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5 千鶴の探し物

「おかしいなぁ・・・」


千鶴は、朝から何度めかになる台詞を口にした。

ぶつぶつと呟きながら、一度調べた服の隅々まで、また、ひっくり返しては検める、を繰り返している。


「うーん・・・やっぱり、どこにもない。」


家中を、右往左往していたら、音を聞きつけた師匠の菊鶴が気だるそうに、寝床から出てきた。


「一体、朝から、何の騒ぎだい?」


着物の片方の肩が、ずるりと落ちて、ふくよかな胸元がのぞく。


「あたしは昨日、遅かったんだ。そんなにバタバタされちゃ、うるさくって、おちおち寝ていられやしないよ。」

「お師匠さん、すみません。」


頭を下げた千鶴は、自分の探し物を師匠に打ち明ける。


「実は、櫛がどこにもないのです・・・」

「くしぃ?」


菊鶴は、一瞬、眉根を寄せたが、すぐに思い当たり、


「あれかい?形見の?」

「そう。その櫛です。」


千鶴は、もともと孤児だった。物心つく前に、師匠の菊鶴に拾われたのだが、両親はすでに亡く、朽ちた家のなかで一人、泣いていたそうだ。


櫛は、そのとき唯一、千鶴が持っていたもので、大事そうに懐に抱いていたので、きっと母親の形見に違いないと思った菊鶴が、とっておいてくれた。


千鶴にとって、唯一、本当の肉親から受け継いだもの。実際、あの櫛を手にしていると、何かに守られているような安心感がある。


「いつも、肌身離さず持っていたはずなのに・・・」


中納言邸を出るときには、確かにあった。

だから、鶯を助けて、大立回りをした、あのとき。あそこで落としたに違いないと、夜が明けるのも、もどかしく、東の空が白んでくると同時に、出掛けていった。


しかし、いくら探しても櫛はなく、中納言邸まで、行きつ戻りつ三往復。草むらの中まで探して戻る頃には、すっかり日が高くなっていた。


それで、今一度、服のどこかに引っ掛かっていないかと端の端のそれこそ糸の解れたところまで、舐めるように見ていたところだ。


「どうしても見つからないのかい?」


菊鶴が、乱れた髪をかき揚げながら訊いた。

千鶴が、泣きたくなるような思いで、「はい。」と告げると、菊鶴は、「ふぅ。」と大きなため息をついた。


千鶴の肩を、ポンと叩くと、


「まぁ、諦めることだね。」


それから、昨晩の残りの雑穀がゆを鍋から碗に移して座った。


「そんな、諦めるなんて!だって、あれは・・・」

「大事なものをなくしたときは、もっと大事なものをなくす変わりだったのさ。」

「もっと大事なもの?」


あの櫛は、千鶴にとって欠けがえのない大事なもの。それより大事なものなんて。


「そうさね。例えば・・・」


菊鶴は、昨晩、千鶴が身につけていた白拍子の装束を一瞥し、


「お前の命・・・とかね。」


白拍子の服は泥や血の跳ねた後が転々としており、闘争のあとが生々しく残っていた。


「随分と派手にやったね。それじゃあ、洗ったって使い物になりゃしないよ。」


菊鶴が「呆れた」と、首をすくめた。


確かに、改めてみると、上半身の水干には、点々とした血のしみが、下半身の袴には泥のよごれがついている。


「大事な商売道具の一張羅をあんなんにしちまって。だから、行き帰りは、ものぐさせずにちゃんと着替えなって言ってあったろう?」


確かに、これでは、しばらく仕事ができない。代わりを用意しようとするには、出費を伴う。


(師匠の言うとおり、これはこれで、考えないと。)


