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67 宇治川の出来事

ナンテンの現在から。現在と過去の切り替わりのところに「*」いれました。

あの頃は、いつもミツがナンテンに会いに来ていたから、ナンテンがミツの家に足を踏み入れたのは、別れの日のあの時が、最初で最後だった。


 *


旧鼠(きゅうそ)さん、見て。大きいのがとれた。」


魚を咥えたミツが、宇治川から上がってきて、濡れた身体を、ぶるりと振るうと、飛び散った水滴が、ピチャピチャと石の上に飛び散った。


お天道様が中天を過ぎ、やや西に傾いた頃。いつもは、まだ寝ているナンテンが、その日は、珍しく目を覚ましていた。


「すげぇな。」


寝ぼけ眼で、嬉しそうなミツを見る。


出会った頃とは違い、ミツの身体はすでにナンテン3匹分くらいに成長していた。動きも俊敏で、もう、川に流されて溺れることもない。


惣吉(そうきち)のところに持っていくのか?」


と、問うと、「はい。」と、元気いっぱいに返事する。


ミツの飼い主の惣吉は、貧しい。痩せた土地を耕して、僅かに実った作物も、隣の治兵衛(じへえ)に取られてしまうような有様だ。

ミツに聞くところでは、身体も貧弱で、カサカサの皮膚が張り付いたように、肋骨が浮いているらしい。


ミツは、そんな惣吉のために、川で魚をと獲っては、持って帰る。初めてナンテンと出会った日、川で流されていたのも、魚を獲ろうとして、足を滑らせたせいだ。

それが最近は、上手く浅瀬を歩いて、爪と歯で、魚を捉える事ができるようになった。


「惣吉さん、ここのところ、よく咳をしていて、顔も青白いのです。少しでも、栄養のあるものを食べられたらいいのですが・・・。」

「大丈夫さ。ミツがとった魚を食えば、元気になる。」


しょんぼりとしたミツを励ますように言うと、「そうだ!」と顔を輝かせた。


「旧鼠さん。私の家まで、一緒に来ませんか?」

「オ、オ、オ・・・オイラが?」

「はい。」


ミツが、良い案だと、目をキラキラさせる。


「これから夜になるし、旧鼠さんは、元気になる時間ですよね?よければ、惣吉さんに紹介します。」

「いい!いい!」


ナンテンは、「止めてくれ」とブンブンと首を横に振った。


「猫ならまだしも、鼠を可愛がる人間なんていないだろ!」


鼠は穀物を荒らすから、見つかれば追い出されるか、叩き潰されるか。人間にとっては害獣なのだ。


「大丈夫ですよ。惣吉さんは、優しいし。それに、惣吉さんの家には何にもありませんが、隣の治兵衛の家には、嫌というほど穀物があるはずです!惣吉さんのところから、いつも取り上げているのですから。」


嫌というほどの穀物、と言われ、思わず喉がゴクリと鳴った。それに目ざとく気づいたミツが、すかさず、


「いつも惣吉さんから取り上げている穀物なんだから、旧鼠さん、たまには仕返ししてくださいよ。そうすれば、私もスッキリします。ね?」


ミツのしつこいお願いと、嫌になるほどの穀物につられ、結局、ナンテンは、ミツの家までついていくことにした。



 *


そうだ。

あのとき、ナンテンはミツについて行ったのだ。



ナンテンは、河原で仰向けに寝そべり、夜空を見ながら、あの日のことを思い出していた。


あれから、どれくらい経ったのか。

鼠のナンテンには、月日を数える習慣がない。

夜の長い時期だったから、そろそろ季節が一巡するころだろう。



もう、宇治には戻らないつもりだった。

最後に見た、ミツの目が忘れられないから。


けれど・・・


「いざ、足を踏み入れてみたら、案外、冷静でいられるもんだな。」


夜空に向かって、ポツリと呟く。


それこら、小さな身体を、ヨイショと起こした。


「行ってみるか。」


ミツと別れた、あの場所へ。




◇   ◇   ◇



里の女に借りた小袖を着た(うぐいす)が、裸足で浅瀬に立って、バシャバシャと跳ねた。


「天気が良くて、よかったのう!」

「本当に。川の水が気持ちの良い暑さですね。」


子どものようにはしゃぐ鶯を、阿漕(あこぎ)が、川岸から嬉しそうに見守る。


「千鶴も入らぬか?」


鶯が川の中から、両手をブンブンと頭上に掲げて、左右に振る。


「気持ちいいぞう!」


都では、父の厳しい監視のせいで自由に出歩くことが出来ない鶯も、ここでは、さほど気をつかう必要がない。まさに、水を得た魚、嬉しそうに春を告げる小鳥のように、生き生きとしていた。


「鶯の君。千鶴さまは、足を怪我されてはいけないのでは?」


白拍子である千鶴は、踊るときに、足で拍子を取る。しかも、一般的な白拍子は、足の先まで隠れる長袴を着用するが、千鶴は、普通の白拍子が使う長袴ではなく、足首で絞った形のものを着る。

