47 鶯邸での考察
藤袴の宮のところを訪れた翌日、千鶴は、七条邸、鶯の居室で、ここ数日起こったことについて、話をした。
「それにしても、父上にも困ったものだ。」
このところ、ご無沙汰していた千鶴が、実は近衛の舎人になりすまして、宮中に出仕していたと知った鶯の君は、沈痛そうな面持ちで、頭をトントンと叩いた。
「まさか、千鶴にそのような無茶な要求をしていたとは。」
それから、千鶴をチラリと一瞥して、
「千鶴も千鶴じゃ。断れば良いものを。」
ナンテンが、鶯の膝の上に抱かれたまま、「そうだ!そうだ!!」と加勢する。
「仕方ありません。」
鶯の呆れたような視線をいなすように、千鶴は、肩をすくめた。
「だって、断れば、ここへの出入り禁止だと言われたのだから。」
鶯の父に、そう告げられたのだ。告げられた瞬間から、千鶴には、ごく当たり前のように、断ると選択肢はなくなっていた。
「まぁ!まぁ!!千鶴さま!」
千鶴の言葉に、主に忠実な女房、阿漕が目を潤ませ、感嘆の声をあげた。
「鶯の君のために、そこまで!」
興奮している阿漕とは裏腹に、
「気持ちは嬉しいが・・・それにしても、無茶苦茶じゃ。女の千鶴に、よりによって近衛の舎人とは。」
本当に、父上は一体何を考えているのか、とブツブツ怒っている。
「文官ならまだしも、近衛の舎人とは。危ない目にでもあったら、どうするつもりなのか。」
「いや、文官のほうが自信ありません。」
千鶴が、芝居じみた仕草で両手をあげた。
「だって、病気の後遺症で細かいことを忘れてしまった、という設定で押し通しているのですから、文官だったら、誤魔化しきれません。」
そういうと、鶯は、一瞬、目をパチクリとさせてから、堪えきれず、溢れてしまったように、「はは。」と笑った。
千鶴は、ホッと安堵した。
ずっと菊鶴以外の人と深く交わることのなかった千鶴にとって、鶯や阿漕とのこの時間は、何にも替えがたい大切な時なのだ。
だから、これは自分で決めたことで、本当に断る選択肢はなかった。このことで、鶯に気に病んでは欲しくはない。
「それで、影武者を止める目処はたっておるのか?」
さっきよりも肩の力の抜けた鶯が、今度は案ずるように聞いた。
「一応、公賢さまが、いろいろ調べてくださる・・・とは、言っていましたが。」
先日、公賢の屋敷で、くどくどとした説教とともに、そう告げられたのだ。
迷惑をかけて、申し訳ない気持ちはあるが、千鶴一人ではどうにも出来ないので、正直、公賢がそう言ってくれたのは、ありがたかった。
「だから、くれぐれも、余計なことはせずに、大人しく待つように、との仰せでした。」
千鶴の苦笑いに、鶯が、
「信用されていないのじゃな。」
と、すげなく返す。
「前も、黒拍子を捕まえようとして物の怪に襲われておるし、つい先日には宮中で、頭中将を、追いかけて危うい目にあっているのだから、当然じゃ。」
「黒拍子を捕まえろと言うのは、阿漕の進言だったかと。それに、そのときに物の怪に襲われたのは、そもそも、公賢さまのせいでしたが。」
「そうですわ、鶯の君。黒拍子を捕まえるという作戦は、私が考えたのです。千鶴殿に苦言を呈するのは、お門違いですわ。」
襲ってきた黒い物の怪は、公賢が、千鶴を囮にして引き寄せたせいで襲われたのだ。危ない目にあったのは、自分のせいではない。
「まるで、私が自ら進んで、危険に足を突っ込んでいるように言われるのは、不本意です。」
と千鶴にしては珍しく、言い返したが、今度はナンテンが、
「いいや。千鶴も、進んで足を突っ込んでいるじゃないか。頭中将のことだって、追いかけるなってオイラは止めたのに・・・!」
