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36 公賢の答え合わせ

前回の場面の惟任視点からスタートします。

惟任(これとき)は、急に攻撃してきた、黒い鞭のようなもを、反射的に取った刀で、横一線になぎ払いながら、その本体の全容を見た。


主に命じられ、ずっと探していたモノに、まさかこんなところで、邂逅するとは!


黒く、大きなソレは、白く煙る霧の中、巨大なナメクジのように、ずるずると地面を這っている。


「千鶴どの。」


警戒を促すように、声をかけるのと、ほぼ同時に、黒い物の怪は、触手を振り飾し、二人のいた場所を攻撃した。


惟任は、前方へ飛んで逃げたが、霧に包まれ、千鶴とはぐれてしまった。

遠くで、刀が何かを弾く鈍い音がし、程なく、ぼんやりとした、黄色の光が見えた。


その光に払われるように、霧が薄くなっていく。


「千鶴どの!」


再び千鶴の姿を捉え、惟任は、駆けた。

彼女の目の前で、物の怪が、地面を這うようにうねうねと動いている。

惟任は、すぐに千鶴と化け物の間に入り、彼女を背に庇う。


千鶴は、女とは思えぬほどに剣の腕が立つ。しかし、それでも、この化け物相手には身を守るのが精一杯だろう。


化け物が、千鶴を狙っているのは明白だった。

千鶴が、自分を置いて逃げるように促す。


逃げる?そんなわけない。

これでも、武を振るう者の、端くれ。

ましてや、彼女を・・・千鶴を置いて逃げるなど、有り得ない。


絶対に切り抜ける。


腹の底から、得体の知れぬ力が湧き上がる。指先まで、熱く燃える。たぶん、今、自分の眼は、赤く血走っているだろう。惟任が、父親から引き継いだ、忌むべき才。だが、今は、有り難い。


惟任は、叫んだ。


「腐っても武士(もののふ)。あなたを置いて、一人で逃げるくらいなら、死する方がマシ。」


避けて、触手を切り落とす。大丈夫だ。闘える。


この霧は、この物の怪のせいだ。こいつを倒せば、晴れる。


千鶴に守りに徹するように伝え、自分は、化け物に踊りかかった。

六本あった触手のうち、五本を落とす。触手を全て落としたら、本体。


千鶴のほうを振り替えると、一本の触手相手に、余裕をもって、振り払っているのがわかる。

これなら、大丈夫だろう、そう思ったのもつかの間、突然、千鶴が大きく体勢を崩した。


地面に転がり、


「千鶴どのっ!!」


突如、化け物の本体から、新たな触手が生えるのを見た。しかも今までのものよりも、太く、動きが速い。


「しまった!再生できるのか!!」


触手が、千鶴の心臓めがけて真っ直ぐに、突き進む。


惟任の足が地面を蹴った。

触手向けて力の限り。


だめた!!間に合わない。


(切っ先だけでも・・・頼む、届け!)


瞬間、ぱんっと強い閃光が辺りを包んだ。


惟任は、刀を持っていない左袖を目にあて、視界を庇った。


ざんっと、足の裏が地面を掴む感覚。

徐々に瞼の裏の眩しさが抜け、惟任は、刀を掲げたまま、面を挙げた。


(千鶴どのっ!?)


