4 鶯の事情
本日2本目。短いです。
都を出ることすらできず、捕まってしまった。
賊に襲われ、なんとか助かったところまでは、良かったのに。
鶯は、家出が失敗に終わってしまったことに、深い落胆のため息をついた。
事の発端は、父が取り付けてきた縁談だった。
どこぞの地方の国司らしい。
このご時世、もはや貴族の地位も権力も財力も、一部の上位の者を除いては、低下の一方。ましてや七条家当主の位は、殿上可能な従5位にぎりぎり入っているが、今後も大きく飛躍することは望めない。
国司は、税の徴発権限を持っている。取り立て分と朝廷に納める分の差を中抜きし、財を蓄えているものも多い。
父はどこかの伝手で、見つけてきたその縁談に、「国司に嫁げるのは幸いだ」と手放しで喜んだ。
しかし、その相手というのが、何度聞いても、どこにいるのか、どんな名なのか、人柄はどうか、すべてが、いまいち、はっきりしない。
この縁談は、何だか良くない予感がする。
鶯のそういう勘はよく当たる。
それを証明するがごとく、父がその話を持ち出してから、悪夢を見るようになった。
眠りにつくと、夜毎、何かが自分の身体をつよく締め付けるのだ。手も、足も、すべてを巻き取られ、喉がしまり、溺れそうなほどの息苦しさのなかで、もがくように目を覚ます。
鶯には、それがこの縁談の暗澹たる先行きを暗示しているように、思えてならない。
そのことを父には何度も告げたのだが、いくら言っても取り合ってもらえず、ただ、「これ以上の良縁はない。」と繰り返すばかり。
鶯はついに、自らの身を守るため、一念発起して、皆が寝静まった夜半、信頼できる御者とともに、家を出たのだ。
自分を可愛がってくれていた伯母が、宇治で尼となっている。
彼女を頼れば、助けてくれるはずだ。
ところが、家を出て早々、曲者に襲われてしまった。
もう駄目か、と思ったが、どこからともなく現れた白拍子が、助けてくれた。
彼女の剣技は見事で、戦うというよりも、まるで踊っているかのようだった。
剣を振るっては、くるりと回り、また一太刀。滑らかで、流れるような華麗な動きに、鶯はしばし見惚れた。
しかし、彼女は劣勢だった。
それに気づいた瞬間、鶯は、迷うことなく外へ飛び出した。
幼いころは、よく宇治の伯母のところに遊びに行っていた。そこでは、地元の男の子達と一緒に、野山を駆け回り、川に入っては魚を採っていたのだ。
ただひたすらに、囲われて大事に育てられているような深窓の姫ぎみではない。
自分の身は、自分で守るのよ!
少し走ると、すぐに一人の男をみつけた。腰に剣を佩いていた。しかも、干戈を交える音を聞きつけ、ちょうどこちらに向かっているところだった。
助けに入った男は、強かった。あっという間に賊を追い払った。
しかし、同時に、鶯の企みも露見していまった。そうして、牛車に戻され、家に送り返されることになったのだ。
でも―――
「考えようによっては、良かったかも。」
伯母の家に逃げていたとしても、一時しのぎにしかならない。父はすぐに鶯の居場所を突き止めるだろう。連れ戻されれば、元の木阿弥どころか、二度と逃げ出せなくなる。
それならば、家出ではなく、別の手を考えるべきだ。
「きっと、神様がそうせよ、といっているのだ。」
こういう時は素直に物事の流れに乗るものだ。
鶯は、自分の勘に強い自信を持っている。
ぎゅっと、手のひらを強く握った。ゴツゴツした感触が手のひらに伝わる。そっと手をひらくと、そこには、先ほど、牛車に乗る直前に見つけた櫛があった。
「千鶴」と呼ばれていた白拍子。
これは、おそらく、彼女の物。
戦っているうちに懐にでもしまってあったのが落ちたのだろう。菊をあしらった上品な意匠。大事なものに違いない。
「千鶴」
鶯は、揺れる牛車の中で、小さく微笑み、彼女の名を読んだ。
続きは明日