そう思ったとき、部屋の隅から、子供のような、声がした。


「なんだ。朝から、騒がしいと思ったら、櫛を探していたのか?」

「誰だい?」


菊鶴が、粥を掻き込む箸を止めることなく、声のした方に一瞥をくれた。


「ヒトじゃあないね。」


すると、部屋の角の暗がりから、やや大きめのネズミのような獣が、チョロチョロと這い出してきた。

くすんだ白と茶色と灰色の三毛模様の毛に、南天の実のような赤い目玉がちょんと二つ、ついている。


「あっ!」


それは、まぎれもなく、昨晩、千鶴の懐に逃げ込んできた、あの獣であった。


家に帰って着物を脱いだ時にはいなくなっていたので、てっきり、どこかへ行ったのかと思ったが、どうやら部屋の隅で、ちゃっかり安寧を得ていたらしい。


「なんだ、ネズミか。これはまた、おかしな柄だねぇ。」


菊鶴の言い草に、ネズミが怒った。


「オイ!そんじょそこらのネズミと一緒にしてくれるな。」

「ふーん。じゃあ、なんなんだい?」


鼠は、「ふん」と胸を張った。


「聞いて驚くな。オイラは旧鼠(きゅうそ)さ。」

「なんだ、やっぱりネズミの妖怪じゃないか。」

「なんだとは、なんだ!!」


旧鼠が、シャーっと牙をむいて、威嚇した。が、小さな体では、一生懸命に毛を逆立てても、残念ながらたいした迫力はなかった。


「おぉ、怖い、怖い。」


からかう菊鶴を制して、


「さっき、櫛を探していると聞いたとき、反応したね?もしかして、櫛のありかを知っているの?」


この子は、昨晩、千鶴の懐に入っていた。同じく懐にしまっていた櫛に気づいたかもしれない。

千鶴の問いに、旧鼠はむき出していた歯を引っ込め、頷いた。


「あぁ。あの櫛なら、オイラが懐に飛び込んだ時、確かにあった。けれど、昨晩、派手に剣を交えただろう?その時に着物の隙間から落ちてしまったんだ。」


やっぱり思った通りだ。


「でも変だな。」


あのあたりは、何度も、それこそ草むらの根をかき分けるほどに探したのだ。

仕方がない、もう一度、この子を連れて探しに行くか、と考えていたら、


「誰か?誰かあるか?」


入り口の方から、訪のう者の声が聞こえてきた。


「はいよー。」


菊鶴が、よっこいしょと腰を上げて、客の声のほうへ歩いていった。


「何か用かい?」


応対する菊鶴に、嗄れた男の声が尋ねた。


「こちらに、白拍子の千鶴どのは、おられるか?」

「あんた、何者だい?」


菊鶴が警戒心を含んだ鋭い声で返した。

女の二人暮らし。おかしなものが来ないとも限らない。世慣れた菊鶴は、そのあたりの対応も心得ている。


しかし、相手の男は、動じる様子もなく、ほとほと疲れたような声で応えた。


「私は、従5位 大蔵の少輔(役職の一つ) 七条家に仕える者なり。三の姫さまより、白拍子の千鶴どのへの言付けを預かったのですが、肝心の千鶴どのを見つけられず、朝からこうして何軒も訪ね歩いているのです。」


その言葉が、耳に届いた途端、千鶴は飛び上がった。


「七条家の三の姫さま?!」


昨夜助けた、結婚が嫌だと言って、家出しようとしていた、跳ねっ返りの姫の顔を思い出す。


「お師匠さん、心当たりのあるものです。」


慌てて駆けつけてきた千鶴に、菊鶴が、「そうかい。」と、正面を譲った。


それを見た質素な姿の年嵩のいった下男が、


「よかった!こちらにおられたのですね。」


と、喜色を浮かべた。


「日が昇るより早くから、人の住んでいそうなところをあちこち、探し歩いたのですが、まさか右京におられるとは・・・」


この広い京を、ヒト一人探して訪ね歩くとは、かなりの労力がいる。

京の都は、帝のいる内裏を背に、左側と右側、すなわち「左京」と「右京」に分かれており、その真ん中を分断するように、朱雀大路が貫いている。


とはいえ、両者は均等に繁栄しているわけではない。千鶴たちが居を構えている右京は、左京と違い、住む者が少なく、荒れた地も多い。左京から探し始め、見つからぬからようやく、こちらまで足を延ばしてきたのだろう。