無事だ。

地面に突っ伏していた姿勢から、頭を軽く降りながら、身体を起こしている。


その前に、背の高い痩せた男が、こちらに背中を向けて立っていた。


その男は、千鶴に何か声をかけ、そして、こちらをゆっくりと振り返った。細く釣りあがった糸目。

男は、今、ここで行われていた戦闘とは、ひどく不似合いな、雅な仕草で惟任を見ると、かの有名な名を名乗った。


「初めまして、私の名は、安倍公賢(あべのきみかた)。」


それから、惟任の握る刀を見て、


「まさか、あの化け物の相手に、ただの刀で、あれほど、闘う者がいるとは・・・恐れ入りました。」



◇  ◇  ◇



「公賢さま・・・?」


千鶴は、ぼんやりとした頭で、目の前の男の顔を見つめた。公賢は、千鶴の様子を見て取ると、


「大丈夫そうですね。障気(しょうき)に当てられた様子もなさそうだ。安心しました。」

「しょう・・・気?」

「モノノケたちが発するより、人にとって障りのある気、のことですよ。」

「頭が少し・・・くらくらします。」


千鶴は、頭を左右に軽くふった。


「あの霧の中にいて、その程度なら上出来です。」


公賢が、背を向けた。

千鶴から離れていく。公賢の歩く先に、惟任が刀を上げたまま静止しているのが見えた。


しばらくすると、惟任と一緒に戻ってきて、


「立てますか?一旦、移動しましょう。」

「移動・・・ですか?」


立ち上がろうとすると、膝がぐらりと揺れた。


「千鶴どの。」


惟任が、さっと手を差し出す。


「ありがとうございます。」


千鶴は、惟任の手に捕まり、ゆっくりと腰を挙げた。投げ出されていた櫛を拾う。

光は収まったが、まだじわりと暖かい。傷はなさそうだ。


「その櫛が、貴女の懐からこぼれ落ちたお陰で、場所が特定出来ましたよ。」


公賢が言った。


千鶴は、櫛を元の懐に納める。着物の胸のあたりに、穴が空いていた。よりによって、また白拍子の一張羅をやられるなんて・・・。菊鶴に知られたら、どやされそうだ。

鶯に頼んだら、直してもらえるだろうか。


「千鶴ぅ〜」


いつの間にか、定位置に戻っていたらしいナンテンが、心配そうに顔をのぞかせている。


「大丈夫か?ケガ、ないかぁ?」


おろおろとした、涙声。


「うん。大丈夫。泣かないで。」

「バカヤロウ。オイラ、泣いてなんかいない!」


ナンテンが、怒ったように言うと、着物に頭を引っ込めた。拗ねるように、身体を丸めた感触が、お腹に、むず痒く伝わる。


「さぁ、あちらに牛車を止めてあります。」


公賢が、指した方には、牛車が一台停まっていた。


「二人とも、乗りなさい。」


初めのうち、牛者に乗る身分ではないと遠慮していた、千鶴と惟任だったが、「こんなところで押し問答を、続けていると、目立ちます」という公賢に半ば強引に押され、牛車に乗りこむ。


