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7 追跡の夜 1

千鶴は、暗がりの道を、ぼんやりと浮かぶ灯りを頼りに、歩を進めた。

つけていることを、相手に悟られぬよう、息を殺す。


雨上がりのじめじめとした風が、肌に不快にまとわりつきいてきて、少しばかり息苦しく感じる。


今朝早く、鶯から、「今夜、父が出かけるようだ。」と連絡が来た。鶯邸を訪れた翌々日のことだった。

例の年老いた下男が、手紙を携えてやってきた。


そこには、童顔に似合わぬ、訓練された優美な筆跡で、「おそらく、婿と会うはずだから、後をつけて、その正体を暴いてほしい」と、記されていた。

千鶴は、ただ一言、「(だく)」と書いた紙を、下男に渡した。


そして、今、約束したとおりに、鶯の父、七条兼助(しちじょうかねすけ)を追尾している。


夜道をのろのろと進む牛車を、千鶴は徒歩で追いかけていた。


今日は、白拍子の衣装ではなく、動きやすい、小袖(こそで)(庶民の着物)を身に着けていた。鶯からのお礼はまだで、白拍子の衣装は未だ使い物にならないが、それ以上に、あんな目立つ格好では、密偵などできやしない。

ただ、腰の刀だけは、いつもどおりに差していた。


この腰の刀、模造品を用いる白拍子も多いと聞く。本当には抜けない、なまくら刀。しかし、千鶴の使っているものは、正真正銘、本物の刀であった。

女二人暮らしは何かと物騒なことも多い。そういうときに自分の身を自分で守れるように、と菊鶴が用意してくれたものだ。小型で、軽く、千鶴の手になじむ。

千鶴は、菊鶴から、剣舞とともに、剣技を叩きこまれていた。


鶯の父、兼助の乗る牛車は、最低限の小さな灯りだけを頼りに、朱雀大路を横切り、右京へ入っていった。


京の都は、400年かけて、左へ、左へと発展してきた。右京は、今では住む人は少なく、朽ちた邸宅の跡が並んでいる。荒んだ町並みは、灯りがほとんどなく、今夜のように新月の夜は、一寸先も闇。


千鶴は、よく目を凝らし、足元に注意しながら、牛車の後を追った。牛車は、どんどん、都の中心部から離れていく。


(朱雀大路を越えてから、随分たつ。どこまでいくんだろう。)


辺りはすでに、邸宅の跡地ですらなく、ただ草の生い茂る道を踏み分けて進む。

牛車は、荒地の中にポツンとたつ庵の前で止まった。


庵は、木塀と柴垣に囲まれて、どうやら庭もあるようだ。辺り一面の中で、そこだけ妙に立派で、辺りの景色から浮いていた。


(こんな都の外れに、こんなに立派な家が?いや。ひょっとしたら、ここはもう都の中ですらないのかも。)


都を南北にかけて走る朱雀大路の一番南には、羅城門がある。つまり都の南端は、その門ということになる。しかし、一方で、町全体が塀や柵に囲まれているわけではない。都の外と中の境界は、存外に曖昧だった。


