66 里の噂話
時制が現在(千鶴)に変わります。
4章は、過去と現在を行ったり来たりするので、ややこしくてスミマセン。
「化け猫・・・ですか?」
皆で夕餉を頂戴している最中に出た話題に、阿漕が手を止めて、恐る恐る尋ねた。
すると鶯の叔母が、
「えぇ。確かに、そういう噂です。」
と頷いたので、隣に座っていた、年老いた御坊も顎の白髭に手を当て、
「1年位前のことじゃったかなぁ。」
同意する。
千鶴たちが世話になっているこの山寺は、もともと、この御坊のもので、他に何人かの小坊主がいるらしい。
この地で夫を亡くし、悲嘆に暮れていた鶯の叔母は、この御坊に出会って、尼になった。
叔母君と夫君は、かなりのおしどり夫婦だったらしく、初めのうちは、泣き暮らしていたのだが、ここで世話になっているうちに、徐々に元気を取り戻したようだ。
今は、鶯によく似た笑顔の、朗らかな印象の人だった。
「確か、男の方が、かぎ爪のようなもので、切り裂かれたのだとか・・・あら、ごめんなさい。」
「鉤爪」という単語に、つい反応した千鶴の、顔色が変わったのだろう。鶯の叔母が慌てて謝る。
「食事時にする話ではありませんでしたね。」
「あ、いえ・・・」
千鶴は、「鉤爪の化け猫」という言葉に、黒拍子を連想していた。
黒拍子は、猫というよりは、ほとんど人に近かったが、権大納言の北の方も、ナンテンも、二人揃って「獣の妖怪」だと言った。
ならば、あの背格好に爪の形は、猫が一番近いような気がした。
「あの・・・化け猫、というのは間違いないのですか?例えば、猫のような爪の人間だとか・・・?」
叔母君は、千鶴が何故そんなことを、聞くのかと不思議そうに首を傾げた。その横から、食事の世話をしていた里の女が口を挟む。
「間違いないようですよ。」
皆がそちらを振り向くと、
「あっ、すみません。」
ふくよかな中年の女が、「余計なことを申しまして。」と頭を下げた。
「いえ。よければ、詳しく教えてください。」
千鶴の言葉に、その場にいた里の者同士が顔を見合わせた。それから、先程の中年の女がおずおずと、
「あんまり、気分の良い話じゃないですけど、えぇですか?」
都の方に聞かせるような話じゃないないと、念を押されたので、大丈夫だと頷く。
「ここからは少し離れているので、私たちも、付き合いのある方ではないのですが、なんでも、殺されたのは男の方だそうで。」
「化け猫という噂は、どこからですか?」
「傷口が大きな爪で・・・その・・・引っかかれたような跡だった、とか。それに、あたり一面に、おびただしい数の猫の毛が落ちていたそうです。それで、普通の猫よりは大きな傷だから、化け猫だろう、と。」
他の者が、「引っかかれたっていうより、引き裂かれたってのが正しいんでねぇのか?」と補足する。
千鶴は、「猫の毛」について考えていた。
あのとき見た黒拍子には、毛があっただろうか?
一生懸命思い出そうとしたが、黒い装束に見を包んでいたくらいで、体表など思い出せない。
「ちなみに、その毛は黒色ですか?」
なんとなく、黒拍子に毛が生えていてたら黒いのではないか、と思った。
「さあ?色までは・・・。誰か、知ってるかい?」
中年の女は首をかしげ、あたりを見回したが、皆、一様に首を横に振る。
千鶴の切羽詰まったような聞きぶりに、なんとなく驚いた一同から、気まずい沈黙が流れた。ハッとして、鶯の叔母と里の者たちに謝る。
「申し訳ありません。お手を止めました。」
阿漕が、いつもの調子で、「そうそう。ご飯が冷めてしまいますよ。」と明るく言ったので、何となく皆にホッとした空気が流れた。
「なぁに。気にすることはない。」
僧都が鷹揚に言う。
「千鶴どのは、猫の妖怪に、興味がお有りかな?」
「あっ、いえ。あの・・・」
そういうわけでは、という言葉は、何となく口の中に飲み込まれる。御坊は気にせず、
「猫の妖怪といえば、猫又ですな。尻尾が2つに割れている、普通の猫の何倍も大きな猫じゃ。伝説では、長い年月を生きた猫が、妖力を得て、妖怪になるのだとか。」
「猫又?」
確かに聞いたことがある。有名な猫の物の怪だ。
「それは、どれくらいの大きさなのですか?人ほどの大きさのものもいるのでしょうか?」
御坊は、むにゃむにゃと口を反芻させ、
「そうじゃなぁ。普通の猫の何十倍って言う話じゃから、人ほどの大きさの者もおるのかもしぬなぁ。」
人ほどの大きさーーー黒拍子も、人と変わらぬ出で立ちだった。身長も、丸まっている猫背を伸ばせば、千鶴より大きいだろう。
御坊は、どこかに書物があったかもしれぬなぁと、首を傾げながら、
「猫又だの旧鼠だのといった妖怪は、この地に限らず、古くから聞かれておるものじゃ。猫も鼠も、人の近くにいるものだから、人の影響を受けやすいのじゃろう。」
「旧鼠・・・ですか?!」
御坊の口から出た言葉に、驚いて聞き返す千鶴に、鶯の叔母が、「鼠の妖怪ですよ。」と言い添える。
「左様。昔は、この辺りでも見たという者が時々、いたのじゃ。」
鶯の叔母が、御坊の続きを引き取って、
「単に長生きするだけではなく、強い未練や怨念というのも、魔のものとなる一因だそうです。おかた、その旧鼠も、一年前のそれも、その類のものでしょうて。」
それから千鶴たち三人を見て、
「ですから、鶯も、阿漕も、千鶴さんも、くれぐれも夜は外に出ないようにしてくださいね。」
その言葉に、阿漕が、背筋をぶるりと震わせ、ブンブンと首を横にふる。
「夜に外にだなんて、都でも恐ろしいのに、こんな見知らぬ地でなんて、出歩きませんよ。ねぇ?」
鶯と千鶴に同意を求めるように、こちらを見たので、千鶴は思わず苦笑した。
都にいるときは、白拍子として呼ばれれば、夜だろうが何だろうが、しょっちゅう出歩いていたのだ。
ふいに、鶯が、「千鶴」と、小声で呼びながら、腕に触れてきた。
それに、無言の頷きで返す。
鶯の思い浮かべていることが分かる。千鶴も同じだから。
旧鼠。
宇治には行かない、と言ったナンテン。
やはり、この地に何か縁があるのかもしれない。
強い未練や怨念を抱えているのか。
都で、元気にしているだろうか。
短めですが、キリがいいので。
次回は来週です。




