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28 唐錦2

自らの正体を打ち明けた唐錦の言葉に、千鶴は、ポカンと口を開けた。


「聞こえなかったか?私の正体は、狐、と申し上げたのだ。」

「いえ、あの・・・突然のことに・・・。」


戸惑う千鶴に構わず、唐錦は続ける。


「信じられぬなら、それでも構わぬ。しかし、決して、他言してはならぬ。」


その目から、冗談で言っているわけではない、ということが分かる。


「そのう・・・姫様は、どうしてそう思われたのですか?」


千鶴は、思った通りの疑問を、正直に口にする。


「恐れながら、私には、姫様が・・・そのようには、見えません。」


「狐」という単語を避けながら尋ねる。


千鶴から見た唐錦は、見目は美しいが、いたって普通の少女。

耳も尻尾も見当たらない。目は少しつり上がっているが、公賢のような糸目ではなく、ぱっちりと見開かれている。

唐錦は、ゆっくりと首を左右に振った。


「それを申し上げるわけにはいかぬ。」


世には、狐の霊に取りつかれる『狐憑き』というものがあるらしい。その狐憑きというやつだろうか、と考えるも、やはりしっくりこない。目の前の姫は、少々気性が激しいところがあるものの、はっきりと自らの意思で、行動している。


「その・・・それの姿に戻ることはできるのですか?」


おそるおそる尋ねると、唐錦は、またしても首を横にふった。


「私の意思で変化することはできぬ。今まで、一度もその姿に戻れたことはない。だが、それ故に、いつ、その姿を晒すことになるのか、制御がかなわぬのだ。」


ますます混迷を極めてきた。

自分の意思で戻れないというのは、おかしな話だ。


(この姫は、一体、何を言っているのだろう。)


千鶴が、本当に狐なのかと疑うのも、自然なことだった。しかし唐錦は、自身が狐であるということを、一点の曇りなく信じているようだった。


「荒唐無稽な話だろう?だが、私にとっては、真実。」


だからこそ、と唐錦は、言葉を継いだ。


「私は、安倍晴明の血をひく、安倍公賢どの以外のところへ嫁ぐことは出来ぬのだ。」


(そういうこと、か。)


千鶴は、ようやく、合点がいった。


安倍晴明の母は、篠田の森の狐、『(くず)()』だと言われている。であれば、当然、その子孫である公賢にも、狐の血が流れているはずだ。


自分が狐であると信じ切っているならば、結婚相手は、安倍晴明の血を引くものが良く、中でも、世俗と一線を引いている公賢こそが適任だという結論に至ったのも理解できる。


万が一のことがあっても、政治的な中枢に位置していない公賢なれば、醜聞の損害は最小限に抑えられる。もし、そこまで考えているのだとしたら、大した姫だ。


(いや。そこまでは、買いかぶりすぎかな?)


千鶴は、自分よりも、幾分年若い姫を、改めて観察する。


(彼女は、伊予の命婦の強い影響を受けている。そうすると、入れ知恵があったと考える方が自然。)


「まぁ、良い。正体を明かしてしまったのは、計算外だが、いずれにせよ、そなたに頼むしかないのだ。」


唐錦の言葉に、千鶴は、あまり良くない予感がして、身構えた。そして、その予感は、見事に当たる。


「そなたに、お願いがある。」

「お願い・・・ですか?一介の白拍子の私が、権大納言の姫君のお役に立てるとは、とても思えませんが。」

「いや。そなたが適任。他の者には、出来ぬ。」


残念なことに、千鶴には、次に来る言葉が、読めてしまった。鶯の例といい、どうも、ここ最近、おかしなことに巻き込まれる星回りにでもはいってしまったのだろうか。


唐錦が、吊り目を一際大きく見開いて、こちらを見ている。


「どうか、私と安倍公賢さまとの仲を、取り持ってもらいたい。」


千鶴の想像どおりの言葉に、いつのまにか目を覚ましていた、袖の中のナンテンが、「うぇっ」と潰れたような声を出した。


千鶴は、心の中で、一瞬、頭を抱えてから、床に両手をついて、頭を下げた。


「誠に申し訳ありませんが、私に、そのような大役をお務めできるはずがございません。」


浮世離れした、安倍公賢の顔を思い浮かべる。恋愛ごとなど、いかにも無縁そうな、あの男との仲を取り持つなど、どう考えても不可能だ。

しかし、当然、唐錦はそう簡単には引いてくれない。


「公賢どのは、めったに人とお会いにならぬ。ましてや、そなたのように、あの屋敷に出入りする者は、例外中の例外。なれば、そなた以上の適任はおらぬ。」


唐錦は、しゃんと背筋を伸ばし、気の強そうな、大きな瞳で千鶴を見つめる。


「褒美ならば、不足は取らせぬ。公賢さまにとっても、権大納言家との縁続き、決して悪い話ではないはず。」


千鶴は、思わずため息がでた。この姫は、公賢のことを何も理解していない。


「不可能ですよ。」


千鶴は、諭すように言う。


「公賢さまは、私の知る限り、そのように婚姻の有利、不利で動かれるような方ではありません。そもそも、一度お断りをされたら、意志を曲げることなどありえない。私が間に入ったとて、同じでしょう。その意思を変えることはできません。」


