公賢と朝雅
朝雅については、「42 厄介な依頼1」をご覧ください。
噂どおり、つかみどころのない男。
それが、安部公賢と正対した平賀朝雅の率直な感想だった。
鎌倉より、京都守護に任じられて、早1年。名だけは、よく耳にするこの男と、実際に会うのは初めてだ。
浪人として、ふらふらしていたところを、拾って面倒を見ている部下の曽我惟任に命じ、面会の場を設定させた。
人嫌いと言うので、一筋縄ではいかぬだろうと思っていたのに、なかなかどうして、すんなりと会う約束を取り付けてきたのには驚いた。そして、今、公賢の屋敷の釣殿で二人は、相対している。
目の前の公賢は、この会合をどのように受け止めているのか。会うことを承諾したのは、公賢からの頼まれごとを惟任が引き受け、全うしたお礼だと聞いている。
喜んで待ち望んでいた、というわけではあるまい。しかし、嫌々ながら、というふうにも見えない。
「この酒は、なかなか変わった味にございますな。」
公賢が、手にした杯をくるりくるりと回して、香りをかぐ仕草をした。中には、朝雅が手土産として持参した酒が入っている。
この家の吊り目の女房が、すぐにつまみと一緒に出してくれた。
「私が以前おりました、武蔵の国でとれたものでして。」
「なるほど、少し荒々しくも、芯のある風味は、東国の味わいでしたか。」
聞きようによっては、田舎者という嫌味にもとれそうだが、公賢の言い方は、そういうものではなかった。味わうように口に含み、確かめるように目を瞑る。純粋な好奇心からでた言葉なのだろう。
「お恥ずかしい。京の風流なお人には口に合いませぬか?」
「いえ。上手いですよ。」
公賢の、糸のように細い目が、弧を描いて笑う。
聞くところによると、陰陽道というのは、森羅万象を陰と陽に分けるのだという。人の場合、女は陰、男は陽だ。しかし、そういう性別とは別に、人を気質で分けるとすると、この男は「陰」だ。
風のない早朝の湖面のように、静かで、受容的である。
それでいくと、自分など、紛れもなく「陽」であろう。思い立ったら動かぬと気がすまぬほどに能動的であり、あれこれ思いを巡らせるよりも、実際に試行錯誤するほうが性に合う。
そういう点においても、正反対な二人であった。
「酒をお褒めいただくのは、ありがたいのですが、それで先程の話については・・・」
公賢が、口につけていた杯をすっと離し、朝雅の方を見た。愉しみの邪魔をされた、と思ったのかもしれない。
「失礼。」
つい、いつもの癖が出てしまったことを、朝雅は、率直に詫びた。
「私は、性格柄、どうもまどろっこしいのは苦手でして。結論を教えていただきたいのです。」
公賢が、左右の口の端を持ち上げ、「ふふふ」と笑った。
「快刀乱麻がごとく、ですな。」
「は?」
「あなたの、その在り様は。」
「はぁ・・・?」
「何事も、すっぱりと片を付けねば気が済まない。」
「は・・はぁ。」
どうも、頓珍漢に話をはぐらかされているような気がする。
「武士というのは、戦の機をみるのも大事でしょう?時が来れば、一気呵成で攻め込むのも。しかし、機を見るのは戦だけではありません。政や、世の情勢も、機を見なくては。急ぎすぎると、回りが見えなくなりますよ。」
「私の分析は良いのです。聞きたいのは、先程の件へのお返事でして。」
「それは失礼いたしました。私は、性格柄、あれこれ観察したくなるようでして。」
「あぁ。もう!」
朝雅は、頭をぐしゃりとかいた。やはり、陰と陽。いや、これは、水と油のようだ。
「あなたと話していると、なんだか、ぐにゃぐにゃとした、掴み所のない気持ちの悪いものと相対しているような気がする。」
「それは、いけませんな。私程度で、そのような気持ちになられては、この先、宮中で百戦錬磨の公卿たちを、相手になど出来ませんよ。」
朝雅は、頭を掻いていた手を、はた、と止めた。
「公賢どの。なぜ、そのようなことをおっしゃる?」
「そのようなこと、とは?」
「一見、のらりくらりと、かわしているようで、その実、まるで、私に向けた助言のような。」
「はて。」
公賢は頭を捻った。
「そのようなつもりはありませんでしたが、あなたを目の前にすると、何となく言わなくてはならないような、気がしまして。」
薄い唇が左右にすっと引っ張られた。時間差で、これも笑顔なのだ、と気づいた。やや不気味ながら。
