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白拍子は黄昏を踏む 〜千鶴の幻想怪奇譚~  作者: 里見りんか
第3章 章外 千鶴は預かり知らぬ会合
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密談

大弁については、「43 厄介な依頼2」をご参照ください。

大弁(だいべん)(役職の一つ)は、なぜ自分が、さして親しくもない、この男の杯を受けてることになったのか、未だによく分からない。


「いい酒が入ったのです。ぜひ、ご賞味ください。」


徳利を傾けてきたのを、「いえ。自分で。」と断ったが、すぐに、「ここは、若輩者の私が注ぐべきでしょう。」と押しきられ、なみなみと杯を満たされた。


口をつけた酒は、たしかに上等だった。舌の上を上品に刺激するその味は、まるで祝い事のときにでも飲むような、めったに口にできない代物。

しかし、なぜ自分がこれほどのもてなしを受けるのか。

理由が定かではない好意は、かえって不信を招く。


「いえね。たいした用事ではないのですよ。」


目の前の男は、大弁の不安を感じ取ったかのように穏やかに言った。整った顔立ちが、妙に愛想の良い笑顔を浮かべている。


聡い男だ。


「一つ、教えていただきたいことがあるのです。」


やはり、ただの酒ではないか。大弁は手にした杯に口をつけずに、コトリと置いた。


「私にお答えできることかな?」


警戒した気持ちを、あえて、隠すことなく匂わせる。


「ええ。大したことではありません。」


男はそんな気配など微塵も気にせず、泰然と言うと、杯をゆったりと口許に運び、至高の酒を味わうように一口含んだ。

その杯をゆるりと口から離し、


治部卿(じぶきょう)の息子が、近衛の舎人として、左近衛府で働いているようですね。」


予想外の名の登場に、一瞬、たじろいだが、すぐに、


「そのようですな。詳しくは、知りませんが。」


治部卿 平業兼(たいらのなりかね)の息子は、正式に引き取られ、平業光(たいらのなりみつ)と名を変えた。今はまだ近衛の舎人だが、早晩、もっと高い位を賜るだろう。


「またまた。あなたは、治部卿とは、昵懇の仲。そのあたりのことは、よくご存じでしょう。」

「よく知っていたから、なんだというんだ?」


持って回ったような言い方に、つい苛つきが態度に出る。


「まぁ、まぁ。聞きたいのは、大したことではないのです。」


男がほとんど減ってもいない大弁の杯に、酒を満たす。それを、促されて口に含もうとした大弁に、


「なんでも、その近衛の舎人、女という話も。」


大弁は、思わずブッと吐き出した。


「どうしました?」


男は涼しげな目元で、こちらを推し量るように尋ねた。


「あっ・・・あまりにも、くだらないことをいうから、驚いただけだ。女でなど、あるはずがなかろう。」


男は、じっとこちらを見ていたかと思うと、頷いた。


「えぇ。こちらでも、少し調べましたが、間違いなく男でした。」

「当たり前だろう。」


調べた、という言い方にひっかかりを感じたが、深くは尋ねなかった。ただ、幸いにして、平業光が目を覚まし、本物と入れ替わった後だったのだろう。運がよかった。


しかし、その楽観的な考えは、次の台詞によって打ち砕かれた。


()()()()()()()は。」

「今・・・の?どういう意味だね?」


男はうっすらとした笑みを浮かべて言った。


「以前、彼は、勤務中に黒拍子を追いかけ、胸の辺りを負傷しましたね。あるいは、その時の者は別人だったのかと。」

「なっ・・・」

「どなたかが、入れ替わっていたのではないかと思いまして。」

「そ・・・んなこと、あるわけなかろう。ばかばかしい。」


大弁は、つい、視線を反らした。

なぜこの男が、そのことを知っているのか。そして、なぜ今更、知りたがっているのか。


ある、一つの可能性が頭に浮かぶ。


治部卿の失脚。


「そんなに、警戒しないでくださいよ。」


それを見越したかのように、男が、気安い口調で言った。


「私が知りたいのは、治部卿のことじゃありません。その女が、どこの誰かってことなんです。」


ハッとして、顔をあげると、絡み付く視線に、捉えられた。


今、この男は、はっきりと、「女」と言った。

顔は先程までと同じ柔和な装いだが、その瞳の奥には明らかに、狡猾な表情がのぞいている。


「別にいいのですよ。確かめてみても。」


手元の杯をくるくると回しながら、たっぷりと間をとって、


「今の治部卿の息子と入れ替わっていないのであれば、胸に黒拍子と戦ったときの傷があるでしょう?」


脅している。

大弁の背に、ひやりとした汗が伝う。


「確かめる、と言ってもどうするのだ?まさか、捉えて着物を剥ぐわけにはいくまい?」


自分の声が震えていないことに安堵する。怯えているとは認めたくなかった。

しかし、男は笑った。声も出さずに、ただ、ニヤリと。やり方などいくらでもある、とでも言いたげに。


(脅しではない・・・。)


この男、本気でやるつもりだ。


身体の奥で肝が縮んだ。現時点の位は自分の方が上。しかし、男はまだ若い。

この男は、得体の分からぬ何かを腹の中に飼っている。鬼か、(じゃ)か。相対している自分が、卑小や存在だと思えてくる。

陰で皆に、「ぬらりひょんのようだ」と嘲笑される広い額に、冷たい汗がビッシリと浮かんでいた。


自分が敵う相手ではない、と否応なしに感じさせられる。


「先程からいっているではないですか。私が知りたいのは、治部卿の息子の身代わりをしていた女が、どこの誰かっていうことだけ。治部卿にも、息子本人にも興味はありません。」


大弁は、杯を置いて、ふーっと大きな息を吐いた。自分が、この男に陥落させられたのだと認めざるを得ない。


「身代わりだ、なんだという話はわかりませんがね。」


こちらの態度が変わったのが分かったのだろう。男は沈黙で、先を促した。


「治部卿のご子息によく似た白拍子がいる、という話なら聞いたことがあります。」


男の眉毛が、大きく動いた。


「それは、興味深いですな。」


大弁は、平業光の身代わりになってくれた白拍子について、男に話した。男は、獲物を見つけた狼のように、残忍そうな笑顔をみせた。


何をしでかすつもりなのか。


決して穏やかではない理由であることだけは、分かった。そして、それに立ち入らぬほうが身のためだ、ということも。

こちらに協力をしてくれた娘には、申し訳ないが、仕方がない。


この男ーーー()()()に目をつけられては、無事では済むまい。


だが私は、自分の身と治部卿のほうが大切だ。


先程まで、美味いと思っていた酒は、もう、何の味もしなかった。


大弁は、心の中で、千鶴に詫びるとともに、もうこの件は、忘れようと誓った。


これで第3章のお話は、章外含めてお終いです。ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。

あとは、今週中に3章の登場人物一覧を更新予定。


章の区切りがついたので、また、少し休憩をいただきまして、第4章「猫が噛む」は11月末から再開予定です。登場人物一覧の更新と前後して、4章のあらすじを活動報告に載せる予定なので、ご興味ある方はぜひ。


ストーリー全体はすでに折り返しております。最後まで頑張りますので、お付き合いいただければ嬉しいです。

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