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52 曲者2

時間が少し戻って、「43 厄介な依頼2」の後の惟任視点からスタートです。

途中から、前回の続きにつながります。

曽我惟任(そがのこれとき)が、再び公賢(きみかた)邸を訪れたのは、千鶴と公賢邸の前で邂逅してから、10日後のことだった。


「以上が、私が調べてきたことです。」


以前も通されたことのある釣殿(つりどの)で、公賢相手に得た情報を報告する。


「やはり、思った通りですね。」


惟任の話を聞いた公賢は、いつもの寝そべるような姿勢ではなく、背筋を伸ばし、まっすぐに惟任のほうを見ている。


「よく調べてきてくれました。大変だったでしょう。」


珍しく、それとわかる労いが含まれた話し方だった。


「いえ。足を使えば、さほど。体力には自信がありますので。」


父譲りの、見た目とは裏腹に頑強な身体だ。


千鶴が、鶯の父、七条兼助(しちじょうかねすけ)に頼まれ、身代わりとなっている近衛の舎人。病で臥せっているという、その者について、調べてきて欲しい、というのが、公賢からの依頼であった。


「公賢どのが動けば、目立つでしょう。小回りの効く私に似合いの仕事です。」


公賢が、いつになく優しく微笑んだ。


「それで、この後、公賢どのは、どうされるのですか?」

「そうですね。」


少し考えるような仕草をしてから、


「私が調伏するしか、ありますまい。」

「やはり、そうされますか。」


近衛の舎人の病というのは、惟任や千鶴、もちろん公賢も想定していたとおり、「魔のもの」の仕業だった。

ある晩、悪霊にとりつかれ、以来、目を覚まさぬ、というのだ。


今も、その若者は、宇治で療養している。

療養と言っても、僧や陰陽師が代わる代わる訪れて、加持祈祷や調伏を試みているのだ。しかし、一向に起きる気配はないのだという。


惟任は、そういった情報を、丹念に聞き込みし、時には、行き来するものを張り込んだり、屋敷に忍び込んだりして、集めてきた。


「初めから、公賢どのに依頼されれば良いものを。」


公賢こそ、当代一の陰陽師。能力においては、右に出る者はいない。しかし、


「私には、知られたくなかったのでしょう。」


公賢の宮中での立場は極めて異質だ。

安倍晴明の生まれ変わりと言われるほどの高い能力を有していながら、噂では、宮中で、高位の役職を賜るのを固辞しているらしい。


何か理由があるのか、それとも、単に人嫌いなのか。

惟任は勝手に、後者だと思っている。


ただ、裏を返せば、利害なき公賢は、宙ぶらりんな立場。腹に何を抱えているのかもわからず、今はない利害が、いつ現れてもおかしくない。


千鶴が身代わりをしているのは、ただの近衛の舎人ではなかった。

その利害の弱味となる可能性があるから、公賢にのところに話を持っては来なかったのだろう。


「しかし、そろそろ潮時でしょう。」


公賢の声が、低く響く。


「千鶴を、返してもらいましょうか。」


惟任は、思わず、公賢の顔を凝視した。

一見、いつもと変わらぬ柔和な顔。しかし、目が寸分も笑ってもいない。

むしろ、ゾッとするような凄味を感じさせる。


前々から、引っかかっていたことが、ふいに、強烈な疑問となって、惟任の中に湧いてくる。


なぜ、この人は、こんなにも千鶴を気にかけるのか。


それは、人嫌いと言われる、この人と、あまりにも印象に相違があるのだ。


しかし、惟任は、その疑問を言葉にすることはなかった。

そこに踏み込めるほど、心許されてはいない。聞いたところで答えてはくれないだろう。


公賢が、改めるように、居住まいを正し、


「惟任、もう一度、あなたに頼みたいことがあります。」

「はい。」


公賢は、この後、惟任がなすべきことを、簡潔に、一切の無駄なく指示した。


「できますね?」

「わかりました。」


無論、断る選択肢はない。

千鶴を助けるためなのだ。


「そして、もう1つ。」


