43 厄介な依頼2
「しばらくの間、千鶴には、男のふりをして近衛の舎人(近衛府の役人)として、近衛府にて勤めてもらいたい。」
一瞬、聞き間違えかと思ったが、鶯の父、七条兼助は、念を押すように再度、そう告げた。
「男のふり・・・でございますか?」
とんでもない依頼をされていることだけは分かるが、とんでもなさすぎて、千鶴の理解が追い付かない。
「これは、さる方からの、たっての頼みなのだ。」
それが、まるで、とんでもなく栄誉なことのように言う。
「その、さる方・・・とは、どのような方でしょうか?」
「まぁ、それは、の。」
兼助が言うには、千鶴を見た、その晩、兼助は弁官の某と一緒にいたそうだ。
「弁官」とは、左大臣や大納言と同じく太政官に連なる、役職の一つだ。
しかし、一口に弁官と言っても、その中には、大弁、中弁、小弁の三つの位があり、さらに、それぞれに左右の2種類がある。加えて、しばしば、「権官」と呼ばれる、臨時職が設置される。
例えば、「権右中弁」などと、呼ばれるのがそれである。
つまり、「弁官」には、最低6名以上の候補者がいるなかで、兼助、誰を指しているのか、告げるつもりはないようだ。
「その弁官の縁者が、近衛の舎人として勤務していたのだが、突然の病にかかり、伏せってしまったのだ。」
「その方の・・・お役職は?」
「いや、役職はない。ただの近衛だ。」
近衛府の高官といえば、近衛大将、そして中将。その下には下級の役職が続き、一番下に役職のない一兵卒。兼助の言った「ただの近衛」というのは、その一兵卒の者たちを指す。
「役職のない、ただの近衛・・・ですか?」
宮中の出世争い激しい高位の者たちならまだしも、近衛府の末端の舎人が、休んだからと言って、何の問題があるのだろう。
その疑問に答えるように、兼助が、
「その者が、病を得て、臥せっていることを、まわりに知られたくないのだ。」
「何か、理由があるのですか?」
兼助は、「うむ。」と、短く唸ったが、その理由を口にしるつもりはないらしい。
「それで、どうやら、その者の顔が、千鶴とそっくりなのだそうだ。だから、千鶴に、その者のフリをして欲しい、ということなのだ。」
「そんな!」
千鶴は、仰天して目を見開いた。
「暗闇の中で、ちらりと見ただけでしょう?成り代われる程に、似ているなどと判別できるはずがありません。」
失礼を承知で言い換えす千鶴に、兼助は「いや。」と、首を横にふった。
「間違いなく、瓜二つだそうじゃ。」
「なぜ、そんなことが分かるのですか?」
「改めて見て、確めたからじゃ。」
「見た?私を?いつですか?」
兼助は、少し押し黙った。
「いつ、私を見たのでございますか?」
「それは・・・」
しつこく食い下がる千鶴を兼助が曖昧に濁そうとすると、
「今である。」
兼助の背後の几帳から、冬の木枯らしのように、ひゅうひゅうと嗄れた声が聞こえた。それと同時に、ぬぅっと男の烏帽子が現れる。
「ご・・・出てきてよろしいのですか?」
姿を現した男に、兼助が、驚いて尋ねた。
「良い。」
小柄な男が、几帳の奥から、ぬらりと出てきた。
おでこが広く、目が小さい。顔だけ見るとかなりの年のようにも見える。そういえば、以前、絵巻物で見たぬらりひょんという妖怪の姿に似ている。
「良い。私が直に話す。」
兼助が上座を譲るように横に移動したので、男は、自然と兼助の元座っていた席に腰をおろした。見た目の割に、身のこなしは、俊敏だった。
「私が先程から話に出ていた弁官である。」
やはり、これ以上詳細な身分を明かすつもりはないらしい。
「先程、この者から話があったように、私の縁者のものが、5日ほど前から、原因不明の病に倒れ、伏せっておるのだ。」
「すでに5日も・・・ですか?」
「今は宇治の別荘にて療養しておるが、一向に治る気配がない。」
かなり悪い状態のように察せられる。
「長患いになりそうなのですか?」
そもそも治る見込みはあるのだろうか。案の定、弁官は、ため息まじりに、言った。
「分からぬ。」
「しかし、回復の目処がたっていない方に、身代わりなど・・・」
まさか一生続ける訳にもいかぬのだ。先が見えない身代わりを立てる意味があるのか。
「いや。まさか永遠にお願いするというつもりはない。本人に回復してもらわないと意味がないのだ。」
いろいろと八方、手を尽くしているが、結果がついてこないのだと、言い訳がましく告げる。
「身代わりというのは、どうしても必要なのでしょうか?ご本人の回復を待たれては・・・」
「必要だ。」
弁官が、千鶴の問いかけを遮断するように、嗄れた声で即答する。
「わざわざ身代わりを立てる理由については、教えることができない。政治的な都合だと思っておいてくれ。」
やはり、ただの縁者ではないのだ。
かなり強力な血縁者を、余程の訳あって、近衛の舎人に置いているのだろう。
だから、変な噂が立っては困る、ということか。
事情は分かった。
しかし、だからといって、ほいほいと請け負える訳がない。そもそもの問題がある。
「ご覧になったので、お分かりになったと思いますが、私は女ですよ。」
あの晩の完全なる男装とは違い、今は白拍子の格好だ。白拍子は男装束を身に付けているだけであり、男のふりをしているわけではない。あくまで、女が身に付けるための男の服装なのだ。