わざわざそれだけの労力をかけて、探し出したのだ。まさか、昨日の礼というだけでは、あるまい。


「三の姫さまからの言付とは何でしょうか?」

「そうでした。そうでした。」


男は、人の良さそうな翁顔をニコニコさせて、汗をぬぐった。


「実は、三の姫さまが、千鶴さまの舞をご所望でして。」

「え?姫さまが?」

「そりゃ、えらい変わった姫さまだねぇ。」


横で聞いていた菊鶴も、驚いて合いの手をいれる。


「千鶴呼んだら、タダじゃあないよ?」

「そりゃ、もう、きちんと見返りをご用意するつもりです。昨晩、助けていただいた分も合わせて。」


汚れた着物を新調しなければならないのだ。お礼を貰えるのなら、正直、助かる。が、しかし―――


「行きたいのはやまやまなのですが、準備に少し時間がかかります。」


千鶴は、血と泥で汚れた着物をちらりと見た。やはり、あれでは人前には出られない。

とりあえず、菊鶴に借金でもして、着物を用意しなければ。


千鶴の言葉に、男は、表情を曇らせた。


「そうですか・・・。できるだけ、早くにとの申し出だったのですが。なんでも、大事なものを預かっているから、と。」

「大事なものっ?!」


千鶴は、頭に思い浮かんだソレを、おそるおそる口にする。


「それは、もしかして、櫛・・・ですか?」


しかし、翁は、申し訳なさそうに首をかしげた。


「さぁ?中身まではうかがっておりません。」


菊鶴が千鶴の肩をポンッと叩いて、顎で促す。


「すぐに行ってきな。あたしの着物を着ればいい。」



◇   ◇   ◇



菊鶴に着物を借りた千鶴は、七条邸の使いだという下男とともに、鶯の元へ向かった。


ちなみに、旧鼠はというと、「眠い、眠い」と言って、部屋の隅の暗がりで小さくなってしまったので、家に置いてきた。


下男は、かなり年を召しているようにみえたが、足腰は丈夫なようで、千鶴の少し前を、ひょい、ひょいと軽やかに歩いている。

その動きに、見覚えがあった。


昨晩、千鶴が駆けつけるまで、孤軍奮闘して牛車を守っていたのは、この男ではないか。だとすると、あの数を相手に暗がりのなか、一人で主人を守りぬいたこの翁は、年はとっていても、それなりの強者だろう。


「こちらに、ございます。」


七条邸は、左京にあった。

一応は、貴族特有の神殿造りのようだが、かなり簡素だ。


京の都は、平清盛の時勢に、二度の遷都を行っている。

一度は、京から福原に。そして、半年足らずで再び京に。


その時、帝に付き従って動いた公家たちの多くは、一旦、家を解体して、木材を運び、その地に建てた。そうして、都が再び京に戻るときには、また、同じように木材を運んで、家を建て直したのだ。

加えて、火事の多い京のこと。一口に貴族の邸宅地と言っても、そこには、新しい家、古い家、朽ちた家、なんとかして手を入れて保っている家と、新旧様々に入り乱れている。


鶯の住む七条邸は、まさに、古い家を、建材を使い回しながら手入れをして、なんとか貴族らしい体裁を保っているかのように見えた。


鶯は、御簾も記帳もおかず、千鶴を待っていた。


「ようこそ、いらっしゃいました。」


鶯が、指をついて、丁寧に迎える。


千鶴は、驚くと同時に、慌てて、深く頭を下げた。

何せ、曲がりなりにも貴族の娘の鶯が、遊女同然と見下されることさえある千鶴相手に、そのような礼を取るとは思わなかったのだ。


「昨日は、ご無事のお帰りのようで何よりでした。」

「曽我どのが、家の前まで見張って、逃げられなかったのじゃ。」


鶯が、ツンとすました顔をして、不満げに唇を尖らせた。かと思えば、すぐに、堪えきれぬように、クツクツと笑いだす。


「あー、おかしい。昨日は、本当に楽しかった。家出した甲斐があったわ。」


千鶴はその真意不明の態度に、呆気にとられた。

目的である家出という本懐が遂げられなかったにしては、妙に明るい。しかも、あれだけの目にあっておいて、楽しかっただの、甲斐があっただの言いつらう姫は、一体どんな神経をしているのか。


「あ・・・あの?」


おそるおそる、声をかけた千鶴に、袖口で、笑い声を抑えていた鶯が、悪戯っぽく言った。


「家出はもう、よいのじゃ。」



続きは、明日。

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