牛車が中に入ると、ギギギと軋む音とももに、庵の門がしまった。


千鶴は、気が付かれぬように、手前で足を止め、灯りのともった門に目を凝らす。門には2名の見張りがいた。


これ以上近づくのは無理だろう。


とりあえず、他に誰か出入りする人間がいないかどうか、ここに腰を据えて見張ることにした。


門が見える、ちょうどいいところに、手頃な木が生えていたので、その根元に腰を下ろす。

ここ最近の長雨のせいで、地面は、じっとりと濡れていた。そこに、水分を含んだ湿った風が、小袖の中まで入り込んで、肌に触れる。じわり、と汗が滲んだ。


旧鼠(きゅうそ)が、小袖の隙間から顔を出し、鼻をクンクンとひくつかせた。


「何か匂う?」


千鶴が小声で尋ねると、旧鼠は、真黒な鼻頭に向けて、二つの真っ赤な目をキュッと寄せた。


「あんまりいい匂いじゃないぜ。」

「物の怪の匂・・・とか?」

「まぁ、その類・・・かな。風が湿っていて、よくわからねぇが。」


鶯は、今回の縁談には、「必ず物の怪が絡んでいる」と言っていた。旧鼠もその匂いをかぎとっているのだとしたら、鶯の勘は、あながち間違っていない。


「それにしても、どうして、こんなことを引き受けたんだよ?」


旧鼠が、首をひねって、千鶴のほうを仰ぎ見た。


「夜道を助けてやったうえに、こんな物騒なことに付き合ってやるなんて、お人好しにもほどがある。」

「それは・・・うーん。」


千鶴は、人差し指で、ぽりぽりと頬を掻いた。


「でも、あんただって、付き合ってくれているじゃない?」


そのまま、千鶴たちの家に居着いてしまった旧鼠は、この話を聞くと、すぐに、「自分もついていく。」と言って、千鶴の着物に潜り込んだのだ。


「オイラは、助けてもらったからな。それに、一宿一飯の恩義もあるし。」


勝手に居座った物の怪のくせに、妙に義理堅いことを言うのが、珍妙で、千鶴は、思わず苦笑いした。


「いくら脅されていたとはいえ、あんたなら、断ることも出来ただろう?その櫛とやらを強奪してでも。」


千鶴は、鶯と話したときのことを、思い出した。

もちろん、菊鶴から借りた衣装のこともあり、無茶な対応をしたくなかった、というのが第一の理由だ。


だが、確かに、引き受けたのは、それだけではない。


あのとき、千鶴の舞に対し、鴬は、「見事。」と、無邪気に拍手をくれた。そこには、下卑た打算も、媚びた下心もなかった。

彼女は、素直に、一点の曇りもなく、千鶴に称賛をくれたのだ。


あの短い時間で、千鶴は、鶯に対し、好感を抱いていた。だから、自然と、彼女に同情し、引き受けずには、いられなかったのだ。


「鶯のほうが、一枚上手だった、ということかな。」


千鶴が、そう答えると、 旧鼠は、少し首をかしげて、「ふぅん。」と、短く答えた。


「まぁ、いいや。何かあったら、助けてやるから呼べよ。オイラは、夜行性だから、今が一番、力が強いんだ。」


その割には、この前の晩、追われていたじゃない、と思ったが、余計なことは口にせず、「ありがとう。」と声をかける。

旧鼠は、「きゅう」と鼻を一つ鳴らしてから、千鶴の懐の中にすとんと戻っていった。


どれくらい待っただろうか。


庵の向こう側には、竹林があるらしい。

しめやかな風が吹くたびに、がさがさと細い葉がぶつかり合う音がする。周囲には、細かい霞が立ちはじめ、闇が灰色がかる。


ふと、千鶴の耳に、笹の葉のはずれの音に混じって、か細い女の声が聞こえてきた。


「もし?」


最初は、聞き間違いかと思ったが、二度目は、先ほどより、はっきりと呼ばれ、気のせいではないと気づく。


「もし、そこのお方。」


千鶴が声のした方を振り向くと、霞の奥から、ぼんやりと、女の姿が浮かび上がってきた。


「っ・・・?!」


千鶴は、思わず声をあげてしまいそうになる口を、両手でおさえた。


千鶴の視線の先に、女が立っている。

ハッとするほど、白い女だ。


(いつから、いた?)


ずっと、入り口に注意を向けていたせいで、気がつかなかった。


貴族の女性が、よく出歩く際にしているように、着物の裾を上げた壺装束(つぼしょうぞく)を身に着け、頭には、薄い布地を足らした市女笠(いちめがさ)をかぶっていた。


「そこのお方よ、(ぬし)は、このお屋敷をみておられるのか?」


立ち込める霞のずっと奥のほうから響いてくるような声だった。


千鶴は無意識のうちに、剣のつかに手をかけていた。

正体のつかめなさ、という点においては、旧鼠を拾った、いつぞやの夜に会った男を思い出す。いや、それ以上。


千鶴は、女の挙動を注意深く見守った。

笠に垂らした布地の隙間から、のぞく瞳は、細長く、つり上がっている。唇だけは、不自然なほど、赤い。


「ついていらっしゃい。」


女は、高く細い声でいうと、千鶴の返事を待つことなく、くるりと踵を返した。霞の奥へに向かって、すすすと歩いていく。


(どうする?)


千鶴は、つかの間、刀をにぎったまま、停止した。


闇夜に揺らめくその姿は、この世のもとは思えない。


湿気に誘われて背中に流れていた汗が、いつの間に冷え、ぶるりと身震いがした。


先に進んでいた女が、着いてこない千鶴に気がつき、足を止め、振り返った。


()く。」


笠から覗く、その両目に捉えられた瞬間、千鶴の足が、勝手に一歩、踏み出していた。


「!?」


一歩、また一歩と、千鶴の意思とは無関係に足が動く。


(逆らうことが・・・できないッ!?)


千鶴は、女から出る見えない糸にでも引っ張られるように、女の後をついていった。ひとつにまとめられた長い髪が、女の背で、ゆらゆらと揺れていた。


女は、松の木の傍らまで来ると、ピタリと足を止めた。

千鶴を見てから、木の上を見上げる。どうやら、「登れ」ということらしい。


千鶴は、指示されるがままに、枝に足をかけて、木に上った。

木の上から見えた景色に、思わず息を飲んだ。


「ここは・・・」


霧と闇夜で気がつかなかったが、ちょうど、庵の壁沿いに歩いて来ていたらしい。


「あれは、屋敷の庭?」


そこからは、まさに、千鶴が見張っていた庵の庭なら部屋の中までが、ちょうど見えた。


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