31 公賢の暗喩
先程から、千鶴は、幾度となく、公賢の屋敷の前を通りすぎては、戻り、また戻ってきては、そのまま素通りしてと、行きつ戻りつを繰り返していた。
広大な屋敷の立派な門の前で、足を止め、ピタリと閉じた門を眺める。
「うーん・・・。どうしようか。」
「なんだよぅ。行くなら、早く入ろうぜ。オイラ、お腹がすいたよ。」
旧鼠のナンテンが千鶴の肩で「ちゅちゅちゅ」と鳴いた。
「あの狐姫のことだろう?いいじゃん。公賢さまにちゃっちゃと言っちまえば。だいたい、千鶴が変な約束するから。」
「それは、そうなんだけど・・・」
「それにオイラ、あの姫、嫌いだ。」
ナンテンがとがった鼻先を、さらに突き出し言う。
「あいつ、千鶴のこと、見下してる。位を鼻にかけた、嫌な女だ。」
千鶴は、少し考える。ナンテンのいう事は間違っていないが、少し違う。
「唐錦の君は、私のことを見下しているんじゃないと思うよ。あの子は少し・・・」
千鶴は、唐錦にぴたりと寄り添うようについていた伊予の命婦を思い浮かべた。
「少し、幼い。」
だから、周りの者に容易く影響される。「権大納言家の正しき姫君」であろうとする、まっすぐな純真さと気負いが、余計にそれを助長させる。
自分は狐だと知り、傷つき、思い悩んだはずだ。
だからこそ、余計に、周囲に疑われないように、気位高く保ったに違いない。
ふとした瞬間、のぞいた素直な反応が、悪い娘ではない、と感じさせた。
「千鶴は人が良すぎる。鶯のときと言い・・・結局、頼み込まれると、なんだかんだ言って、断れないんだ。」
ナンテンが、鼠の癖に、「ぶぅ」と鳴いたので、千鶴は思わず苦笑した。そのとき、
「いつまで、そうしているつもりですか?」
「きゃっ!」
ふいに、耳元でかけられた声に、心臓が飛び出しそうなほどに、仰天する。
振り返ると、涼しい顔をした安倍公賢が、開いた扇で口許を隠して、背後に立っていた。
「そんなに叫ばれると傷つきますね。」
「少しも傷ついているようには見えません。」
公賢が、「ふふふ。」と、目を細めた。楽しんでいるらしい。
「さぁ、どうぞ、屋敷の中へ。」
促されて、屋敷の中に入る。
いつもの池に張り出た釣殿で、公賢は、着物を少し着崩し、脇息にもたれかかって座った。
千鶴はその向かいに腰を下ろす。
「ずいぶんと屋敷の前を、うろうろとしていたようですね。」
「えぇ。まぁ。」
先日、唐錦に頼まれたことを考えていたら、つい、訪ねる足が重くなってしまった。
「何を思い悩んでいるのか知りませんが、これでも食べなさい。」
公賢が、盆に乗ったオレンジ色の物を差し出した。手でつまんで、口に頬ると、甘い。
「干し柿ですね。こんな時期に、珍しい。柿の季節はまだまだ先なのに。」
「頂き物でしてね。去年の柿を干したものだうです。」
「去年の柿!それが、こんなに柔らかいんですか。」
「えぇ。作った人が上手いんですな。どうも長く保存するコツがあるようです。」
やや粘りつくような舌触りに、噛めば噛むほど、じゅわりとした甘味が広がる。
千鶴は、口の中で、その極上の干し柿を咀嚼しながら、例の件をどのように切り出そうかと考える。
そのとき、庭を眺めていた公賢が、珍しく、世間話を始めた。
「先日、今年の燕がやって来ましてね。」
「燕・・・ですか?」
「屋敷の門の軒下に巣を作るのです。何故か毎年同じ場所に。不思議なものです。今は卵を温めていますよ。」
「はぁ・・・」
突然何の話を初めたのかと、面食らっていると、唐突に核心をつかれた。
「そうそう、唐錦は、狐ではありませんよ。」
「え?」
あまりにも遠いところから、突如として、一足どころか、百足跳びに本題に来たので、一瞬、千鶴は何を言われたのか、分からなかった。
「唐錦は、狐ではありません。」
再度、念を押され、
「今回は巻き込んでしまい、すみませんでしたね。」
「待ってください。公賢さまに謝れられうようなことは・・・」
「いいえ。」
公賢は、強くきっぱりと否定する。
「まさか、唐錦が、貴女を連れ去るとは思いませんでした。私の対応の誤りです。」
「ご存知だったんですね。」
さすがと言うべきか。
公賢には、都中に独自の大きな目と長い耳を持っているという噂がある。たぶん、式という術の成せる技なのだろう。
「あれ以上の暴挙に出るようなら、助けをよこすつもりでしたが、何事もなくて良かったです。」
一体、どこからどこまで知っているのだろう。
しかし、それであれば、話は早い。
