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27 唐錦1

「私を(かどわか)したのは、唐錦(からにしき)の姫さまですか?」


完全に拘束を解かれた千鶴は、目の間に鎮座する小柄な姫を見つめた。

詩歌と琴の才能に恵まれ、控えめな性格の、今生の紫の上。年の頃は、12、3だろうか。千鶴より、やや幼い。


つり上がった目と眉が、聞いていたよりも幾分、気の強そうな印象を与えるが、なるほど、噂に違わぬ美しい姫。単純な造形の美しさ以上に、パッと人目を惹きつけるような華がある。


「拐し・・・?」


唐錦の君は、問いかけに僅かに戸惑ったような表情を覗かせた後、千鶴の手首を見た。刹那、ハッと表情が揺れ動いた。

低い声で側の女房を呼ぶ。


伊予(いよ)命婦(みょうぶ)。」

「はい。」


伊予の命婦が返事をする。


「私がこの者を連れてくるよう頼んだのは、そなただな。」

「はい。当家の下働きに、命じました。」


唐錦は、ゆっくりと深呼吸をし、


「私は、かような乱暴な真似をして連れてこい、と言うたつもりはない。」


千鶴がどのようにして連れてこられたのか、今、初めて気が付いたらしい。事態に、やや動揺しているように見えた。


「左様でしたか?何が何でも連れてこい、というお申し出でしたので、やや強引な手を使ったのかもしれません。」


伊予の命婦が、平然と答える。

唐錦の頬にサッと朱が差した。


「黙りなさい。権大納言家ともあろうものが、狼藉を働いたと、おかしな噂でもたったら、どうするのだ?」


唐錦の怒気を孕んだ声に、伊予の命婦は、慌てて両手をついて、頭を下げた。


「父上の名に傷をつけるな。」


唐錦の君は、ふぅと、一つ、大きな鼻息を吐いてから、千鶴に向きなおった。


「手荒な真似をしたようで、申し訳ない。」


謝意の感じられない、尊大な謝罪だった。


(どうも、「今生の紫の上」とは、だいぶ違う。)


噂というのは、やはり当てにならないらしい。


「実は、そなたに話したいことがあり、来てもらったのだ。」


唐錦が、「拐かした」ではなく、「来てもらった」と言う。


「私に・・・話、ですか?」

安倍公賢(あべのきみかた)どののことだ。」


千鶴は困惑した。


「公賢さま・・・で、ございますか?しかし、私から話しなど・・・。」


軽々しくできないと言おうとした千鶴の言葉を、片手をあげて、制した。

まるで、口を開く権利はこちらにある、とでも言いたげに。


「そなたは、安倍公賢どのとは、どのような関係なのだ?」

「関係・・・ですか?」


千鶴は、一瞬、返答に窮した。

公賢からは、頼まれてあちこちの貴族のところへ使い走りをしている。

だが、それは軽々に口にするべきではない。そうなると、改めて関係を問われたところで、答え方が難しい。


しかし、どうやら唐錦の思い描いているものは、千鶴の想像とは、全く違うようだった。


「ふんっ。答えられぬか?」


千鶴が、答えに迷っているのを見て取った、唐錦の君は、突如、敵意をむき出しにして、「言えぬのなら、私が言おう。」と、言った。


「つまり、そなたは、安倍公賢どのの、お妾どのということで、よろしいのだな?」


突き付けられた内容があまりに想定外だと、人はかえって反応できないものらしい。唐錦の言葉に、千鶴は、一瞬何を言われたのか分からず、ポカンと口を開けた。


「・・・・はぁ?」


千鶴が、困惑しているのを、勘違いしたらい。唐錦は、「聞こえませぬか?」と卑しいものでも見るような目で、


「つまり、そなたは、安倍公賢どのの、お妾ということで・・・」

「ち・・・違います!そんな関係じゃありません。」


我を取り戻した千鶴は、慌てて否定した。


「ただ、話し相手として、お屋敷にうかがっているだけです。公賢さまと私では身分も違いますし。」


唐錦が、怪訝な顔で、こちらを見ている。


「嘘をつくな。」


唐錦の目が、先ほどよりも、さらに吊り上がり、


「私は、知っている。そなたが、公賢どののお屋敷に、頻繁に出入りしているのを。お人嫌いの公賢どののところに、出入りする白拍子など、妾以外に何がある?白拍子とは、帝にも取り入るほどに恥知らずな、芸者の類なのだろう?」


決めつけるような言い方。


(いや、どちらかと言うと、誰かにそのように吹き込まれた、と言う感じがする。)


この姫は、幼い。そして、世間知らずだ。

それが、千鶴の印象だった。


(こういうことを吹き込むのは、だいたい、側の女房と決まっている。)