公賢は、どこから取り出したのか、紫の布に包まれた、惟任の腕の長さほどの細長いものを取り出した。

布には金糸で刺繍がしてあり、布がほどけぬように巻いて止めてある縄目の紐も、黄金色。


公賢は、それを持ち上げ、丁寧に紐をほどく。

すると、中から、黒い鞘に包まれた、


「これは・・・刀ですか?」


柄には紅色と白の紐。惟任の腰に指しているものよりは随分と短い。


「これを、千鶴に渡してください。」

「千鶴どのに?」


確かに、千鶴は、黒拍子に応戦したときに、刀を破損したと言っていた。


「見たところ、かなりの上等の品のように思えますが。」

「見立て通り。」


公賢が頷く。


「これは、さる御方が、所有されていた宝剣です。」

「さる御方の宝剣?」

「これには、特別な(ましまな)いを施してあります。千鶴を守る力になるでしょう。」


惟任は、刀と公賢を交互に眺め、


「さる御方が、どなたか・・・伺っても?」


公賢は、黙って軽く首を傾げた。答えは否。


「なぜ、それを千鶴どのに?」


これにも黙ったまま、否。では、


「なぜ、公賢どのがご自身で渡さないのですか?」


これも、答えてはくれぬか、と思ったとき、公賢が、ゆっくりと口を開いた。


「私が渡すと・・・」


しゃっと、扇を開き、口許を隠し、遠くを見た。


「私が渡すと、余計なことを話しそうになりますから。」


その言葉には、惟任は、見守るような優しさと踏み込みすぎぬよう自制しているような歯がゆさを感じた。


(やはり、この人にとって、千鶴どのはーーー)


特別、なのだ。


なぜだかは分からない。それでも、惟任は、公賢にとって千鶴は、他の者たちとは違うのだということを、確信していた。


「わかりました。お渡ししましょう。」


惟任が、両手で丁重に受けると、


「頼みましたよ。」


どこか、ホッとしたように言う。


「その代わり、こちらの約束も守ってくださいね。」


惟任が、公賢の手助けをするために持ち出した()()()()のことを忘れてもらっては困ると念を押すと、


「わかっています。」


公賢が、また、いつもの貴族らしい、雅で感情の読めぬ微笑に戻って応じた。



◇   ◇   ◇



公賢邸を出た惟任は、その足で、権大納言 花山院忠経(かざんいんただつね)の屋敷に向かった。

紫色の布地に包まれた刀を左手に携えて。


千鶴が近衛の舎人の勤務中に、黒拍子と戦闘し、手負いとなったのは、すでに惟任も聞き及んでいた。

今は、唐錦の父、権大納言の家で保護されている。

権大納言は、人間に化けてはいるが、その正体は狐。惟任も以前、会ったことがあるが、信頼できる人物だ。

あそこならば、安心だろう。


最初に千鶴が負傷したと聞いたときには、惟任は、強烈な不安と怒りと、そして止めなかった自分に対する後悔に襲われた。


鋭い鉤状の刃物で胸を袈裟懸けにやられたらしいが、一歩間違えば即死だったという。何とか一命を取り留めたと聞いて、足元から崩れ落ちそうな程に、安堵した。


しかし、怒りも後悔も、未だにおさまってはいない。

近衛の舎人になど、引っ張り出されなければ、負う必要のなかった傷だ。


(やはり、あのとき、強引にでも止めるべきだった。)


武士という存在が現れて以来、検非違使や近衛府の人材は低下の一途を辿っている。

いや、もともと、たいした争いのない時代が長く続いたのだ。公家たちは、政治的な駆け引きには長けているが武力については、積極的な補強や育成を行ってこなかった。


特に、近衛の舎人など、所詮、儀仗兵。祭事で披露するための弓は上手いが、実践での戦闘能力が高いわけではない。


自分が一緒にいれば、守れたかもしれない。

一瞬そう、考えた惟任は、すぐに頭をふった。

千鶴にとって、自分は、そんな立場ではないのに。


惟任は、千鶴のことを思い浮かべた。

今の千鶴ではない。幼い日の少女。


生まれ育った地を追い出されるように離れ、都を目指した惟任の、あの日の道中。出るときに持ってきた飯は、とうに腹のなかに消え、寒い季節では、食えるような木の実も草もほとんどない。