「さて、貴方からのご提案ですが、」
唐突に話が本題にに切り替わり、朝雅は、ぴりっと背をただす。
「受け入れる、というわけにはいきません。」
「なぜ・・・ですか?利害は一致しているでしょう?」
「害が一致しているだけで、仰ぐものが違います。」
「仰ぐもの・・・ですか?」
「あなたは右大将 源実朝に使える身。鎌倉の地位の保全こそが、至上命題でしょう?一方で、私が仰いでいるのは、帝であり、それ以上でも以下でもない。帝にとって善きか悪きかの二者択一です。」
この言葉には、素直に驚いた。
「貴方に、そんなにも帝にたいする忠誠心がおありとは、存じませんでした。」
宮中に出仕もせず、高い位への任官も断っていると聞いていた。だから、てっきり帝に対して距離をおいているのだと思っていた。
「私は、政治的な駆け引きには興味がないのです。あくまで、帝に仕え、支えるという点においては、他に劣りませんよ。」
「そうでしたか。」
朝雅は、顎の下に手をあて、
「しからば、帝にとって善き事ならば、手を組んでもよいということではありませんか?」
「受け入れるわけにはいかない、といいましたが、拒むとも申しておりません。」
「どういうことでしょう?」
訳がわならなくなってきた。
「貴方は、あなた方の敵を排除するために、協力して欲しい、と申されました。そして、その敵とやらに対しては、私たちも好ましく思っていないのだろう、と。」
「えぇ。公賢どのは、例の・・・鵺を捕らえましたね?」
「ほう。気づいていましたか。」
以前より、宮中にしばしば現れていた、ぬめぬめとした黒い塊。それを、鵺と呼ばれるモノノケではないか、と朝雅は考えていた。
「鵺塚が荒らされていましたからね。」
確信はなかったから、カマをかけたのだが、公賢の反応からして、当たりなのだろう。
「鵺は、権力を好む。かつて、近衛天皇を狙ったように。」
御所の屋根の上を黒雲で覆って、夜な夜な近衛天皇を苛んだと言われている。それを源頼政が剛弓で撃ち落として退治した。
頼政の倒した鵺が落ちてきた場所には鵺塚の碑があり、その下には、鵺の身体の一部が埋められたという。
その鵺塚を、最近、何者かが掘り起こした跡があった。そして、それから程なくして、都を徘徊する黒い影。
朝雅は、この鵺を、誰かが目的を持って放ったものだと考えている。そして育てていた。おそらく、公賢も同じ考えだろう。
では誰が、なんのために放ったのか。たぶん、帝を狙ったものではない。狙いは、新たに力を持ち始めた新興勢力。つまりは、鎌倉。
さらに朝雅は、その狙いを持った者についても掴んでいた。
帝にとっては、鎌倉は、頼もしい一面もありつつ、目の上のたんこぶでもあるだろう。だから、この件に対して、敵となるか、味方となるかは判断は五分五分だ。
しかし、少なくとも、ここ最近の公賢の動きをみていると、その相手とは敵対しているように思えた。だからこそ、共闘をもちかけたのだ。
「あなたが乗り気でないのは、帝を狙っている可能性が低いから、ですか?しかし、それは・・・」
「直接的な狙いがそうでなくとも、結局は巻き込まれる、といいたいのでしょう?」
「そうです。現に、皇族の血を分けた娘が狙われたでしょう?」
「なるほど。」
公賢が突然、嫣然とした仕草で、扇を開いた。シャッと短い音が空を切る。なぜだか、背筋がゾクリと震えた。
「つまり、貴方の手足は、曽我惟任だけではない、と言いたいのですね。」
「ぐっ・・・」
別にそれを伝えたかったわけではないが、暗に匂わせたのは確かだ。
「皇族の血を分けた娘、ですか?」
公賢は答えない。しかし、この言葉から汲み取ったとみて間違いない。
なぜなら、惟任はこの娘のことは、一度たりとも朝雅に告げたことはなかったからだ。そして、この男は、惟任が、朝雅に告げないことも分かっていた。
「すまない。あなたを怒らせるために言ったのではないのです。」
たぶん触れてはいけないところに触れてしまったのだろう。朝雅の長年培った勘が、頭の中で、そう警告している。
「惟任にとって、それほどまでに大事な娘、なのですね。」
その言葉に、今度は、公賢が微笑んだ。一瞬、見間違いかと思うほど、優しい目で。まるで、子を見守る親のようにも見えた。
惟任は、これほど深く、この男の懐に入りんでいるということだろうか。
(いや、それとも大事なのは、娘のほうか?)