あのとき、ナンテンの忠告を、無視したことを、まだ根に持っているらしく、ブツクサと小言を言う。
「そうじゃ、そうじゃ。」
と鶯もそれに加勢した。
「ともかく、公賢どのから連絡があるまで、大人しくしていてくれ。そうでないと・・・」
鶯が、声を落として、俯いた。
「そうでないと、私のせいで千鶴に何かあったのでは、私は耐えられぬ。」
自分を引き合いにして、この件を承諾させられたことを気に病んでいるのだ。
鶯らしい優しさだった。
余計なことを言ってしまったせいで、かえって気をもませることになってしまって申し訳ない気持ちになった。
「それにしても・・・」
暗くなってしまった場の雰囲気から話題を変えるがごとく、阿漕が口を開いた。
「あの頭中将と黒拍子が繋がっていたとは、驚きですね。これはかなり陰謀の匂いがしますわ。」
宮中の華と言われる頭中将だが、阿漕にとっては、大事な主を蛇に食わせようとした、とんでもない輩と認定されたらしい。
「阿漕。」
鶯が前のめりになる阿漕を制するように、
「これは、くれぐれも他言無用ぞ。」
「わかっております。」
阿漕がすぐさま答えた。
「いくら噂好きの私でも、分は弁えております。ましてや、自分の身を危うくしかねない事など、間違っても口にしません。」
顔の前で、ぐっと拳に力をいれて握り、
「私は、皆さんの色恋や世辞を、清く正しく、楽しんでいるのです!」
なぜだか、妙に誇らしげなところが、可笑しかった。
「まぁ、頭中将は、以前、あの庵で対峙したときから、嫌な感じはしておった。」
鶯は、自身の婚約騒動のときに同じ場に居合わせている。
「腹に一物あるのは、間違いなかろう。」
千鶴も、即座に同意する。
「このままでは終わらない気がするよ。大きな何かが起こるような・・・」
庵で会ったとき。惟任ともに、偶然、夜道で見かけたとき。そして、今回。
幾度会っても、怜悧な面差しの下に眠る、底の知れぬ不気味さを感じさせる。
何か、大きなことを企んでいる。
でも、それが何かは分からない。
また、一瞬、場に重い沈黙が訪れた。
それを打ち破るように、気を取り直した鶯が、
「まぁ。その件は、考えていても仕方があるまい。我らにできることはないし、公賢どのからも踏み込まないように言われておるのじゃ。お任せするより他、仕方ない。それより・・・」
鶯が、再び、眉をきゅっと寄せる。
「問題は、昨夜、千鶴が襲われたことのほうか・・・」
千鶴は、藤袴の宮の屋敷から帰る途中、人間ではない、何者かーーー白い手に襲われた。そのことについても、すでに鶯に話をしていた。
「やはり物の怪・・・でしょうか?また、公賢さまの差し金では?」
阿漕が、心配そうに尋ねる。
「いや、物の怪というよりは・・・」
千鶴は、ナンテンにも確認するように、視線を交わした。それを受けて、ナンテンも頷く。
「悪霊、だな。ありゃ。」
今度は鶯と阿漕が顔を見合わせる。
「悪霊?」
「あぁ。間違いない。生きているか、死んでいるか分からないが、あれは間違いなく、人間の霊だ。」
ナンテン自身が、旧鼠、鼠の妖怪であり、物の怪の仲間なのだ。
そのナンテンが、はっきりと断じている以上、間違いなく、悪霊なのだろう。
それに、千鶴自身の感じた、あの、ゾッとするような重い冷気。心臓を締め上げる手。
そこには、人間の持つ、禍々しい、妬みや執念のような重く苦しく、そして、哀しむような複雑な感情を感じた。
「公賢さまの謀ではない・・・と思う。」
断言こそしなかったが、千鶴は、確信を持って言った。
「公賢さまが何かしたのなら、同時に、打開する方法も用意しているはずです。」
前回がそうだった。
餌と称して、あちこち行かされたが、襲われた千鶴をすぐに見つけられるように、櫛に呪いをかけて、それを持ち歩くように、くどい程に忠告してきた。