三人は、公賢の屋敷に向かった。


牛車の中で、公賢は、黙ったまま、ただ掌の小さな壺を大事そうにしっかりと抱えていた。よくみると、壺の蓋には何か文字が書かれた札が貼ってある。


それを惟任が、じっと見つめていた。


屋敷につくと、二人は、いつもの釣殿(つりどの)に案内された。


「どうぞ楽にしてください。」


千鶴と惟任に、自分の正面に座るように促し、


「酒を用意しましょう。」

「いえ・・・私は・・・」


警戒心を滲ませた惟任が、眼前に片手を挙げて、断ろうとしたが、公賢が、すぐに、パンパンと柏手を打った。


例の猫目の女房が、すぐに、酒を持って現れる。


「まぁ、飲みなさい。話はそれからです。」


公賢は、銚子を惟任の前に置くと、手ずから酒を注いだ。


そうされれば、飲まないわけにはいかないのだろう。惟任は、杯をとって、口にあて、くいっと一気にあおった。


「暖まるから、貴女も少しお飲みなさい。」


公賢が、千鶴の前にも杯を置いて、半分ほど酒を注いだ。


酒は、貴重だ。舞を披露した後、ごく稀に振る舞われることがある。めったに口に出来るものでないのは知っているが、千鶴は、酒の味がそう好きではなかった。

それでも、公賢に勧められ、一応手に取る。杯はあらかじめ温めてあったのだろう、触った指先にじんわりとした温もりが伝わった。


「どうぞ、お飲みなさい。」


促されて、おずおずと一口舐めた。


「甘い。」


とろりとした口当たりに、不思議なほど、心地よい甘さ。

酒も杯と同様に温く、霧で湿った身体を、ホッと包み込むような優しさがあった。


「さて、それでは、答え合わせをいたしましょう。」


不意に公賢が言った。


「答え合わせ・・・ですか?」


千鶴が惟任と顔を見合わせる。


「例の化け物のこと、安倍公賢どののさしがね・・・と、いうことでしょうか?」


警戒心を顕に、睨みつける惟任を、公賢が、「まさか。」と一笑に付す。


「あれは、ここのところずっと、都を這っていた物の怪ですよ。ようやく、捕まえることが出来ましたがね。」


公賢が牛車の中で大事そうに持っていた小さな壺を二人の前に置いた。蓋には、ものものしい札の封印が施してある。


「千鶴、あなたのお陰でね。」

「私の、ですか?」


千鶴が、首を傾げる。


「身に覚えがないのですが・・・。」


と言いながらも、今日の物の怪が、明確に千鶴を狙っていたのを思い出す。


「このところ、いろいろな物を持って、都中を歩き回ってもらいましたね。あれはいわば、撒き餌です。」

「撒き餌?!」


確かに、ここ最近、公賢の依頼で、正体不明の物をあちこち運んで回った。

公賢に、調伏を依頼しに来た、貴族たちとの仲立ちだ。


「すると、あの品物は、依頼されて(まじな)いを施した品、ではないのですか?」

「呪いは、かけてありましたよ。あのモノノケを引き寄せるように。」


それを持って、千鶴に、都をあちこちうろつかせた、というわけだ。


「なぜ、千鶴どのにそのようなことを?」


惟任が、低い声で詰問するように、訊ねた。


「女性にそのようなことをお願いするというのは、危険では?」


惟任が、「もし自分が、あの場にいなければ、どうなっていたことか」と、唸るように付け足した。


「えぇ。そのとおりです。」


公賢は、素直に頷く。


「手は打ってあったのですが、あれの居所を突き止めるのに、予想以上にてこずりました。あなたがいなければ、危なかった。あなたのおかげで、千鶴が助かりました。」


公賢の言葉に、惟任は、ぐっと押し黙った。


「櫛を見せてもらえますか?」


公賢が、千鶴に言った。千鶴は、先程、拾って懐に収めた櫛を取り出して、公賢に渡す。


「これは、千鶴が血を分けた親から受け継いだ物です。この櫛には元の持ち主の強い加護の意志が宿っている、千鶴にとっては、いわば唯一無二の御守りです。」


変わらず、訝しげな顔の惟任に教える。


「そして、これには、先日、私が少し細工を施しました。」

「え?細工ですか?いつの間に?」

「先日、見せていただいた時ですよ。」


鶯と斑の姫にまつわる事件が解決したあと、千鶴は、公賢に求められて、この櫛を見せた。その時に、公賢が、櫛に触れながら、何事か呟いていたように見えた。

やはり、あれは、気のせいではなかったのだ。


「あなたが魔に引き込まれそうになっても、その場所を引き寄せられる、いわば(まじな)いの糸のようなものを貼ったのです。」

「呪いの糸、ですか?」

「えぇ。」


公賢が言う。


「なかなかに厄介な魔霧でした。」


一度、千鶴が懐から櫛を出したとき、大方の場所を捉えることができたが、霧が深くて呪いの糸を手繰り寄せられなかった。それが、櫛が再び懐から落ちて、場所が見つけやすくなった、ということらしい。


「なぜ、その役目を千鶴どのに?」


惟任が、しつこく食い下がった。


「どう考えても、相当な危険が伴うもの。それを、いくら腕が立つとはいえ、千鶴どのは、ただの白拍子。頼むのはいかがなものか。」


惟任の様を興味深そうに眺めていた公賢は、顎の下に右手を置いて、「ふむ。」と少し考えるような仕草をした。

一呼吸おき、


「いいでしょう。手伝ってくれた、お礼にお教えします。」


そして、公賢は、予想だにしていなかったことを千鶴に告げた。


「千鶴には、皇族の血が流れているのです。だから、盛大に餌を撒いてやれば、あの物の怪が、千鶴に引き寄せられるのは、分かっていました。」


「皇族の血!?」


千鶴と惟任が同時に声を上げた。


「別に、珍しいことではないでしょう?親籍降下は、古くからよくあることです。もともと、平清盛も、今の()()()()() 源実朝公も元をたどれば帝の子孫です。」


あなたなら、ご存知でしょうと、惟任に向かって肩をすくめた。


「それ・・・は・・・」


惟任は、一瞬、ちらりと千鶴のほうに視線をくれると、


「そうですが・・・、しかし、千鶴どのは・・・。」


「あの・・・では、私も元の元を辿っていけば、大昔の帝に行き着く、ということでしょうか?」


「いえ、あなたの場合は、それほど、離れていません。かなり血が濃い。なればこそ、あの物の怪を引き寄せられたのです。」

「それほど遠くない?」


「えぇ。三代も遡れば、皇族に行き着くでしょう。」


三代と言えば、祖父母、ということになる。


「千鶴。あなたは、本当の父母を知らぬでしょう?」

「はい。飢えて倒れていたところを師匠の菊鶴(きくつる)に拾ってもらいました。」


「そして、白拍子になった、と。」

「はい。」


「飢えていなければ、あるいは、拾ったのが菊鶴でなければ、鶯のように、貴族の娘として育ったかもしれません。」

「はぁ。」


公賢は、また、いつものように扇で口許を隠した。これをすると、途端に表情が読めなくなる。

あるいは、表情を読ませたくないときに、わざとやっているのかもしれない。


「あなたは、菊鶴に拾われたこと、恨んでいますか?」


「恨んで?」


菊鶴のことを思い浮かべた。

彼女は、幼かった千鶴に、食べるものを与え、生きていくために白拍子として、育てた。

裕福ではない。食うに困ることも多い。時に、空腹に耐え、隙間だらけの朽ちた家に住まい、雨風や寒さを忍んだ日もあった。


一人なら楽に暮らせたであろう、菊鶴は、それでも決して千鶴を放り出したりはしなかった。

「母にはなれぬ、だから師匠だ」と、はすっぱに笑う菊鶴は、乱暴な言い方だが、それでも「千鶴が幸せになれる選択をしな」と、いつも言う。


だから、千鶴はきっぱりと言える。


「いえ。恨んでいません。」


菊鶴が見つけなければ、ただ飢えて死んでいただけだ。仮に他の誰かが見つけてくれたとして、今さら、鶯のような人生など、とても思い浮かばない。そして、それが、幸せだったかどうかも。


「菊鶴がいなければ、今の私はありえません。」


公賢は、扇をパチンと閉めて、「そうですか。」


「それでは、もう一つの本題に移りましょう。」


「もう一つの本題?」




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