「あの・・・その唐錦のことなのですが、」
「あなたが案ずることは、何もありません。」
先ほどと同じように、きっぱりと言い切った。
「唐錦は、間違いなく人間です。」
「何もかも、ご存知なわけ・・・ですね。」
その揺らぎない口調に、心の底で、「やはり。」と思っている自分がいた。
唐錦は、公賢に正体を明かしさえすれば、なんとかなると思っている節があった。しかし、千鶴の知っている公賢は、そんなことに気がついていないはずがない。
安倍晴明の血が濃く現れている当代一の陰陽師なのだ。
一目会っている唐錦が、仮に狐だったとしたら、見逃すはずはないのだ。
「では、なぜ、唐錦の姫君は、あれほどまでに強く、自分のことを狐だと信じ込んでいるのでしょう。そこまでお分かりなのであれば、公賢さまは、その理由も、お分かりなのでしょう?」
その誤解を解いてやれば、話は容易く片が付く。
公賢は、「ふむ。」と短く頷いて、また、庭を見た。
扇で、庭の一点を指し示し、
「あの燕の巣のなかで育てている卵からは、何がかえると思いますか?」
公賢が、尋ねた。
これは何かの暗示なのだろうか。
促されて、そちらを見ると、燕が一羽、すーっと低く飛んでいくのが見えた。
「燕の巣なら、燕の子ではありませんか?」
何を当たり前のことを言い出すのか。
「えぇ。普通はそうです。誰しも、燕の巣の中で、親燕が育てていれば、当然、子も燕だろうと考えます。しかし、中には、卵を自分で育てず、他の鳥の巣の中で育ててもらう鳥もいます。例えば、燕と同じ夏の鳥、ホトトギスです。」
「知りませんでした。」
「ホトトギスは、一説によると、ウグイスの巣に卵を産み、ウグイスの親に子を育ててもらうのだそうです。ウグイスの巣で羽化した彼らは、自分のことをウグイスだと思って育つのでしょうか?それともホトトギスだと知っていると思いますか?」
公賢の指し示さんとすることが、朧げながら分かってきた。
「親と子が違うけれど、そのことを・・・知らない?」
千鶴は投げかけられた謎かけに少し思案したのち、答えがわかり、「あぁ」と頷く。
「狐は唐錦ではない。唐錦の親のどちらか、あるいは、両方が、狐・・・なのですね?しかし、唐錦は、その事実は知っていても、自分と両親の血が繋がりがないことを知らない。」
公賢は、答える代わりに、扇を口許から、さっと外した。現れた唇は、薄く優しく笑っていた。
御名答、とその目が言っている。
「唐錦の君は、疑わなかったのでしょうか?親と自分の血縁を。」
いや、違う。
千鶴は、あのときの唐錦の様子を思い浮かべた。彼女が父と話す様子を。そして、そのあとに言った台詞。
―――父と母を愛しております。
彼女は、疑いたくなかったんだ。
父と母のことを。二人が自分の本当の親であることを。だから、迷うことなく、自分も狐であることを選んだ。
それならば、執拗に公賢にこだわっていたのも、余計に頷ける。彼と良い関係を結べれば、両親に何かあったときにも、助けになるだろう。
「唐錦の君は、父上と母上を愛してらっしゃるのですね。」
「えぇ。そうでしょうな。」
公賢は、淡白に答えた。
「だがしかし、それにしても、あの子は少し、やり過ぎました。本当は、家族の間で解決してもらえば済むことなのですが、こうなると、そろそろ、目を覚ましてもらわなくては、なりませんな。」
公賢は、「やれやれ。」と、気だるそうに、顔を扇いだ。
「目を覚ましてもらう・・・とは?」
公賢は、答えない。
「唐錦の君の親たちは、どうして、人に化けているのでしょう?」
これにも、公賢は、黙ったまま。庭に目を向け、ゆるゆると扇を上下に揺らすしている。
公賢は、千鶴の詮索を止めるかのように、まだ3つほど干し柿の乗った盆を、押しやった。
「さぁ、柿を食べなさい。」
これ以上は、口を挟むな、ということなのだろう。
千鶴は、一つ摘まんで、口に放り込む。
押し黙ったまま、何度も咀嚼していると、先程よりも、練っとりと、糖分を含んだ汁が、舌に絡み付いてきた。
水気を多く含んだこの時期特有の風が、庭から吹き込む。
やがて、公賢は、会合の終わりに必ずに尋ねる言葉を口にした。
「櫛は持ち歩いていますね?」
それは、お開きの合図。もう帰れ、ということだ。
千鶴は、懐に手を当てて確かめてから、いつものように答えた。
「はい。」
今週いっぱい、こんな感じのトーンの地味めな話が続きます。
来週、回収するので、お付き合いいただけると嬉しいです。
続きは、明日。