6 鶯の依頼
「家出は、もう良い・・・とは?」
昨夜、あれほどの騒ぎを起こしたくせに、今度は何を言い出すのか、測りかねていた。
しかし鶯は、千鶴の問いかけを無視して、さっさと、話題を変える
「そんなことより、何か踊ってくれぬか?そのために来ていただいたのじゃ。」
「は・・・はぁ。」
「無論、お礼は、きちんとする。」
千鶴は、戸惑い、尋ねた。
「あの・・・お礼と申しますと?」
鶯が、千鶴の懸念を察したように、どんと胸を叩いく。
「心配無用。それくらいの蓄えはある。」
千鶴は少し考えた。
もちろん舞を所望されてきたのだから、披露することに異論はない。が、失礼ながら、この家の有り様を見ていると、白拍子に礼などしている場合ではないように思う。七条家は、けっして裕福ではないはずだ。
しかし、目の前の姫は、どんぐり眼をキラキラさせて、期待に満ちた顔でこちらを見ている。
「私は、千鶴どのの舞が見てみたい。」
(そんな目で見られるとなぁ・・・。)
悪い気はしない。
「左様ですか。それでは。」
千鶴は、鶯の好みを聞いて、2曲ほど今様(流行歌)を謳い、舞った。いずれも朗らかで軽快なもの。
躍りに合わせる雅楽はない。笛や琴などに合わせて舞うこともあるにはあるのだが、もともと白拍子は、「素拍子」とも呼ばれ、無伴奏で踊るのが本来の姿だ。
舞を見た鶯は、丸い顔に、ふくふくとした笑みを浮かべ、無邪気に拍手した。
「うむ。見事。」
短い一言だが、昨夜、藤原中納言に言われたのよりも、不思議とすんなりと胸に落ちた。
「蝶よりカモシカ、じゃな。」
鶯が、しみじみと言った。
「千鶴の舞いは、野花を遊ぶように舞うきらびやかな蝶よりも、山を雄々しく駆けるカモシカのようじゃ。」
「えぇっと、それは、褒め言葉・・・でございますか?」
「無論。」
くりくりっとした目の、かわいらしい顔で、くしゃりと笑う。
「私は、カモシカ、好きじゃ。」
そして、一転、まじめな口調で、
「昨夜、剣をふるう姿を見たときは、その優美でありながら勇ましい剣技に見惚れた。しかし、やはり、舞のほうがずっと良い。千鶴の躍りは、戦うためのものではなく、こちらが本来の姿なのだと分かった。」
その正直な物言いに、千鶴の心はじわりと暖かくなった。
「ありがとうございます。」
千鶴は、心から、その言葉を口にすると、両手をついて、頭を下げた。
「ところで、今日は、袴の形が違うようだが。」
鶯が、千鶴の長袴を見て、首をかしげる。
「自分の物は、昨夜、駄目にしてしまったので、師匠の物を借りてきたのです。」
爪先よりも裾の長い、長袴が、白拍子の本来の衣装だ。千鶴は、好んで、足首で絞った動きやすいものを着用しているが、師匠から借りたのは長袴だった。
「そうか。それは、申し訳ない。」
鶯がすまなそうに謝る。
「いえ。本日、お礼をいただければ、新しく作り直す所存ですので。」
鶯は、考え事をするように、顎の下に手を添え、「ふむ。」と頷いた。
「なるほど。では、お礼の話は後ほどとして、先に伺いたいことがある。」
着物の懐から、白い布に包まれた何かを、取り出した。
大事なものを扱うときにするような、慎重で、優しい手さばきで、布地をほどく。
「これは、おぬしのものか?」
差し出されたのは、見覚えのある菊の意匠。まさしく、千鶴の落としたに櫛であった。
「はい!確かに、母の形見にございます。」
再び巡り合えたことに喜び、手を伸ばし受け取ろうとすると、鶯が、その櫛をさっと取り上げた。
「駄目じゃ。」
「え?」
「まだ、返せぬ。」
「しかし・・・」
この櫛を返してくれるために呼んだのではないのか。
そう問おうとした千鶴を、制し、
「これを返すには、条件がある。」
「条件・・・ですか?」
鶯が持ち出した条件は、昨夜の家出の発端となった、例の縁談のことだった。
「縁談相手は、得体が知れぬ。ついては、なんとか、おぬしに、破談にしてもらいたい。」
「ちょっ・・・ちょっと、待ってください。」
跳ねっ返りの姫が、とんでもない提案をしてきた。
「私が破談になど出来るわけがありません。ただの白拍子ですよ。」
「いいや。」
庶民の自分が、貴族の縁談に口出しなどできるはずはない。しかし、鶯は、何故か、確信に満ちた顔で、首を横にふった。
「あの相手は、何かがおかしい。魔のものにとりつかれておるか、もしくは、自身があやかしや物の怪の類か。」
鶯の頼みというのは、要は、縁談相手の正体と、その証を探してきて、父に突きつけてもらいたいと言うことだった。