千鶴は、ちらりと、横に控える伊予の命婦を見た。

伊予の命婦は、素知らぬ顔で、座している。

千鶴は、お門違いの唐錦の怒りを鎮めるように、努めて冷静に答える。


「確かに、白拍子は、芸事を披露する故、やんごとなき身分の方々から、寵愛を受けることもありますが・・・」


平清盛に寵愛された祇王(ぎおう)仏御前(ほとけごぜん)も白拍子であった。彼女らを筆頭に、権力者の寵愛を得て、庇護を受ける者は多い。


「でも、私は違いますよ。公賢さまとも、誓って、そのような関係ではありません。ただのお話相手に伺っているだけです。」


千鶴のきっぱりとした物言いに、唐錦は、少し迷うような表情になり、伊予の命婦にちらりと視線をくれた。


「嘘だと思うなら、公賢さまのところの女房にでも聞いてください。」


無表情の伊予の命婦の、眉だけが、興味深そうにピクリと動いたのを、千鶴は見逃さなかった。


女房というのは、8割方、噂好きだ。公賢邸の釣目の女房は、たぶん残りの2割の方に入る人種だが、それでも、聞かれれば、千鶴にかけられた嫌疑を晴らすくらいのことはしてくれるだろう。


一瞬、気圧されるように、黙った唐錦は、再度、伊予の命婦の方をちらりと見た。

千鶴の自信に満ちた言葉に、不承不承ながらも、納得したらしく、


「わかった。そこまで言うのなら、信じよう。」


ぞんざいに言った。


「白拍子がどうであろうと、ともかく、他に寵愛を受ける者がいるのでなければ、それでよいのだ。」


千鶴は、唐錦の言葉の意味を測りかねて、尋ねる。


「他に寵愛を受ける者、というのは、どういう意味ですか?」


すると、唐錦は、つり上がった目をきゅっと、大きく見開いた。


「そのままの意味だ。つまり、私は、安倍公賢どの結婚するということだ。」

「けっ・・・こん・・・ですか?」


断定的な告白に、思わず言葉をつまらせる。


「それは、公賢どのもご了承されているのですか?」


しかし、唐錦は、それには答えず、


「私は、安倍公賢どのと、結婚する。そう決めているのだ。あの方以外に嫁ぐつもりはない。」


咄嗟に思い浮かんだのは、「ほら、公賢どのに恋をしたのですわ!」と高らかに叫ぶ阿漕の得意気な顔だった。

鶯と二人して一笑に付した彼女の説が、まさか、現実となって展開されるとは。


だとしたら、先ほどの「妾」発言の裏に込められた感情は、嫉妬だろうか。


「唐錦の姫様は、公賢さまを好いておられるのですか?」

「好いて・・・?」


なぜか、戸惑うように小首をかしげた唐錦に、違和感を抱いた千鶴は、より直接的な言葉で尋ねる。


「つまり、姫様は、公賢さまと、愛の言葉を囁き、身体を重ね、枕を交わしても良い、と?」

「か・・・からだ・・・?!まく・・・ら・・・!!!!ゲホッ、コホッ」


先ほどまでの強気な装いとは打って変わって、唐錦が、真っ赤なって、咳き込んだ。


「と・・・嫁ぐからには、と・・・と、と・・・当然じゃ。」


動揺を押さえ込まんと、居ずまいを直し、少し潤んだ目で、キッとに睨んでくる。


(おや?)


ちょっと前までの高慢な印象とだいぶ違う。

年相応か、それ以上に純朴そうな反応。


「コホン」


伊予の命婦が、一つ咳払いした。その音で、唐錦が慌てて、ピクリと背筋を伸ばし、仕切り直す。


「と・・・ともかく、そんな話は良いのだ。私は、公賢どのと結婚したい。いや、公賢どの以外とは結婚できぬ。」


(ふぅん。なるほど、ね。)


