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41 惟任

とりあえず、3章再開します。

今日は、ほとんど回想のエピローグです。

7年前、近江(おうみ)ーーー


鉛色の空に厚くたれこめる雲から、ちらちらと粉雪が舞ってきた。

吐く息は白く、地面を一足、一足踏みしめるその足先の感覚は、とうにない。

千鶴は、手に持つ扇を落とさないよう、指の先の先まで神経を行き届かせる。


真冬の神社の境内は、まだ夕暮れ前だが、一人っ子一人いなかった。


師匠の菊鶴(きくつる)は、「今晩は、雪になるから、早めに切り上げな。」と言って、家を出た。客をとるから、帰らないだろう。

7歳の千鶴は、まだ客の前に出たことはない。しかし、すでに「客をとる」というのが、どういうことなのか、朧げながら理解していた。


千鶴は、膝を折り、身体を沈め、また立ち上がる。三歩歩いて、ゆっくりと振りかえった。

動きに合わせて、詩を歌う。

口を開けたとたん、冷たい空気が一気に肺のなかに流れ込んできたが、それも厭わず、淡々と歌う。伴奏はない。


落ちてくる雪が少しずつ増えてきた。粉雪から、水分を含んだ大きな雪へと変わってきている。それでもまだ、止めるつもりはなかった。


しんしんと降りしきる雪の中で、一心不乱に踊り、歌う千鶴の声がこの世のものではないような、幻想的な響きを帯びていく。


その姿を境内の木陰から見ているものがいることに、千鶴は気がついていなかった。



◇ ◇ ◇


現在ーーー



惟任(これとき)は、ぼんやりと薄暗い部屋に、仰向けに横たわって、板貼りの天井を眺めていた。

こめかみから、幾筋か汗が流れ落ちる。

一年で最も暑さの厳しい季節は、夜明け前だというのに、寝苦しい。


ゆっくりと身体を起こして、スッキリしない頭をブンブンと振る。

夢を見ていた。ひどく、昔の夢。

でも、起きたら内容は思い出せない。


たぶんーーー故郷の夢だったように思う。


曽我惟任(そがのこれとき)の父は、下級貴族だった。

帝のいる御殿には上がれない、従5位以下の、いわゆる地下人である。貴族と言っても、その生活は、ほとんど、農民と変わりない。

わずかばかりの水田と、一族で開墾した、あまり豊かではない畑を所有していた。


母は、いない。

惟任を産んで、間もなく亡くなった。周りの大人は皆、口をそろえて「産後の日だちが悪かった」と言っていたから、そういうことなのだろう。

色白で、か細く、小柄な人だったらしい。


父も、細身だが、か細くはなかった。

引き締まった筋肉で、一人で何町もの田畑をやすやすと耕す。俊敏で、足も速い。

小作の子が、どこぞの合戦跡から拾ってきた、なまくら刀でも、父に握らせれたら、誰も太刀打ち出来なかった。


その動きは、風に揺れる柳のように、川を下る笹舟のように、余分な力など一切なく、しなやかに。ごくごく自然の摂理に従って動いていた。

天分の才である。


惟任は、有難いことに、その殆どを父から受け継いだ。細いが、しなやかな身体も、剣の腕も、人の良さそうな下がり眉さえ、父そっくりである。


しかし、父は、『人の良さそうな顔つき』であっても、決して、人が良いわけではなかった。その目の奥には、常に他人をゾッとさせるような、底知れぬ怖さがあった。

性格は苛烈で、一度刃を向けたものを決して赦さぬ冷酷さがある。


その優しげな見た目と酷薄な性格の差違が、かえって不気味さを、いや増しさせ、一族における絶対的な君主の地位を揺るぎないものとしていた。


惟任は、幸か不幸か、その性格だけは、父から受け継がなかった。

どちらかというと、争いを好まず、その見た目通り、穏やかな日々を好む。

それは、唯一、顔も知らぬ母から受け継いだもの。というか、父から受け継がなかったのだから、そうなのだと勝手に思っている。


世の中には、大荘園を経営している公卿たちもいるというのに、それに比べれば、曽我領は、雀の涙ほどの小さな土地だ。

それにも関わらず、いざこざの種というものはちゃんとある。


惟任がまだ5つか6つの頃、父たちが自らが開墾した土地に、野盗が入った。酷い飢饉の年で、どこを見渡しても皆、飢えていた。都でも、道端で飢えて、倒れている人が数多いた。


しかし、その年、何の因果か、我が家の畑だけ、飛び抜けてよく、作物が実った。実ったとは言っても、元がそう広い土地ではない。

父は、ここぞとばかりに、僅かばかりの野菜を持って、皆に配った。もちろん、無料ではない。高価な着物や武具と引き換えに、である。


そんな金のなる木と化した畑に、野盗が入ったのだから、黙っていられるはずがない。

父は、例の残忍な光を宿した目で、野盗に近づくと、次々に、刀でなぎ倒し、最後の一人をあっという間に昏倒させた。


野盗にとっては、夜の闇に紛れたつもりであっただろうが、それが、かえって災いした。殆どの者たちは、切られるその瞬間まで、父の存在に気がついては、いなかっただろう。何が起こったのか、分からぬまま、息絶えたのだ。

闇は、完全に父の味方だった。


父は、一人を残し、全ての盗賊どもを黄泉の国に送り込んだ。最後の一人を昏倒させるに留めたのは、温情などではない。まだ他にも仲間がいることを警戒し、拷問にかけるためであった。