「相手が物の怪であると分かれば、さすがの父も、嫁げとはいうまい。」
なるほど、鶯の言いたいことは分かったが、
「なぜ・・・物の怪と思われますか?」
素直に信じるには、根拠が足らない。彼女は、どうしてここまできっぱりと言い切れるのか。
「夢を見るのじゃ。」
「夢・・・ですか?」
「左様。縁談の話が決まって以降、毎晩のように何者かに、全身をきつく締められる夢じゃ。」
ひどい悪夢であるらしい。鶯の顔が、そのときのことを思いだし、苦しげに歪んだ。
「朝まで幾度も幾度も身体を締め上げられ、苦しくて、息もできぬ。もがき苦しみ、息ができぬまま、意識を失いそうになると、その直前にようやく目が覚めるのじゃ。」
それが、ここ数日続いているのだという。
夜毎、首を絞められるのは辛かろう。鶯が、夜に逃げ出そうとした理由がようやく理解できた。
千鶴は、少し思案した。
鶯の頼みは分かった。彼女に対する同情の気持ちも沸いてきた。だが、果たして、受けるべきか、受けざるべきか。
「もし断れば?」
「櫛は戻らぬ。」
「無理やり奪う、ということも。」
鶯は、ニヤリと笑った。
「お主をここまで連れてきた男。年はそこそこ取っているが、なかなか強い。やりあえば、無傷ではいられまい。」
千鶴は、自分を連れてきた男の、思いの外しっかりとした歩き様を思い出す。確かに、軟弱ではなさそうだが、しかし、
「それでも、私が逃げおおせるでしょう。」
「着物はもう1着無駄になるだろうが。」
鶯が、千鶴の借り物の着物を見て言った。
鶯の目は真剣だった。それだけ、追い詰められている。
千鶴は、「ふぅーっ」と、長いため息をついた。
「確かに、これを汚されては困ります。私の負けでしょう。お受けするしかないようです。」
「私とて、必死じゃ。」
鶯が、千鶴の答に安堵したように微笑んだ。
「その依頼をお請けすれば、櫛を返していただけますか?」
鶯は、「もちろん」と、頷く。
「本当なら、承諾しさえすれば、すぐにでも渡すつもりだったのだが・・・少々、事情が変わってしもうて。」
「事情、ですか?」
鶯が、綺麗な布地に包まれた手のひらの櫛を撫でるように、指でふれた。
「昨晩、この櫛を懐に抱いて寝たのだが、悪夢に苦しめられなかったのじゃ。」
「悪夢を・・・見なかった?」
「いや、悪夢は見た。ただ、苦しめられなかったのじゃ。」
鶯によると、見る夢自体は同じで、何かに全身を締め付けられるのだが、不思議と息苦しさを感じないのだという。
「これは、何か護符のような類いなのものなのか?」
「いえ。」
千鶴は首をひねった。幼い頃から、身に付けており、千鶴にとってのお守りではあるが、何か霊力や護力が、特別に宿っているとは考えたこともなかった。
「大切にすると約束するので、どうか、今しばらく私に貸してはいただけぬか?」
元より、縁談の解消と引き換えに返すと約束されたものだ。毎晩のように悪夢で寝られぬという、鶯への同情も手伝い、千鶴は、その申し出を了承した。
「かしこまりました。すべてが片付いたあかつきには、お返しし頂ければと存じます。」
「無論、そのつもり。」
鶯は、「千鶴どの。」と名を呼ぶと、床の上にきれいに揃えた両手の指に着きそうなほど、深く頭を下げた。
「お引き受けいただき、ありがとうございます。」
千鶴は、驚き、慌てて止めた。
「ど・・・どうか、頭を上げてください。」
そういえば、この姫は、訪れた時も同じことをした。彼女は、会ったそのときからずっと、一人の人として対等に興味を持ってくれている。千鶴の躍りも言葉も、彼女は何一つ、私のことを下に見てはいないのだ。
そのことに、千鶴は少なからず感動を覚えた。
「それで、お礼のことじゃが・・・」
鶯が、少し言い辛そうに言葉を切った。
「後日、家にお届けるのいうことにさせていただきたいのだ。」
「後日、家に・・・ですか?」
急ぎ、白拍子の衣装を仕立てなければならないのだ。櫛はともかく、そちらは早く頂きたかったのだが。
「今、賜るわけにはいきませんか・・・?」
「疑っておられるか?私が踏み倒すのではないか、と。」
「いえ、そういうわけでは、ありません。」
千鶴は即座に否定した。
この姫は、「払う」といったら、払うだろう。
どんぐり眼には、真摯な意思が灯っていた。たとえ、台所事情が厳しかろうと、口に出して約束した以上は違えることはない。
この短い間に、信じるに足る姫であることは、確信していた。
「2、3日の間には、用意する。必ずや、千鶴どのの満足する謝礼をするので、お待ちいただきたい。」
鶯が、三度、深々と頭を下げた。