空腹は耐えるとして、せめて、寒さだけは凌ぎたい。そう思い、立ち寄った名もなき小さな神社。

その境内で舞う一人の少女を見た。


年の頃、7つか8つ。この季節には不十分な着古した小袖に、裸足。扇を携えた手は、舞うたびに、指先まで、すっと伸び、僅かな震えさえない。まるで彼女のまわりだけ、冬が包むのを忘れてしまっているかのようだった。


彼女は詩を吟じた。

聞いたことのある詩だったが、どんな内容かは知らない。曽我家は貴族ではあるが、殿上はできない。末端の位の家の出の惟任には、その内容を理解するほどの教養はなかった。


粉雪が徐々に、湿り気を帯びてきた。日が沈む頃には積もるだろう。しかし、少女の声は、それに反比例するように、力強さを増していく。


惟任は、その姿に、憑かれたように見魅っていた。

灰色の世界のなかで、ただ一人、己と向き合い、くるりくるりと舞う少女は、ある種の神々しさを纏っていた。


これは、何かの儀式なのか。それとも、寒さで死にそうな自分が見ている幻なのか。


千鶴の舞は、荒削りだが、純粋で、見ていると、まるで自分の身体と心についた余計なものを削ぎ落として、奥の奥を剥き出しにされていくようだった。


ふいに、両目から、涙が溢れてきた。


数年後、夜の都で、偶然、彼女を見つけたときは、驚いた。もう少女ではない。でも、一目で分かった。

白い水干に、緋の袴。


「白拍子だったのですね。」


姿を認めたとたん、堪えきれず、かけた声。

巡り会えた。千鶴は、きょとんとした顔でこちらを見た。


そうだ。自分のことなど、覚えているはずがない。慌てて誤魔化し、改めて名乗った。自分の立場はあまり、深く話さなかった。厄介事には巻き込みたくなったから。それでも、以来、惟任は、ずっと彼女を気にかけてきた。


どうか・・・どうか、無事で。


命は取り留めたと聞いている。でも、祈らずにはいられない。


逸る気持ちを抑えきれない惟任が、権大納言邸を視界に捉えたその時、大柄な男が、屋敷の中を覗うように、歩いているのが見えた。


辺りが暗く、顔は見えない。


(権大納言の知り合いか?いや、それにしては・・・。)


明らかに、外からのぞき見るような不審な動きをしている。


惟任は、気配を消し、背後にすっと忍び寄った。そして、男が壁をよじ登ろうとした瞬間、


「曲者っ!」


叫ぶと同時に、自分より一回りは大きな男の腕を取り、背中にねじりあげた。



◇  ◇  ◇



「曲者!」と叫ぶ惟任の声に次いで、鳴り響いた、どたばたと走り回る雑踏音は、やがて静かになった。


「何が・・・あったのでしょう?」


千鶴は、身体を起こし、直ぐ側にいる斑の姫に声をかけた。


「私が見てくる。千鶴は、そのままでおれ。」


そう言うと、斑の姫の身体が、スッと透けて、消えた。


「テン?」


千鶴に呼ばれたナンテンが、懐に、ピョンと飛びこんできた。


「もしかして黒拍子・・・かな?どう思う?」


惟任の声がしたようだが、大丈夫だろうか?

もし黒拍子なら、惟任は勝てるだろうか?

