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57 調伏4

治部卿、平業兼(たいらのなりかね)は部屋から出ていった藤袴を慌てて追いかけた、その先で、千鶴の首を締め上げる彼女を見た。


助けなければ。

このままでは・・・このままでは、藤袴の宮が、人殺しになってしまう。


そう思ったのに、あまりにも強烈な光景を前に、「これが自分の愛した人の姿か」と、驚愕し、足がすくんだ。


業兼が愕然としている間に、権大納言の屋敷で出会った若者が、庭から入ってきて、藤袴に体当たりし、弾き飛ばした。


若者は、藤袴と千鶴の間を遮るように仁王立ちし、藤袴を切らんがために刀を抜いた。


(この男、本気で切る気だ!!)


藤袴が殺られる。

背筋がゾッと粟立った。しかし、千鶴が青年の腰に喰らいついて、必死に止めた。


まるで、全てが遠い世界で繰り広げられている出来事かのように、治部卿は、その場から一歩も動けなかった。


白拍子の千鶴ーーーそもそも、この娘は、大弁が見つけてきたのだ。息子によく似た子がいる。病床に伏した息子の代わりになるのではないか、と。


最初は、女と聞いて、一笑に付した。女に男の格好をさせ、宮中にあげるなど、馬鹿にしている。いくら似ているとはいえ、誰にも気づかれないとは到底、思えない。露見すれば、帝を謀っている罪で重罪だ。

ましてや、近衛の舎人は、武官職。危険なこともあるかもしれぬ。女に勤まるはずはない。


業光(なりみつ)のことは、今は隠していようとも、いずれは、わが息子として引き取り、後見するつもりなのだ。

悪霊に取りつかれているという変な噂が流れるのは困るが、そのために、無関係な女子を巻き込み、大事になってはいけない。


そう断ったはずだったが、大弁は、いつの間にか話をまとめてきた。しかも、聞けば、すでに近衛の舎人として勤務しているいう。

はじめのうちは、いつ周りに知れるのではないかと、ひやひやしていた。しかし、待てど暮らせど、そういう話は一向に聞こえて来ぬ。


これは、女子を身代わりにしたという話自体、嘘だったに違いないと思った。きっと、大弁も引っ込みがつかなくなったのだ。


そう納得していた矢先のことだった。

藤袴の宮のところに来ていた白拍子を目の当たりにした。


大弁が言っていたのは、この娘だ。

一目見て、気がついた。確かに面差しも、背格好も、よく似ていた。


まさかと思い、少し調べたら、本当に近衛の舎人として、働いていることが分かった。さて、どうしようかと思案していた矢先、宮中に忍び込んだ黒拍子と一戦を交え、怪我を負った。


これまでに、自分と情を交わした女3人と、息子の業光の四人が、立て続けに霊に取り憑かれていた。


だから、もしや千鶴が襲われたのも、自分に関わったせいではないか。本当は、息子の業光が狙われており、彼女はそれに、巻き込まれたのではと考えるのは自然な流れだった。


とはいえ、相手は黒拍子。いくら業兼とて、いきなり黒拍子に恨まれる覚えはない。意識不明となっている今までの者たちとは、手口も違う。

近衛の舎人の任務中のことだというし、やはり、別なのか。自分とは、関係ないのか。


だとすると、千鶴も、これから別の何か、業光たちを襲った者に狙われるのか。それとも、狙われないのか。


業兼は、考えているうちに、いても立ってもいられなくなり、千鶴が療養している権大納言邸まで、様子をうかがいにいった。


しかし、いざ、屋敷の前まできたはいいものの、どう切り出しせばよいのか分からず、逡巡し、屋敷の周囲をぐるぐると回っていた。せめて、千鶴の状況だけでも分からないかと、のぞき見ようとした時に、先ほどの若者に背後から腕をねじり上げられ、捕らえられた。


名は、確か、曽我惟任(そがのこれとき)


惟任は、驚くべきことに、近衛の舎人の大江業光が、自分の息子であり、その業光が病気となって療養していること、そして療養している場所から、現在の状態に至るまで、正確に把握していた。

もちろん、今の業光が偽物であることも。


さらには、安倍公賢と親しいらしく、かの人が業光に取りついている悪霊を調伏したいと申し出ていると伝えてきた。


公賢は、誰もが知る有能な陰陽師だが、業兼とは、交流がなく、こちらから頼むことはできなかった。だが、すでにこれだけのことが知られており、しかも向こうから申し出てくれているなど、願ってもない話。


即応しようと思ったが、一つだけ、ひっかかる条件を提示された。


「調伏の場所を藤袴の宮のいる治部卿のお屋敷で執り行うということです。」

「それは・・・・」


一旦は、難色を示したものの、


「これは、公賢どのからの絶対に譲れぬ条件です。」


ただし、息子である近衛の舎人と業兼の関係をあらかじめ藤袴の宮に明かす必要はない。加えて、藤袴には、屋敷を借りたい旨、公賢のほうから伝えてもらえるということで、その条件をのんだ。