いずれにしても、これ以上、踏み込んではいけない。人間も動物と同じで、踏んではいけない尾というのはあるのだ。
朝雅は、コホンと一つ、咳払いをして、
「話を鵺に戻しましょう。」
すると公賢が、どこに忍ばせていたのか、黒い小さな坪を取り出し、トンと置いた。
「これのことですね。」
「それ・・・は!持っていたのですね。」
手を伸ばして取ろうとしたら、さっと取り上げられた。
「おっしゃる通り、私は、この者のやろうとしていることを、見逃すつもりはありません。止めたい、と思っている。それは、帝も一緒です。だから、あるところまでは手を組むことはできると、思います。」
「あるところまで、とは?」
「あなたの目的は、鎌倉の権力維持。でも、私たちは違います。あの者たちを止めたいと思いますが、その過程で、鎌倉の権力が衰退したとしても、構いません。」
淡々と述べる公賢に、
「一つ確認したい。」
「なんでしょう?」
「あなたたちは・・・あなたと帝は、あの男たちとは、思想を異にしている、と考えていいのでしょうか?」
公賢は、「えぇ。そのとおりです。」と、はっきりと頷いた。
「長年、政治や文化は、帝と一部の公家たちが、引っ張ってきました。しかし今は、その形のあり方が、徐々に変わりつつある。今上帝は賢い方です。その変化を、極めて冷静に受け止めていらっしゃる。そして、鎌倉は、その変遷の渦の中で、歴史の一部として生まれ出たもの。しかし、」
「しかし?」
知らぬ間に、朝雅の喉がごくりと鳴った。
「鎌倉、というのは、我らにとっては、社会における一機能にすぎない。この変化の流れを止めるつもりはないが、そこに鎌倉がある必要はないのです。」
公賢は、鎌倉を背負ってこの場にいる朝雅に向かって、不遜なほどに堂々と、「お分かりですかな?」と言ってのける。
「つまり」
朝雅は、公賢の意図を読み取ろうと、頭を隅々まで回転させた。
「手を組んだとしても、展開次第で対立する、あるいは切り捨てる場合があり得る、ということですかな?」
公賢は、にこりと笑って、
「お分かりいただけましたか?」
朝雅は、公賢の言葉を噛み締めるように、考える。あらゆる角度から、考察し、結論を出した。
「わかりました。やはり、一旦は手をとり、今後、万が一、利益が対立することになれば、その時は、同盟は速やかに解消しましょう。」
朝雅は、合理的な考えを好んだ。
加えて、どろどろと裏で手をまわしたり、駆け引きをしあうのは苦手な朝雅にとって、公賢のように、事前に明かしてくれるのは、分かりやすくてよい。
朝雅はこの短い会合の間に、公賢のことを、つかみどころがない男だが、卑劣さや、後ろ暗さはない、信用のおける人間だと見極めていた。
そして、決して感情が読めないわけでもない。
「いいでしょう。」
公賢が、頷いたので、
「それでは、交渉成立ということで。」
朝雅が、ゴツゴツとした手を差出し、それを公賢がとった。手が触れる瞬間、ひやりとした冷たい触感を想像したが、そんなことはなかった。
公賢の手は、色白で、細長く、流麗だが、人の体温だった。
(良かった。やはり生きている。)
霊のような捉えどころのないものは苦手だが、人間なら、人間同士、付き合える。
朝雅は、改めて、この男を信じようと決めた。
「では。」
握手が済むと、朝雅は、忙しく立ち上がった。
「もう行かれるのですか?まだ、酒が残っていますよ。」
「用事は済みましたから。その酒は、貴方への土産なので、どうぞ、呑んでください。」
朝雅には、風流な庭を眺め、和歌でも興じながら酒を呑むような趣味はない。そんな時間があるなら、やるべきことを探して、あちこち奔走しているほうが、性に合っている。
「そうですか。では、遠慮なく。」
公賢がぺろりと舌を舐めた。これは相当な酒好きだ。
「見送りは結構。」
「では、女房に案内させましょう。」
どこにいたのか、気づくと吊り目の女房が、すぐそばに立っていた。別れの挨拶を告げようとした朝雅は、ふと思いついて足を止めた。
「そういえば、ついでに一つ、お伺いしたいのだが。」
「なんでしょう?」
手酌で酒を注ごうと、こちらを振り向かぬまま応じた公賢に、
「伏竜というのは、本当に宝玉ですかな?」
公賢の動きが、一瞬だけ止まったのを、朝雅は、見逃さなかった。
ゆっくりと振り返った顔には、本心を隠す雅な笑顔。「さぁ?」と、首をかしげると、
「私も、よく知りませんので。」
その顔に、思わず、朝雅の口角がニヤリと上がった。
(この男、知っているな。)
だが、答える気はない。
やはり狐か、と心の中で、苦笑交じりに悪態をつくと、
「そうか、失礼した。」
と、片手を上げ、釣殿をあとにした。
もう一つ3章補足、続きます。