いくら褒美を積んでも、無理なものは、無理なのだ。

しかし、唐錦は諦めなかった。


「私の正体を、公賢どのに告げるだけでも構わなぬ。さすれば、きっと・・・。」


下唇を噛んだ。小さな希望にすがるように、声が震えていた。そうしていると、まだ子どものように見える。

いや。それでも無理だろう。そう思ったにも拘らず、千鶴は、つい訊いてしまった。


「一つだけお伺いしても、いいですか?」


唐錦が、軽く小首をかしげた。


「唐錦の君は、どうして、ご自身の正体を、そのように、お考えなのですか?」


懐のナンテンが、千鶴のしようとしていることに気づいて、「千鶴!」と低い声で非難するのが聞こえた。

唐錦の君は、答えに窮し、小さく、下唇を噛んだ。


「正直申し上げると、私は、姫の正体について、未だ、半信半疑です。いえ、むしろ、『疑』のほうが大きい。ですので、私とて、このままお受けするわけにはいきません。」


唐錦は、しばらくの間、俯き、黙りこくっていたが、やがて、囁くように言った。


「私は、お父様とお母様を愛しております。」


ぎゅっと拳を握りしめた両手が、震えている。今までの尊大さがどこかに飛んで行ってしまったかのように、小さく儚い存在に映る。


「だから、決して口にはできません。私の口から、二人の名誉を傷つけるようなことは・・・。」


唐錦の意思は固い。あれほどまでに父親の地位を、慮っていたのだ。口にしないと決めたら、言わないだろう。なぜなら、それは、自分のためではないからだ。


千鶴は、何度目かになるため息をついた後、ついに折れた。


「わかりました。私ごときのすることで、上手くいくとは思えませんが、それでも良ければ・・・」


ナンテンが、袖の中で、「あちゃー」と落胆する声が聞こえた。



◇   ◇   ◇



屋敷の男に、千鶴を家まで送るよう命じ、唐錦は、一人、部屋の奥へと戻った。


そこには、先程割ってしまった鏡の空の鏡箱が置いてあった。箱の表面には、華やかな撫子の花が彫ってある。その花弁に、指先でそっと触れた。


(また、取り乱してしまった。)


女房に、悪気があったわけではないのは、わかっていたのに、つい、カッとなって、箱と対になっている鏡を割ってしまった。


私は狐。


その事に気がついたあの日から、急に、鏡が怖くなった。

ふとした瞬間、油断したとき、本当の姿が、鏡に写ってしまうんじゃないか。真実が露になってしまうんじゃないか。


だから、女房が、「きれいにできましたよ。」と、鏡を見せた瞬間、反射的に手で払ってしまった。


「鏡が・・・鏡がお部屋に見当たらなかったので、こっそり市で買ってきたのです。」


震える声で、「出過ぎた真似をいたしました。」と、床につきそうな程に頭を下げ、申し訳ありませんと繰り返す彼女には、かわいそうなことをしてしまった。


私が鏡を嫌っていることを知らなかったのだ。

きっと、喜ぶと思って買ってきたに違いない。


逆上して、解雇を言い渡すところを、父上が止めてくださってよかった。冷静になり、撤回する機会を与えてくれた。


さすがに、権大納言だけあって、状況を読む力や、対応は、さりげなく、しかし上手い。


唐錦の父、花山院忠経(かざんいんただつね)は、いづれ大臣となってもおかしくはないほどの器だと信じている。例え、帝の影響力が衰えつつあるこの世の中とはいえ、権大納言家が、政治的に強い立場にあることにちがいない。


だからこそ、その娘が狐である、などという噂がたっては困るのだ。


絶対に秘密は守らなくてはいけない。

唐錦の正体も、そして、その親もまた、狐であるということも。


先程、千鶴に聞かれた。なぜ、自分の正体が狐だと考えるのか。唐錦が、口が裂けても答えることができなかった理由。


それは、父である花山院忠経こそが、狐である、ということだった。



土日は更新お休みします。

次は月曜。

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