。
ナンテンは、ミツを追いかけた。ミツは、少し離れたところにある隣家、治兵衛の住処に入っていくところだった。
ミツの歩いたあとには、白と灰色と黒の3色の毛が落ちている。このままでは、禿げてしまうのではないかと心配になるほど、夥しい量だ。
と、突如、治兵衛の家から、「ぐわぁぁぁっーーー!」という声があがった。
ナンテンが、家の中に飛び込むと、ちょうど、ミツが治兵衛の喉に、自らの爪と牙で喰らいついたところだった。
扉から差し込む茜色の夕日に、噴き出す鮮血。
あの真っ赤に染まる景色を、生涯、忘れることはないだろう。
ぐらりと倒れる治兵衛。ミツはそのまま、崩れ落ちる治兵衛の下敷きになった。
「ミツっ!」
下敷きになったといっても、今のミツは普通の猫の何倍も大きい。人間の子どもくらいの大きさはあるのだから、抜け出すことはできるだろう。
そう思ったのだが、倒れこんだミツは、一向に這い出てこない。
「ミツ?おい、ミツ・・・?」
気を失ったかと思い、ナンテンは血を避けながら側に駆け寄ると、ミツのぎょろりと見開かれた瞳と目があった。
「なんだミツ、起きてるじゃねぇか。」
「旧鼠・・・さん?」
ミツは、ちゃんとナンテンの呼びかけに答えた。そのことに、ホッとする。
「ほら、早く出てこい。」
「治兵衛・・・は?」
ナンテンは、ミツの上で、だらりと脱力している男の身体をみた。目を見開いているが、焦点を結んでいない。
「もう、死んでるよ。」
「・・・そう。」
「復讐は終わったんだ。・・・・行こう。」
ナンテンは、やり切れない気持ちを抑えて、呼びかけたが、ミツは小さく首を振った。
「僕は、もうダメです。旧鼠さん、一人で行って。」
「ダメ・・・って?」
「もう、ダメなんです。妖怪化の反動で・・・」
「反動って・・・?ダメって、なんだよ。何を言ってるんだよ?」
ナンテンには、ミツの言っていることがさっぱり分からない。
自分も妖怪だが、それで身体が、おかしくなったことなんて、一度もない。だから、ミツが妖怪化した反動があるなんて、考えもしなかった。
しかし、ミツは、今度はさっきよりも、ハッキリと首を振った。
「生まれつき妖怪の旧鼠さんは、最初から、それを受け入れられる身体で生まれてきたんですよ。でもボクは・・ボクの身体は、妖怪になるだけの力がなかったようです。身体が・・・もたないんです。」
ゆっくりとした瞬きを繰り返して、
「もう。全然動けない。力が入らない。意識も・・・・・」
ミツは辛そうに目を瞑ると、「フーッフーッ」と、荒い呼吸を繰り返した。
「旧鼠さん、もう行ってください。僕のことは、置いて。」
「そんな、でも・・・」
戸惑うナンテンを追い出すように、ミツは、声を振り絞って言った。
「早く。はや・・・く。」
その時、「ニャー」という、低く掠れた鳴き声がした。
振り返ると、扉の向こうから、でっぷりと太った猫がこちらを見ていた。柄は、逆光で見えない。けれど、たぶん山吹色の縦縞。
こいつがトラだ、とすぐに分かった。
背後から、ガタンと音がした。
*
あのとき、ナンテンはミツを置いて逃げた。
命の灯が消えつつあるミツを置いて・・・ーーー
普通の鼠よりは大きなナンテンでも、人間を持ち上げることは出来ない。どうしようもなかった。何も、できることはなかった。
初めてできた、友だち。
何もしてあげられなかった、友だち。
そして無力なナンテンは、また、一人になった。
治兵衛の家を出たナンテンはそのまま、走った。山道を走って、走って、走り続けて、宇治を出た。
一人に戻っただけだ。前と一緒。
何度も、そう思おうとした。
けれど、思えなかった。
一人じゃない時間を知ってしまった。
友だちと過ごす時間を。
ナンテンは、山道を駆けながら、いつの間にか泣いていた。
宇治を出たナンテンは、あちこち寄り道をしながら、やがて、都に辿り着いた。
もう、宇治へは戻らないつもりだった。
だけど、来てしまった。
ナンテンは、あのとき、ミツの倒れていた辺りまで歩いた。もう、なんの痕跡もない地面に、鼻を擦りつけた。
「ごめんな、ミツ。」
お前を慰めることも、止めることも出来なかった。
そして、最期を看取ることさえも。
「ごめん・・・」
その時、聞き覚えのある掠れた声が「ニャー」と鳴いた。
ナンテンが、ハッと振り返ると、そこには、夜の闇に紛れて、一匹の猫が立っていた。
猫が、嗄れた声で言う。
「まさかお前が、ここに戻ってきていたとはな。」
続きは来週。




