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29 唐錦3

3年ほど前の、ある晩のことだった。

夏の盛りも過ぎたというのに、蒸し暑い夜で、唐錦は、床に入っても、眠りにつくことができずにいた。


どうせなら、と起き上がって、庭の見える辺りに移動し、梁に持たれて、ぼんやりと闇夜に浮かぶ月を眺めながら、涼んでいた。

やや小太りな月が、下界のことなど知らぬとばかりに、気楽そうにプカプカ浮かんでいる。


次の満月は仲秋の名月。そのころには、暑さもおさまっているかしら、などと、ぼんやりと考えていたら、庭のしげみを横切る大きな獣の影が目に入った。


月明かりに照らされた銀色の毛並み。フワリと優雅に靡いた尾。


(野犬?)


いや、それにしては、尾がふさふさしている。そして、大きい。唐錦と同じくらいの大きさだ。


(まさか・・・狐!?)


狐は、唐錦に気がつかなかったようで、そのまま、さっと、庭を通りすぎて、行った。


(あちらは、母の部屋の方だわ。)


危険が及ばないかと、立ち上がった、その直後だった。


「殿、おかえりなさいませ。」


聞きなれた母の声がした。


唐錦の部屋と母の部屋は間には小さな庭がある。

双方とも、戸を開けていれば、夜など、音のないときは、意外と声が響くのだ。


(との?)


不審に思った唐錦は、音をたてぬように部屋を抜け出した。明かりを持たず、母の部屋へと続く渡り廊下のほうへと回り込むと、先刻よりもはっきりと、母の声が聞こえた。


「山の方はいかがでしたか?」


その問いかけに、父の声が答えた。


「やはりダメだ。ここのところの炎天は、山の恵みにも、影響が出ている。雨が少なすぎる。」

「まぁ!今年は、穀物の作付も悪いということですし・・・このままでは、また飢饉がきますわ。」


母が心配そうに、ため息をついた。


「これでは、あの子が辛い思いを・・・私は、良いので、何とか、経子(きょうこ)の分だけでも食べ物を採ってこれませんの?」

「大丈夫だ。ちゃんとあの子の分は見つけてある。少しだけだが、拾ってきた。」


唐錦は、二人のやり取りを聞き逃さないように注意しながら、息を殺して、そろりそろりと慎重に、部屋の手前まで来た。

戸は降りていないが、几帳が立ててある。


そこに二人の影がうつっていた。

唐錦は、その姿を見て、驚愕のあまり足がすくんだ。がくがくと全身がわななく。


姿形は父と母だが、その尻あたりから、それぞれ、立派な尾が生え、ゆらゆらと揺れている。


(あれは、狐?)


そんな、まさかと、信じられない気持ちで、二人の会話に聞き耳を立てた。


(一体、お父さまとお母さまは、どこへ・・・?)


部屋の中からは、いつも通りの父と母の話す声。


「あら、栗と柿ですか?」

「他よりも早く実をつけた木があるのだ。」

「それでは、明日の膳に出させましょう。」


嬉しそうな母の声に、呼応するように、彼女の尾がフワリと上下した。


「あの辺りは、人の足では来られぬ場所だ。唐錦が食べる分くらいはなんとかなる。」


今度は父の尾が、左右に、優雅に揺れる。


その尾の形は、先程、庭で見た大きな狐のものとそっくりであった。


唐錦は、愕然とした。正気を失いそうな自分を、必死で保って、ずりずりと自室まで後ずさる。来るときと同じように、いや、それ以上に慎重に。


自分の部屋まで戻ったとき、唐錦の衣は汗でぐっしょりと濡れていた。この蒸し暑さのせいではない。

唐錦は、深く深呼吸をした。


1回、2回、3回。


「ふー。」


ようやく、額から流れ出る汗を手の甲で拭うと、努めて冷静に、目にしたものを、振り返る。


庭を通り、母の寝室の方へ消えた大きな狐。

寝室にいる、尻尾のある二人の人間。


あれは人に化けた狐?

お父様とお母様は、一体どこへ行ってしまったの?