兼助と弁官は、互いに顔を見合せた。
「千鶴が女であることは、もちろん、分かっておる。事前に弁官にも、お伝えした。」
兼助が言った。
「だから、千鶴には、くれぐれも、周りの者に見破られぬようにして欲しいのじゃ。」
「そんな無茶な!」
「いや。そう無茶ではない。」
今度は、弁官が口を挟む。
ぬらりひょんのような大きなおでこを、トントンと指で叩きながら、
「お主とその者は、本当に似ておる。」
なんでも、その者は、元服を終えたばかりで、まだ、童の名残のある少年なのだそうだ。声がわりも遅く、子どもの声のままなので、違和感はない。
「お主のほうが、少し痩せておるが、多少の変化は、病気で臥せっていたせいにすれば良い。」
「しかし、仕事は?私は近衛の舎人の仕事など、一つも存じ上げませんよ?」
「それも、病気のせいで、忘れてしまったことにせよ。まだ、頭痛がするとか言えば、いくらでも誤魔かせよう。」
かなり無茶なお願いをされている。いや、お願いというよりは、半ば、決まっているかのような言いぐさだ。
「もし、断ったら?」
たぶん、断ることは許されないのだ。
そう思ったが、一応、千鶴は、兼助の方を見て聞いた。
兼助は、当然のことのように、答える。
「今後、一切、鶯には会わせぬ。」
◆ ◆ ◆
「まさか・・・それで?」
千鶴の説明に、惟任は、あんぐりと口を開けた。
「だって、仕方ないではないですか。鶯を人質に取られたのです。鶯には、先日、服を直してもらった恩もありますし。」
月詠の鏡のところへ行く前、惟任といるときに、夜霧の中で襲われたときのことだ。着物の胸のあたりに穴を開けられた。それを鶯の君が塞いでくれたらしい。
「いや、しかし・・・だからと言って、男のふりをして近衛の舎人などと、なんて無茶なことを・・・!」
「大丈夫です。今のところ、病気の後遺症だと言って、簡単な仕事だけを回していただき、思ったよりも、何とかなっています。」
「いえ、そういうことではなくて。」
気楽そうに答える千鶴に、惟任は、頭をくしゃりと書いた。
「そうはいっても、危険なこともあるでしょう?」
男ばかりの中に、女が一人で入るのだ。不便もあるだろう。
ましてや、男の中には、男色の者もいるという。そういう輩に狙われ、下手すれば、女であることが露見しないとも限らない。
(それに・・・)
惟任の頭には、否が応でも、あの男の顔が思い浮かぶ。
「近衛府には、左中将もいるでしょう?九条慶政どのが。」
左近衛中将であり蔵人頭、頭中将。
中将は、近衛府では、大将に継ぐ官職でもある。
何を考えているのか分からぬ、危険な男。
「千鶴殿は、近衛府の右と左、どちらに勤めているのですか?」
千鶴は、少し躊躇うように口ごもってから、
「・・・左です。」
「左!よりによって。」
近衛府の庁舎は、右と左で別れており、その左こそ、
「頭中将の直轄ではないですか。」
「はい。先程、公賢さまからも注意されました。頭中将には、気を付けるように、と。でも・・・」
千鶴は、肩をすくめた。
「実際に、中将が、下っぱの舎人たちに接触するかとなど、ほとんどありませんよ。仮に会ったとしても、いちいち一人一人を気にすることなどありえません。」
「それはそうかも知れませんが・・・」
それでも、やはり惟任は、嫌な予感が拭えない。
「その、千鶴どのが、身代わりになっている方というのは、どのような方なのですか?一体、どうして病気になったのでしょう?」
「どのような方かは教えてもらえませんでしたが、おそらく・・・その弁官の御落胤ではないかと。」
御落胤。すなわち、身分の低い妾に産ませた子。
「なるほど。ありそうなことです。」
今は隠しているが、機をみて、引き立てるつもりかもしれない。
だからこそ、おかしな病にかかっているなどという噂を立ち、けちがつくことを恐れた。そして、そこまで隠したい病となると、これも、自然に絞られてくる。
「その病というのは、おそらく、悪霊か物の怪によるものなのでしょう。」
惟任が、言うと、千鶴も同じ事を考えていたらしい。同意するように頷いた。
「やはり、惟任さまも、そう思われますか?」
「わざわざ身代わりを立ててまで隠すということは、余程、知られたくないということでしょう。何とか手をうつというのは、陰陽師か僧にでも頼んで調伏するつもりでしょうか。」
果たして、それで治癒するのか。今のところ、目処がたっていないらしいのに。
公賢の手を借りられればいいのではないかと思ったが、どうやって介入してもらうかが難しい。
惟任が考えを巡らせていると、千鶴が、
「あの・・・私、そろそろ戻ります。」
これから、近衛府で勤務があるのだと言う。下級役人なので、勤務日数も多く、夜間の警備もある。
「くれぐれも、気をつけてください。」
「はい。」
その言葉をかけるくらいしか出来ない自分が歯がゆい。
「何かあったら、力になりますので、いつでも言ってください。」
「ありがとうございます。」
千鶴は、社交辞令にしか受け取っていないだろうが、惟任は、本気だった。
近衛府に向かう千鶴の背を見送ると、
「さて。」
惟任は改めて、腹の底に力を込めた。
これで、やるべきことがハッキリした。
もう、迷っている場合ではない。大事な用事ができたのだから。
惟任は、決然と、公賢邸の門の前で、訪いを告げた。