64 名もなき鼠
妖怪や妖かしの類いには、産まれたときからそうであるものと、普通に生きてきたのに、何かのきかっけで、变化してしまったもの、の2種類がいる。
ナンテンは、生まれながらに、この姿、すなわち前者の妖怪だった。
生まれたのは、どっかの子沢山で貧乏な家の天井裏。
今にも崩れそうなボロボロの柱と、歩けば軋む梁の合間で、その家の主に負けず劣らず子沢山な鼠の家族だった。
親は普通の、至ってどこにでもいる茶色い鼠。子どもたちも、色の濃淡はあれど、皆、両親と同じ姿、形をしていた。
ただ一人を除いて。
ナンテンだけは、くすんだ白と灰色と茶色のミケ模様に、南天の実ように真っ赤な瞳。身体も他の兄弟たちより一回り大きく、異質。たぶん、他者が見れば明らかに浮いていただろう。
しかし、当時のナンテンは、そんなことに気づかなかった。自分の姿を見たことなんて、なかったし、他の兄弟たちよりも、ちょっとばかり体格が良いだけで、姿形は、みんなと同じなのだと信じていた。
腹が空けば、兄弟たちと同じく、母の乳を競って飲んだ。
体格に恵まれたナンテンは、兄弟たちと競えば、負けることはなかった。他の小さな子どもたちを押しのけて、ガブガブと母の乳にありついた。
しかも、飲む量が多いせいで、一度、食らいついたら離さない。
たぶん、母は疲れていたんだろう。
ひょっとしたら、明らかに異形なナンテンのせいで、他のかわいい子どもたちに乳が行き渡らなくなるのを恐れたのかもしれない。
次第に母は、ナンテンのいるところで、子どもたちに乳をやらなくなった。
それでもまだ、ナンテンは、自分が疎まれているとは思わなかった。親からも他の兄弟からも、距離をおかれていることに、気が付かなかったのだ。
ある日、ナンテンは、一人だけ、父から外に連れ出され、草の実や雑穀の食べ方を教えてもらった。人間たちの穀物倉に忍び込むことも。
父には、「お前は、身体が大きいから、他の兄弟たちよりも早く、そうしたことができるのだ」と言われた。
そうして度々、父と出かける日が続いた、ある晩、雑穀が山と積まれた穀物倉で、父は言った
「私は、先に帰るから、腹が満たされたら戻ってこい」
ナンテンは、言われた通り、もうこれ以上は食べられないほどに、お腹いっぱいになるまで食べてから、幸せな気分でいつもの天井裏に戻った。
腹は満たされたとて、まだ子ども。母の側で兄弟たちと、温もりを分け合って眠りにつくつもりだった。
しかし、ナンテンが天井裏に戻ったとき、そこには誰もいなかった。
「・・・父さん?」
もぬけの殻のねぐらで、ナンテンは、先に戻ったはずの父を呼んだ。
しかし、返事はない。
「母さん?」
今度は、愛しい母を探して、柱から、柱へと駆け、そう広くもない天井裏の隅々まで歩きまわる。
そして、一緒に遊んだ兄弟たちーーー
「みんな・・・?」
しかし、その誰からも返事は返ってこなかった。
ナンテンは、クンクンと鼻をひくつかせて、床に残っていた匂いを嗅いだ。
嗅覚は、他の兄弟より、飛び抜けて鋭い。誰が、いつ頃、どんなふうに移動したのか。そういう情報を痕跡から辿ることができる。
だからこそ、気づいてしまった。
自分が戻る直前、家族が全員、同じ方向に動いたことを。それも、何かから逃げるように、慌ただしく。
ーーー猫が来たのか?
いや、そんな匂いは無い。
でも、ひどく怯えて、逃げている。
ナニから?
・・・・・・ボクから?
置いていかれた。そう理解するまで、時間はかからなかった。
追いかけないと!
すぐに、そう思った。
なぜ、自分が、一人取り残されたのか、理解できなかったから。
ナンテンの嗅覚をもってすれば、今からでも追いつくことは可能だ。身体も大きいし、幼子を引き連れた移動なのだから、そう遠くへはいけないはずだ。
ーーーけれど・・・
わざわざ、ナンテンを置きざりにした父。
逃げるように引っ越した家族。
そして、痕跡に残る、僅かな怯え。
彼らは、明らかに、ナンテンを拒絶していた。
「ボクは・・・・捨てられたのか?」
疑問は、同時に確信だった。
悲しいことに、鋭敏な嗅覚が、その答えを教えてくれた。
ボクが行っても、皆、困るんだ。
ボクは、一緒にいってはいけないんだ。
ナンテンは、しばらくその場で、呆然と座り込んでいた。涙は出なかった。ただ、理解が追いつかなかった。
しばらく、そのまま座っていたが、やがて立ち上がると、くるりと、背を返し、みんなの行ったほうとは、反対方向に向かって歩き出していた。
なんでなんだろう?