どちらにしても、業光をこのままにはしておけない。千鶴とて、危険の伴う身代わりを続けさせるわけにはいかないのだ。

そう思って受けた申し出だったのに・・・払った悪霊が、まさか藤袴に取り憑くなんて、思いもしなかった。


有能だという公賢を信じて頼んだのに、とんだことをしてくれた。いや、やはり、自分が恨まれているのだ。ついに、藤袴も悪霊にのまれてしまうのだ。


思えば、本来、自分と関係が深いものならば、藤袴こそ真っ先に狙われてしかるべきだった。


業兼は、確かに、方々で女性に手を出しているが、藤袴だけは、別格。真実愛しているのは、心を通わせたいと思うのは、彼女だけだ。それは、誰が見ても分かることのはずだから。


あの、初めて御簾をあげて、対面した瞬間から、治部卿に、とって、彼女は唯一無二の特別な女。


だから、自分に恨みを持つものなら、彼女こそが最大の急所であると、心得ているはず。

藤袴が取り憑かれたのは、来るべきときが来たからなのだ。


そう信じて疑わなかった業兼は、千鶴たちとのやり取りをみていて、それが、誤解であることを知った。


藤袴は、悪霊が取りつかれたのではなく、あれは、藤袴自身。

一連の犯人こそ、藤袴の宮だったのだ。


黒く立ち上る蒸気に包まれ、真っ赤な目を釣り上げた藤袴は言った。自分の優しさなど、まやかしだと。「私の中には、こんなにもどす黒く、鬱屈したものがたまっておる。これが私の真実、心の底なのだ。」と。


まるで、自分のうちにある傷を晒すような、その露悪的な様は、痛々しくて見ていられない。


藤袴は、そんな女ではなかったであろう。

もっと朗らかで、気立てがよく、誰よりも心根の温かな女。

こんな暗く、どろどろとした感情渦巻く女は、藤袴ではない。


業兼は、思わず、目をそらしそうになった。

寸でのところで、そうしなかったのは、千鶴のおかげだ。


千鶴は、「藤袴の宮が好き」だと言った。

心の底にどんな感情があろうとも、発した言葉に、くれた優しさに、偽りはない。だから、藤袴の宮を好きになったのだ、と。


彼女にしがみつき、涙をぼろぼろと流して、死なないでくれ、逝かないでくれと、必死になって訴えかける。


頭をガツンと殴られた気がした。


そうだ。


彼女は、決して順風満帆ではなかった。それは、業兼も知っている。帝の子とはいえ、身分は低く、いつ世間に見捨てられ、落ちぶれてもおかしくはない。そういう生い立ちのせいか、誰にでも分け隔てなく愛想よく、しかも、人の役に立つことを極端に喜ぶ。


そんな藤袴の意外な一面を見たことが、一度だけある。治部卿が、御簾を初めてかき上げたとき、藤袴は、不安にかられる内気な少女のような目をした。

それまでの、鷹揚な彼女の印象とは、大きく違って、驚いた。明るく朗らかで、誰からも好かれる彼女の弱いところを垣間見たようで、その時、この女を一生愛そうと誓ったのだ。


結婚してからは、それまでどおりの彼女に戻ってしまい、あの弱気な顔を見せたことはない。


治部卿は、藤袴を愛していたが、心のどこかで、彼女に触れられないもどかしさを、ずっと抱えていた。彼女の刹那見せた、あの内気で怖がりな顔は、どこに隠しているのか。

見えない壁を作り、まるで私が踏み込んでくるのを拒んでいるかのようだ。彼女は私に、心の全てを受け止めさせてはくれない。藤袴は本当は、自分に心を許していないのではないか。