父の勘はあたり、そこから程近い山間の小屋に野盗の残党が潜んでいた。父は翌日、一族の男手を引き連れて、数名で、小屋を襲撃した。


帰って来た父は、衣を真っ赤に染め、機嫌よさげに、いつもの酷薄な笑みを浮かべていた。笑っていたのは父だけで、父についていった者たち全員、青白く血の気のない顔か、今にも吐きそうな、どす黒い顔をしていた。

残党たちの殆どを、父が一人で殺ったらしい。中には女、子供もいたが、父は一切容赦しなかった。


あとで聞いた話によると、当初、父は惟任も連れていくつもりだったそうだ。しかし、いくらなんでも、5つか6つの子では足手まといだと、叔父が止めた。

実は、惟任は、この時点ですでに、大人にひけをとらぬほど剣を扱えたから、足手まといにはならない。ただ、この凄惨な場を見せたくなかったのだ。


この時の叔父の判断に、惟任はずっと、感謝していた。そのような場面など見たくはない。

叔父も、まだ幼い年頃の子にあんな残酷な場面を見せるべきではない、そう考えた叔父が、良心の塊のように見えた。


しかし、実際の叔父の考えは、違っていた。

叔父は恐れていたのだ。幼子の中に流れる、父の血を。凄惨な現場への誘うことで、穏やかな性格の中に、眠っているであろう残忍な性向が目覚めてしまうことを。


そのことに気がついたのは、父が死んだ後だった。

家督を継いだのは、元服前の惟任ではなく、叔父だった。


貴族としては身分が低かった父だが、一族では絶対的な権力者だった。強く、頼りになり、そして恐ろしい。そして皆、恐れていた。

小さな惟任の中に、あの、父の血が甦ることを。


この似ても似つかぬ穏やかな少年の内面に、亡き父を探して、怯えるのだ。


「すまない。」


元服を済ませ、ここを出ていくと決めた晩、惟任の祖父がやってきて頭を下げた。父が存命中は、口出しできなかった祖父だ。


「お前が、()()と違っていることは、分かっている。それでも、お前は、あまりに似すぎているのだ。」


似すぎている。何が?

顔だ。


「皆、お前の中に、あれの亡霊を見るのだ。」


実の父にでさえ、「あれ」と呼ばれる息子。自分の父は、そういう男なのだ。


「構いません。」


惟任は、争い事が嫌いだった。人に不快な思いをさせるのも、できれば、避けたい。

皆、平和に、穏やかな日々を過ごせぬものか。


「私は、明日、ここを出ます。」


こんなに違うのに、ここを出なければならない。いや、こんなに違うから出るのだ。きっと、父なら、力ずくで一族を掌握し、この地位を降りることなど、しなかっただろう。


「お世話になりました。」


惟任は、祖父に頭を下げた。

この身一つ、いくらでも暮らしていけよう。


「これを持っていけ。」


祖父は、刀を一振り、差し出した。


「これは?」

「あれが、いつぞや、野盗の小屋に攻め行った時に、持って帰って来たものだ。」


戦利品。惟任は、刀を両手で持ち上げた。今の惟任には、少し大きい。が、重くはない。


「方々から集めてきた着物やら、武具やらと一緒に仕舞われておった。」


束を握ると、すっと手に馴染んだ。鞘から抜いた刀身は、手入れがされていないわりに、錆びもなく美しい。


「わしには、よく分からんが、たぶん良品だろう?どうせ、ここには、扱えるものがおらん。持っていけ。」


食うに困れば売るもよし、それを持って身をたてるもよし、好きにしろということだ。


「ありがとうございます。」


惟任は、有り難く頂戴し、脇に差した。


そして、両手を床に付くと、深々と頭を下げた。


「今まで、ありがとうございました。」

「うむ。」


短い返事。

惟任には、頭を上げて、祖父の表情を確かめる勇気がなかった。


そして、翌朝早く、誰にも会わずに家を出た。


その後は、地方の土地を転々としてから、都に出た。いくつかの屋敷に雇われて護衛として仕えた。

元が貴族という身分は中々に役に立った。土地も権力もなくとも、最低限の身分保証にはなる。

中には、父の名を知っているものもおり、父譲りの剣術だと言えば、喜んで雇ってくれた。


貴族社会というのも、権力の移り変わりが激しい。雇い主が困窮し、食うに困れば、出ていって次を探せばいい。そうやって渡り歩いているうちに、今の主人に出会った。


主人は、鎌倉と主従関係を結んだ御家人であった。しかも、単なる御家人とは違い、かつて鎌倉に幕府を開いた征夷大将軍、源頼朝の盟友とも言われた存在。


男は、惟任を一目見て気に入り、すぐに、自分の元に引き入れた。


「この才を見逃すとは、なんと、見る目のない者たちよ。」


そう言って、招き入れてくれたのだ。


あれから何年経つだろう。

そんな事をぼんやりと思い出していると、


「惟任っ!」


土間口から、(くだん)の主の声がした。


ようやく、東の空が明るみ、一番鶏が鳴く頃だというのに、これから合戦にでも出かけるように、威勢がいい。


「惟任は、いるか?上がるぞ。」


言うが早いか、ずかずかと上がりこむ足音。せっかちな方なのだ。


「なんだ、起きているではないか。」


あわてて、薄い麻の布団を隅に追いやり、座って待ち構えていた惟任を見て、男は爽やかに微笑んだ。


その男の名は、平賀朝雅(ひらがともまさ)。京都守護である。


「ちょっと、思い付いたことがあってな。惟任に頼みたいことがあるのだ。」


言うが早いか、朝雅は、惟任の前に、どかっと腰をおろした。



なかなか、推敲の時間が取れないので、週2〜3回で更新していけたら、と思います。

とりあえず、続きは来週。

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