なんで、ボクは、捨てられたんだろう?
ちょっとばかり、他の子たちより、身体が大きくて、力が強いから、どうしても押しのけてしまう。
しかし、悪気があるわけではないし、努めて、優しくしていたつもりだ。
なんで?なんで??
そんなことばかり考えながら、トボトボと行く宛もなく歩きているうちに、水の匂いを嗅ぎ取った。
「そういえば、喉、乾いていたなぁ・・・」
匂いのする方へと引き寄せられていくと、大きな川に出た。
「やった!水だ!!」
川岸の砂利が作った、小さな水たまりに走り寄り、落ちないように、慎重に覗き込んだ。
その晩は、折よく満月で、綺麗な月明かりがキラキラと水面に反射していた。
いつも薄暗い汚水ばかり飲んでいたから、こんなにも綺麗な水は、初めて見た。
「すごいっ!!」
ナンテンが、おそるおそる水溜りを覗き込んだ、その瞬間、
「うわぁっ!」
突然、目の前に現れた三毛猫に、慌てて、後ろに飛び退いた。
「ね・・・ね・・・ねこっ?!」
猫は、鼠にとって天敵だ。
下手を打てば、出会い頭に首根っこを抑えられる。だから、猫を見かけたら、ともかく逃げる。彼らの手の届かない隙間に入り込まなくてはいけない。
ナンテンは、川から逃げ出し、近くの雑草の中に身を隠した。低く身を構え、猫が過ぎ去るのを待つ。
しかし、先程、確かに目の前に、現れたはずの猫は、一向に姿を表さない。
「おかしいなぁ・・・。」
警戒しながら、鼻をクンクン鳴らす。けれど、猫らしき獣の匂いはしない。
見間違えたのかと、おそるおそる、草の根から身を出して、再び水辺へ。 そろそろと川を覗き込んだ瞬間、再び、その猫が現れた。
「うっわぁ!」
驚くナンテン。そして、猫も同じように目を丸し、恐怖に怯えた顔をしていた。
同じようにーーー?
「あ・・・れ?」
どうも、様子がおかしい。
なんで猫があんなに怯えているのか。
ナンテンは、もう一度、そろそろと川を覗き込む。
やはり、少し小さな三毛猫がそこにいるが、襲いかかってくる様子はない。
ナンテンがパチリパチリと、瞬きを二度、三度繰り返すと、三毛猫も瞬きを二度、三度。
鼻をヒクヒクとふくらませると、猫も鼻をヒクヒク。
そういえば、いやに鼻の尖った猫がいたものだ。そして、耳が小さい。
ナンテンは、何気なしに自分の手を耳に当てた。すると、猫も手を耳に当てる。
その時、びゅうっと風が吹いて、猫の姿が、ゆらりと揺れた。
「あっ・・・」
それが、生まれて初めて、自分の姿を見た瞬間だった。
これはーーー猫、じゃない。
「ボク・・・の姿なの?」
くすんだ白に灰色に茶色の三毛模様。
目は、血でも垂らしたみたいに、異様なほどに赤い。
知らなかった。
ボクの姿がこんなふうだなんて。
知らなかった。
こんなに・・・こんなに醜い色をしていたなんて!
ただ、身体がちょっと大きいだけだと思っていた。それだけ、だとーーー。
でも、これじゃあ、まるで・・・
「まるで、猫・・・じゃないか。」
ナンテンの赤い目から、涙がぽろぽろこぼれ落ちた。
そして、理解した。自分の捨てられた理由を。
「そうか、ボクはやっぱり置いていかれたんだ。」
だって、こんな異様な姿の、力の強い兄弟なんて、気持ち悪いに決まってる。
猫に似たこの姿、皆は、さぞかし怖かっただろう。
だから、父さんも、母さんも、他の子どもたちを連れて逃げたんだ。
ボクはもう、一人ぼっちなんだ。
いや、違う。
ボクは、最初っから、ずっと一人だったんだ。
生まれたときから、ボクの仲間は、誰もいない。
どこにもーーー。
ナンテンは、鼻先をぼちゃんと川の水につけた。ごくごくと水を飲む。
鼻と口から流れ込む水は、臭くて苦くて、少し、塩辛かった。