その分、他の女たちとの色恋は気軽で良かった。心の奥底など、関係ない。ただ、駆け引きとを情交を愉しめばいい。最悪、快楽を得るだけでも構わぬのだ。

すぐ近くにいるのに超えられない壁を抱えた人へのもどかしさを他の女との気楽な恋愛で誤魔化していた。


だけど、今、改めて確信した。

やっぱり、あの子は・・・あの、不安に揺れる小さな少女はいたんだ。藤袴の中にずっと一人で、膝を抱えて蹲っていた。


千鶴が藤袴に告げたことは正しいと思う。

不安な少女を内に抱えていても、それも含めて、藤袴。

だから、彼女が周りに渡す優しさに、偽りはない。騙していると、欺瞞だと思いこんでいるのは、本人だけだ。


千鶴の言葉で一瞬、正気に戻った藤袴が、絞り出すように告げた。


このまま、私の魂ごと、払ってくれ、と。


「・・・人でいられるうちに」


やはり、彼女は藤袴だ。

たとえ悪霊になりかかっていても、愛した人は確かに、ここにいる。


千鶴が、真っ黒に覆われた藤袴の身体を抱き締めて、悲壮に叫んでいる。


「助けて!!誰か!!助けて・・・助けてください!!」


藤袴の身体から、抜けていく。彼女の魂が。


業兼は、先程まで足がすくんでいたのが嘘のように、決然と二人に近づいていった。迷うことなど、何もない。


千鶴を後ろから抱え上げる。大柄な業兼に抱えられた軽い身体が、ふわりと宙に浮いた。

業兼は、千鶴を地に置くと、彼女の目線に合わせて、腰を屈めた。


「ありがとう。」


心から千鶴に伝える。


ありがとう。

藤袴を好きでいてくれて。

彼女を信じてくれて。

私に気がつかせてくれて。


「後は、私が変わろう。」


千鶴から、藤袴を引き取った。

これは、私の役目だ。


「藤袴の宮。」


業兼は、今まで、幾度となく抱き締めた身体を、強く胸に抱いた。華奢で、小柄だが、体温が高く、心地よい人。

その身体が、今はとても冷たい。身体から、急速に生気が抜けていくのが分かる。


「藤袴。」


改めて、もう一度、呼び掛ける。


「私を、つれていってくれないか?」


彼女の耳元で、囁くようにいった。


「私に取りついて、私を、共に黄泉の国へと連れていってくれないか?愛するあなたの伴をしよう。」


藤袴は、何の反応も示さぬまま、ただ、ぼんやりと虚空を見つめる。


「もし、連れていってくれぬなら・・・もし、一人で旅立とうというのなら、私があなたの後を追おう。」


腕のなかで、ぴくり、と身体が動いた。


「あなた、一人で逝かなくて済むように。もう、二度とさみしいと思わなくて済むように。」


冷たい身体を強く抱く。不思議と、初めて心に触れているような気がする。

朗らかで、気立ての良い彼女の持つ、弱さや暗さ。嫉妬、僻み、欺瞞心。そして、その裏にある、周りに見捨てられるのではないかという不安。


そうか、これが、私が今まで、触れられなかった彼女の心の奥底。気付けなかった闇。それを今、業兼は、胸にしっかりと抱きとめている。


「私は、この先もずっと、君の側にいるよ。だから、どうか私を連れていってくれないか?」

「あな・・・た」


藤袴が、はっきりと業兼を見た。


「あなた・・・許してくれるのですか?」


目が、虚ろではない。輝きはなく弱々しいが、はっしりとした意志が宿っている。彼女自身の意思。


「あなたの大事なものを奪おうとした私を、許してくれるのですか?」


ちらりと向けた視線の先には、横たわる業光。

知っているのだ。業光のことを。

私の血を分けた息子だということも。


彼女の心情を(おもんぱか)り、黙っていたことが、かえって、苦しめていた。


「知っていたのだね。」


業兼は、気遣うように、そう確認した。


「私にとって、息子、業光は、確かに大事な存在だ。だから、あの子を連れていくのは勘弁してほしい。あの子は、この世に残してあげたいのだ。どうせ、あの子は、早晩、私から独立する。今はまだ子どもだが、すぐに一人で歩いていけるようになるだろう。だが、貴女は違う。私は貴女を愛しているのだ。貴女に寄り添い、貴女と共に、死出の旅に出たいのだ。」

「あなた・・・」


藤袴が、ふわりと微笑んだ。


「ありがとう。」


唇が動いた。声はない。

言い終わると同時に、ぐらりと藤袴の身体が、腕のなかに崩れ落ちた。


「藤袴・・・?」


軽い。異様なほどに。何かが、抜けてしまったように。


「藤袴の宮?」


とんとんと、頬を叩いた。反応がない。


頬は真冬に庭の池に張る氷よりも、ずっと冷たい。ゾッと背筋が凍る。生気がない。


「目を開けてくれないか?ねぇ、藤袴の宮?」


頬を優しく擦る。


「ねぇ。貴女の好きな絵巻物が手に入ったんだ。一緒に見よう。あなたの好きな、源氏物語だよ?」


必死に話しかけながらも、心は徐々に絶望に傾いてゆく。


あぁ。いってしまった。

愛しい人が。

私を置いて。


「藤袴の宮。すまない。すまなかった・・・」


貴女ともっと語らえばよかった。

貴女の母の話も聞きたかった。昔の、少女の頃の話も聞きたかった。そうやって、まるごと全部、抱きしめてやれば良かった。


私は・・・私は、貴女の弱さと共に生きたかった。


軽く冷たい身体を抱き締めて、小さな声で、繰り返し、繰り返し謝った。


「治部卿。」


声につられて頭をあげると、目の前に公賢がいた。

いつの間にか、手で結んでいた印を解いている。


「おどきください。」


公賢は、藤袴の、唇の前にてをかざすと、そこから胸の上辺りまで、そっと手を滑らせ言った。


「なんとか、間に合ったようです。」

「間に・・・合った?」

「えぇ。」


公賢が、ゆっくりと、うなずいた。


「藤袴の宮は、生きていますよ。」



来週、2話投稿して、第3章は一旦区切りです。(章外をまた作る予定です。)

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