足先までむき出しになるので、怪我をしているのは、見た目にも影響する。


だから、足は怪我をしないようにしていた。


していた、のだけれども・・・・


千鶴は、さぶんと川に両足を浸した。

流れる水が千鶴の足にあたり、侵入者に抵抗するように小さなしぶきが、飛んだ。


「千鶴!」

「よいのですか?」


確かに、今、千鶴は舞うのを止めていた。

だけど、永遠に舞わないわけじゃないだろう、と鶯も、阿漕も思っている。


それは、千鶴自身にも分からない。でも、今、飛び込んだのは、別に自棄になったわけでは、なかった。


阿漕の心配そうに問いかける目に、


「気持ちいい。」


千鶴は、ばしゃばしゃと足を踏みならして答えた。

鶯が、ホッとしたような顔で笑った。


そうだ。

私は、本当に自棄を起こして、入ったわけじゃない。

ただ、川で遊ぶがあまりにも楽しそうで、一緒に入りたい、そう思っただけだ。


「阿漕、銛を貸してもらえるかな?」


後で、鶯の付き人の翁に、魚を取ってもらおうと、里の者から借りてきていた。


「ちょっと待っていてください。じいのところから貰って来ますから。」


そういうと、阿漕は、少し離れたところで待機している翁のところへと、銛を借りに行った。

少しすると、手に長い棒を携えて、戻ってくる。


「どうぞ。」


阿漕が、その棒を千鶴に手渡した。先には、おそらく鹿の角で作ったのであろう返しがついている。


「千鶴さま、魚を獲れるのですか?」

「どうでしょう?何分、久しぶりなので。」


昔、菊鶴と旅をしていた頃、食うに困って、何度か獲ったことがある。特別に教えてもらったわけではないが、コツをつかめば、獲れないことはない。


千鶴は、両足をしっかりと川底に据えて、腰を落とした。


深い呼吸を繰り返し、川の流れを全身に感じる。轟々と流れる音が、身体を通り抜け、また、外へ。あたかも、千鶴自身が自然の一部になるかのように。


自分が、自分を離れて、世界の一部になるかのように。

それは、舞うときの感覚と、とても良く似ている。

いつも味わえるわけではない、ある一つの境地といってよかった。


深呼吸を繰り返ししていた千鶴は、次の瞬間、吐く息とともに、銛を水面に突きつけた。

持ち上げると、返しに刺さった小さな魚がピチピチと尾を振っている。水面(みなも)に落ちた水滴がキラキラと光った。


「千鶴、すごいなっ!」

「やりましたね!」


鶯と阿漕の二人が口々に褒める。


「でも、食べるには小さいですね。」


魚は、千鶴の人差し指の長さほどしかない。


「小さい魚のほうが、獲るのは難しいのでしょう?」


と覗き込む阿漕に、


「食べられない魚を獲るのは、少し、可哀想です。」


これだけしっかりと銛で刺してしまっては、川に戻しても、再び泳ぐことは出来ないだろう。


と、そこへ、「みゃおう」と鳴く声がした。


見ると、山吹色と茶色の縞々柄の痩せた猫が、山の方から河原へと降りてくる。


千鶴は、川から上がって、大きな岩の上に登った。銛から魚を抜いて、岩の上に置いてやる。


「食べますかね?」


鶯も川から出てきて、阿漕の側に来た。


「随分と痩せた猫だのう。」


千鶴は、警戒した猫に配慮して、魚から少し離れようと後ずさり、


「おいで。」


すると、縞柄の猫は、そろそろと魚の近寄って来た。

ふんふんと魚の匂いを、嗅いでいたかと思うと、ガブリと口に咥え、取って返す。


「持って行きましたね。」

「うん。魚が無駄にならなくて良かった。」


猫は、あっという間に木々の間に隠れて、見えなくなった。千鶴は再び、水の中へ。


それを、ずっと、あの、好奇心の強そうなどんぐり眼をらんらんと輝かせて見ていた鶯が、


「私も、その銛、やってみたい!」

「えぇ!無理ですよ。」


止める阿漕に構わず、千鶴から、銛を受け取り、水の中にズンズンと入っていく。


「・・・・・もう。怪我だけはしないでくださいよ。」


ため息をつく阿漕だったが、都ではできないような自由な遊びを心から楽しむ鶯を、嬉しそうに見守っている。



ひとしきり遊んだあと、阿漕の「そろそろ、あがりましょうか。」という一言で、三人は川遊びを切り上げた。


「結局、魚は一匹も取れなかったのう。」


鶯が未練がましく、銛と川を見比べる。


「そう簡単に、千鶴さまのようにはいきませんよ。鶯の君は、今日が初めてだっのですから・・・あっ!」

「どうしたのじゃ?」

「いえ、さっきの猫が。」


阿漕が指さした先を見ると、確かに、先程、魚を咥えていった縞柄の痩せた猫が、少し上の木の陰から、じっとこちらを見下ろしている。


「さっきのお礼にでも来たんでしょうか?」

「随分と律儀な猫じゃ。」


その瞬間、猫が斜面を駆け下りて、千鶴の懐に飛び込んできた。


「うわっ!」


千鶴は、反射的に猫を抱きしめた。ナンテンよりは、だいぶ大きいが、猫にしては、痩せていて軽い。


猫は、千鶴の胸元に鼻面をグリグリと押し付けたかと思うと、ぴょんっと腕から抜けた。そのまま、山の斜面を駆け上がっていく。


途中で一度足を止め、ちらりとこちらを振り返ったが、すぐに逃げて行って、見えなくなった。


あっという間の出来事だった。


呆気に取られた三人は、顔を見合わせ、


「一体、なんだったんでしょうね・・・」

「さぁ。」




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