ナンテンが、クンクンと鼻を鳴らした。


「いや。違う・・・と思う。黒拍子じゃなくて、これは、人間の・・・」


そのとき、


「千鶴、起きていますか?」


几帳の向こう、部屋の外の廊下から、権大納言の奥方、北の方の声がした。


「はい。」


北の方の声は、千鶴を気遣うようではあるが、深刻そうではない。


「入ってもよろしいですか?」

「大丈夫です。」


北の方が、几帳の向こうから、顔を出した。


「ちょっと騒ぎがありましてね。気づきましたか?」

「えぇ。惟任さまの声がしました。曲者とか・・・大丈夫だったのでしょうか?」


まさか、自分がこの家に厄介になっているせいで、何者かに狙われたのではないか。そう考えると、今すぐにでも出ていったほうが、いいのではないかと心配になる。


「えぇ。曽我惟任どのが捉え、話をして、すでにお帰りいただきました。」

「お帰り・・・いただいた?」


ということは、やはり黒拍子ではなかった、ということだろうか。黒拍子は、話が通じるような相手には見えない。


「曲者は、どなただったのですか?」

治部卿(じぶきょう)です。」


その一言は、完全に油断しきっていた千鶴に、衝撃を与えるには十分だった。


「治部・・・卿?藤袴(ふじばかま)の宮さまの・・・」

「えぇ。藤袴の宮の旦那様の治部卿です。」


ナンテンも、横で「やっぱりな」と、頷く。


「あの男の匂いがしたんだ。」


どうして、ここに治部卿が?


脳裏に、先日、藤袴の屋敷を訪れたときに見た仲睦まじい姿が思い浮かんだ。


次いで、髭の番長に言われた言葉が連鎖的に頭をかすめる。

ーーー相当な色好みだって話だ。

ーーーお前、かわいい顔しているから、狙われてもおかしくないと思って。


そして、大江業光(おおえなりみつ)と治部卿が話していたという目撃談。


治部卿と大江業光。

この二人の間には、やはり何かあるのだろうか?

まさか、本当に男色・・・特別な関係だったとか?


そして、治部卿は、業光が病に伏せっていることを知っているのか。知っているとしたら、今の業光が偽物であると気づいているのか。

千鶴が、大江業光である、と。


千鶴は、波のように押し寄せる疑問と不安を、打ち消すように頭をふった。


(いいや。知らないからこそ、権大納言邸(ここ)を覗きに来たっていうほうが自然だ。)


思い込みで考えても良いことはない。


「あの・・・どうして、治部卿が、こちらに?何かご用だったのですか?」


千鶴は、北の方に尋ねる。


「それについて、今、私が申し上げることはありません。」

「それは・・・今ではないが、どこかで、明かされる、ということでしょうか?」


北の方は、少し困ったように眉尻を下げた。


「ごめんなさいね。お尋ねされても、本当は、私、ほとんど知らされていないのです。」

「そう・・・ですか。」


でも、そのほうが良いのかもしれない。

ただでさえ、千鶴が成り代わったこの事件に、権大納言家を巻き込んでしまった。

腹に何かを抱える頭中将。そして、なぜだか治部卿まで出現した。


この裏に、どんな陰謀が潜んでいるのか分からないのに、北の方を巻き込んではいけない。


「でも治部卿にはお帰り頂いたので、もう心配されることはないそうですよ。」


北の方が、黙ってしまった千鶴の様子をうかがうように、


「それよりも、今、こちらに惟任どのがいらしておりまして、公賢どのからのご伝言を預かっているそうです。」

「惟任さまが、公賢さまからのご伝言を?」


公賢は、遠出しているという話だったが、いつの間に帰ってきたのだろう。

そして、なぜ、惟任と公賢が?二人は、前回、月詠の鏡を探したときに、面識はできたが、伝言を頼むような親しい間柄になっていたのだろうか?


「千鶴に、直接、お話をしたい、ということだったのですが、千鶴の身体が辛いようでしたら、改めてもらいましょうか?」

「あ、いえ。大丈夫、です。」


少し休んだことで、身体は随分と回復している。千鶴を取り巻く状況は、分からないことだらけで、公賢の伝言ならば、今すぐにでも聞きたい。


「わかりました。それでは、惟任どのをこちらに呼んできます。」


そう言って、北の方は、部屋を出ていった。



先週、投稿するつもりが、遅くなってしまいました。今週、あと2つくらい、投稿します。

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