そして、ぎりぎりでは、あったが、最後に助けに来た。
もし、公賢の謀なら、必ず助けを寄こすはずだ。そう言い切れる程には、公賢のことを信頼していた。
「ならば、なぜ、千鶴さまが襲われたのでしょう?」
「それには、2つ、考えねばならぬ。」
鶯が、人差し指と中指を二本、ぴっと立てた。
「2つ・・・で、ございますか?」
鶯は、「うむ。」と、うなずくと、一旦、中指を折り曲げ、
「一つは、千鶴自身が狙われいる、ということ。」
それから、再度、中指を立てて、
「もう一つは、千鶴が成りすましている男、大江業光が狙われている、という場合じゃ。」
実は、千鶴も、襲われたとき、すぐに鶯と同じことを考えた。
「しかし、千鶴さまは、襲われた時、白拍子の格好をしておられたのでは?藤袴の宮さまの屋敷からの帰りでしたよね?」
「えぇ。だから、私も、可能性は低いかなと思ったのだけど・・・。」
そうなのだ。
大江業光のふりをしているときに襲われたのなら、分かるのだけど、あれは白拍子のときだった。
「しかし、現に大江業光の病は、正体不明の妖の可能性が高い。『大江業光』なる人物が存在していること自体が不都合なら、身代わりの千鶴を狙ってもおかしくないのじゃ。」
「そんな・・・」
「それに、もしかしたら、大江業光の正体を、今の業光が千鶴であることを、気づいている者がいるかもしれぬ。そう思って、用心するに、こしたことはない。」
確かに、鶯の推理は、筋が通っている。
しかし、そうならば、その者は、千鶴が業光の、男のふりをして、近衛の舎人として出仕していることを知っている、ということになってしまう。
知っている。
誰か、が。
それはーーー誰?
真っ先に思い浮かんだのは、頭中将、黒拍子、そらから、先程会った治部卿、そして、番長の平秋良。
(いや、もっと、他の舎人たちに、気づかれているのかも。)
千鶴は、ぶるりと身震いした。
何とかこなしてきた身代わりが、とても危うい橋だと気付かされる。
「まだ、そうと決まったわけじゃないだろ!」
ナンテンが、ぴょんっと、鶯の膝から、千鶴の膝にうつった。
「そんな、青っちょろい顔して、先の心配してるとか、千鶴らしくねぇ!」
「テン・・・」
「近衛のときも、オイラがついてるんだ!何かあったら、仕方がないから、守ってやる!一宿一飯の恩もあるしな!」
ナンテンのツンツンとした物言いに、一同が顔を見合わせ、笑った。おかげで、緊張していた場が和む。
「でも、悪霊なら、それこそ公賢さまのご専門では?」
ふと、尋ねた阿漕に、千鶴は、首を横にふる。
「そう思って、私も、今朝一番に公賢さまの屋敷を尋ねたのですが、留守だったのです。」
「ほう!何とも珍しいこと!」
鶯が、驚嘆の声をあげた。
「なんでも、遠出をしており、しばらくは戻らぬそうです。」
公賢といえば、人嫌いで、宮中にも滅多に出仕せず、家に引きこもっている。それが、長い期間家を開けるのは、相当に珍しい。
千鶴も、いつもの吊り目の女房にそう告げられたときには、聞き間違いかと思ったほどだ。
「ですので、当面の間は、用心するより他、ないかなと。」
「そうか・・・。」
鶯が心配そうに頷いてから、千鶴の膝の上のナンテンの頭に、そっと手を伸ばし、
「テン、頼むぞ。不在の公賢どのと、何もできない私の代わりに、千鶴を守ってくれ。」
「当たり前だ!」
鶯に撫でられた、ナンテンが、小さな胸を、目一杯にはって、威勢よく答えた。
今回分は、かなりの回数、推敲を重ねたのですが、細かなところの書きぶりが、未だに納得できてないので、表現等、修正するかもしれません。