部屋から聞こえる声は、確かにいつもの父と母のもの。

であれば、父と母は狐ということだろうか。


(狐がお父さまと、お母さまに成り代わっている?一体、いつから?)


一生懸命思い出しても、父と母の性格や態度がある時を境に変わった、というような違和感を抱いたことはない。

二人はいつでも唐錦に優しい。


唐錦は、先程の母の言葉を思い出した。

母は、飢饉で食べ物が不足することを心配し、言った。


ーーー私は、良いので、何とか、経子の分だけでも食べ物を採ってこれませんの?


経子とは、唐錦の(まこと)の名。今は、両親しか呼ぶ人はいない。貴族は、みだりに自分の名を明かしたりしないものだから。そして、その声は、娘を心底案じる、母のものだった。

その言葉に微塵も偽りがないことを、唐錦は知っている。


父もまた、唐錦のことを案じていた。


あのお父さまとお母さまは、真実、私の両親。


であるなら、答えは一つしかない。

私自身も、父と母と同じように狐だ。


そうでなければ・・・


唐錦は、瞼をきゅっと閉じ、優しい父と母の顔を思い浮かべた。


そうでなければ、私は、大好きな父と母の子ではない、ということになってしまうから。


(いいえ。これは、全て夢かもしれない。)


唐錦は、今見たものを打ち消すように、床についた。


(明日の朝、目覚めたら、すべて忘れていますように。)


しかし、そんな唐錦の期待をあざ笑うかのように、翌朝の膳には、綺麗に皮を剥いて、小さく切った柿が皿に乗っていた。


「昨日、殿様が市で買ってきたそうです。」


膳を運んできた女房が言った。


「今年は、山も凶作で、木の実もあまりないと聞いておりますのに、お殿様は本当に運の良い方です。」


そう言われれば、我が家の膳には、よく、山の幸が並ぶ。


今までの飢饉の年でさえ、痩せ細った果実で、皆が食いつないだ。周りの貴族たちが食うに困って財を売り払って食物を求めているという噂がある中で、花山院(かざんいん)家は、さほど暮らしぶりを変えることはなかった。

それどころか、他の貴族が没落した分、相対的に勢力を増したとさえ言われている。


唐錦は、柿を一口含んだだけで、すぐに皿に戻した。味がしない。ただの粘着質な塊が、喉につかえた。


父と母は、何のために人間のふりをしているのだろう。


「ご気分が優れませんか?」


唐錦の様子に気づいた女房が、心配そうに声をかける。


「えぇ、ちょっと。」

「せっかく、お殿様が手に入れてらしたのに・・・」

「貴女、良ければ食べてちょうだい。」


唐錦は、柿の皿を女房のほうに差し出した。


「いえ、それは・・・」


食物は不足している。ひもじいに違いない女房は、しかし、躊躇した。


「お願い。次は食べるから。貴女が食べて、お父さまとお母さまには、私が食べたことにしてちょうだい。」


女房が、唐錦の顔をじっと見る。

たぶん、今は、少し青ざめた顔をしている。


「わかりました。ありがたく頂戴いたします。」


女房は、ため息をついて、


「次はちゃんと食べてくださいね。殿様と奥方様がご心配なさります。」

「ありがとう。」


しはらくは、悶々と考えているうちに、日々が過ぎた。


ところか、ある日、事態が急転した。父が宮中出仕の話を持ってきたのだ。

初めてその話を聞いたとき、唐錦は、真っ青になって、卒倒しかけた。宮中出仕。帝の目に留まれば、寵愛を受け、女御になる可能性もある。


お父さまは、一体何を考えているのかと混乱した。


私は狐である以上、帝になど、嫁げない。子など、もっての他だ。

しかし、よくよく考えてみると、あるいは、それが、父の狙いかもしれないと思い始めた。


この国の最高権力である帝を籠絡し、実権を握ること。そして、人間たちを操ること。


では、私はその道具なの?

何て恐ろしいこと!


その考えに気が付いた唐錦は、震えが止まらなかった。


仮に父の狙いが、帝とその権力にあったとして、私はどうするべきなのか。


小さいころから、「貴族の娘」として、育てられた。

帝を敬い、国に尽くすのが、貴族の使命である、と。唐錦も、自らの地位に恥じない振る舞いをするように、と。


だからこそ、思う。

私には無理だ、と。


私には、お上を謀ることなど、出来ない。


「もし、私を道具として、使いたいのなら、いっそ、そのように育ててくださればよかったのに・・・」


帝を利用するのだ、帝に取り入り、権力を握るのだと、教えて育てられれば、受け入れられたかもしれない。しかし、父も母もそうはしなかった。


帝は、立派な人であり、敬うべき対象として、教えられた。


私は一体、どうするべきなのか、思い悩む日々だった。


以前から務めていた伊予の命婦は、目端の効く人で、唐錦の変化を敏感に察知した。

彼女の思い悩むさまにすぐに気が付き、何かと話を聞いては励ましてくれた。

私の正体を打ち明けた時、彼女は、「おいたわしや。」とともに嘆いたくれた。


その彼女に相談していて、思い付いたのが、安倍公賢だった。

公賢は、表舞台を嫌い、宮中行事にもめったに顔を出さないので、お会いしたことはない。


しかし、安倍晴明の血をひいている。直系ではないが、才を色濃く受け継ぐ陰陽師として、有名であった。安倍晴明の母は、篠田の森の狐であったという。ならば、公賢にも狐の血が流れている。


貴族としても格式もあり、尚且つ中央政権からも距離を置いている。


この人しかいない、と思った。

この人ならば、狐の自分を妻として迎え入れてくれるだろう、と。


伊予の命婦も賛成し、背中を押してくれた。その励ましを得て、唐錦は言った。


「安倍公賢どのと一緒になりたい。」


両親にそう伝えたとき、父は、驚きのあまり口をあんぐりとあけ、母は、何度もぱちぱちと瞬きした。


帝の権力を欲する以上、それでは育てた甲斐がないと、強く反対されるのは想定していた。

しかし、すぐに平静を取り戻した父は意外にも、落ちいた口調で尋ねた。


「安倍公賢どのを好いているのか?」

「・・・・・・はい。」


嘘だ。お会いしたこともない。

父も気づいただろうが、問い詰めては、こなかった。


「宮中には出仕したくないか?」

「・・・・・・はい。」

「帝は嫌いか?」

「・・・・・・」


敬愛申し上げている、と答えるわけにはいかない。


「どうか、安倍公賢どのとの結婚をお許しください。」


両手をそろえ、頭を下げると、両親は互いに顔を見合わせた。

ちらりと見ると、二人は、意味ありげな視線を交わした。父が、何かを考えるように、目を閉じ、しばらく後、瞼を上げて言った。


「わかった。公賢どのさえ、よければ、認めよう。」

「よろしい・・・のですか?」


意外な返答に、驚き、おずおずと尋ねる。しかし、父、花山院忠経は、「うむ。」と、はっきりと首を縦にふった。


「貴女がそれを望み、公賢どのが、受け入れてくださるなら、そうしなさい。」


どうして父がアッサリと受け入れてくれたのか、分からなかった。父は許し、さらに、自身で公賢に話を持って行ってくれたらしい。


しかし、返事は色よくなかった。

公賢から、「誰かを娶るつもりはない。」と断らりの便りが来たらしい。


「残念だが・・・」父はそう告げて、唐錦の反応をうかがいながら尋ねた。


「今からでも、遅くない。再度、出仕の話を考えてみないか?」

「嫌です。」


きっぱりと首を横にふる。

そうか。どうせ断られるだろう、そう分かっていたから、父はすんなりと許してくれたのか。


「公賢どの以外に嫁ぐつもりは、ございません。」


それが、自分と両親のためだと、信じている。

決意の固い唐錦の前に、父は、弱りきったように、眉尻を下げ、帰っていった。


父が部屋をでたあと、唐錦は、考えた。

どうすれば、公賢は、自分を受け入れてくれるだろうか。


「迷っていても仕方ない。私の道はこれしかないんだから。」


唐錦は、一念発起して、自身で、公賢に会いに行くことに決めた。

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