千鶴は、今度は、堂々と伊予の命婦を見た。伊予の命婦は、千鶴の視線など、なきが如く、変わらず、取り澄まして座っている。


千鶴が、さらに突っ込んで聞こうとしたとき、


「たいへん、たいへん!!」


一人の女房が、慌てて部屋に駆け込んできた。


「姫様!殿がまもなく、こちらに参ります。」

「父上が?」

「はい。急ぎ、お支度を。」


唐錦は、ハッと、千鶴のほうを向くと、手近な几帳にかかっていた着物をつかんで、千鶴の肩にかけた。


「それを羽織って、下を向いておれ。女房のふりをしておくのだ。伊予の命婦は千鶴のそばに。」

「はい。」


伊予の命婦が千鶴の横に駆け寄り、並んで、頭を少し下げた。


「面を見られぬように、お前も下を向け。」


伊予の命婦に言われるがままに、肩にかかった着物の両端を掴んで、襟元を揃え、やや俯き加減で、両手を床についた。


「姫!ひめ!!」


間もなく、ドタバタという足音と同時に、中年の男が一人、駆け込んできた。


「女房にまた、一人、暇を出したというのは本当か?」


唐錦のそばに駆け寄り、腰を下ろした。


「お前、なんだって、そんなことを・・・。」

「だって、お父さま。あの子、鏡を出したんです。」


唐錦が、つん、と不機嫌そうに言った。千鶴と応対していた時よりも、口調が幼い。


「だから、鏡は私が叩き割ってやりました。」

「お前の鏡嫌いは分かるが・・・そうは言っても、昨日来たばかりの新入り女房だったっていうじゃないか。悪気はなかったのに、それは、あまりにも気の毒だ。」

「でも・・・」


二人がやり取りに夢中になっているすきに、千鶴は、こっそりと、顔を上げて、唐錦の父である権大納言の顔を見た。


権大納言は、さすがに、宮中でその地位に相応しく、恰幅良く、堂々たる風貌をしている。口の上にハの字に髭を蓄え、ややつり目なところが、唐錦と似ていた。


「一度の、それも悪意のない失敗じゃないか。人には情けというものがあるだろう。」


唐錦は、父の再考を促す言葉に、少し考え込むように俯いていたが、やがて、


「わかりました。」


と、頷く。


「確かに、来たばかりの何も知らないものが、犯した失態。私も混乱のあまり、少し非情になりすぎました。」


権大納言が、安堵した。


「分かってくれれば良い。」


決して娘に甘いだけではない、さすがに地位に見合った器の人物であることが伺えた。

話の区切りがついたところで、権大納言が話題を変える。


「ところで、姫は、まだ公賢どののお屋敷に通われているそうだが・・・」


今度は、先ほどとは打って変わって、遠慮がちに尋ねる。


「はい。」

「あちらから、良い返事はあったのか?」

「いえ・・・それは、まだ。」


権大納言が、フーッとため息をついた。しばしの沈黙の後、低い声で、


「公賢どのでなくては、ならんのか?」


困ったように、わしゃわしゃと頭を掻いた。


「帝からは、未だ出仕のお誘いがきておる。尚侍(ないしのかみ)じゃ。」

「その話は、前にお断りしたはずです。」

「それは、そうだが・・・」


先ほど家人の処遇については、強く娘を窘めた権大納言も、この件には、強く言えないらしく、両の眉尻を下げ、どう説得しようかと、弱りきったような顔をしている。


「帝の側にあがれば、いずれは女御になるのも夢じゃない。ましてや、貴女の器量であれば、必ずやお声がけがあるだろう。」


女御というのは、帝の妻のこと。もちろん、複数いる。その中でも、有力な女御や、子を生んだものは、中宮となる。

女御となるには、帝からの寵愛だけでなく、実家の後ろ楯も必要だが、唐錦の美貌も、父親の権大納言という地位も、どちらも申し分ないだろう。


(尚侍を蹴って、公賢さまに嫁ぎたい?)


この短時間で見る限り、唐錦は、高位の貴族らしい、気位の高い姫だ。特に父親の地位や立場をかなり気にかけている。中央の権力から外れた公賢に嫁ぐより、どう考えても、宮中に出仕するほうが、彼女の考え方に合っているように思う。


(なのに、なぜ、そうまでして公賢さまに?)


唐錦が、父に激しく反発した。


「私は公賢どの以外に嫁ぐつもりは、ありません。ましてや、帝のお側になど!」

「しかし、公賢どのに、その意思はないであろう?」


権大納言の言葉に、唐錦は、ぐっと押し黙った。


「そなたが、頻繁に、公賢どのの元に通っていることは、すでに噂になっておる。そして、公賢どのが、全く相手にされておらぬこともな。」


唐錦の頬が、熟れた果実のように、真っ赤に膨れ上がる。


その様子をうかがいながら、唐錦の真意とはなんだろう、と千鶴は考えた。


そのような噂、本来、権大納言家の姫としては、恥ずかしいものだろう。先程、父の名に傷がつくと、女房を叱りつけたほど、家名に高い誇りを持っている姫なのに。


(あるいは、それほどまでに、公賢さまに夢中ということ?)


いや、違う。

唐錦のそれは、愛や恋とは別の何か。

そうではない、もっと他の理由がある。


「出仕のこと、もう一度、考えてみてくれぬか?」


控えめに提案した権大納言に、唐錦が、フイッと顔をそむけた。

権大納言が、苦りきったように、何度目かの大きなため息をついた。


「良い。とりあえず、今日のところは、いったん下がる。」


これ以上の説得は難しいと判断した権大納言が、出直すことを告げて、立ち上がった。


唐錦に背を向け、部屋を出ようとした時、ふと何かを思い出したように、足を止めた。

ちらりと千鶴たちの座る方を一瞥すると、低い声で、「伊予の命婦」と呼んだ。


「はい。」

「鼠が入り込んでおる。掃除をしておけ。」


千鶴は、一瞬、ギクリとしたが、権大納言は、それだけ言い放つと、あとは興味なさそうに、そのまま、部屋を後にした。


誰も動き出さぬまま、しばし時が過ぎた。

仕方なく、千鶴は、自らの肩に引っ掻けていた、女房の着物をおろした。


「あの・・・唐錦の姫ぎみ?」


おそるおそる声をかけると、唐錦が振り返った。ぼんやりと焦点の合わない目をしている。

千鶴が、着物を返そうとすると、伊予の命婦がさっと受け取った。


「あの、私とのお話が途中でしたが・・・。」

「あぁ、そうだったな。何の話だったか・・・」


覇気の抜けた唐錦に、千鶴は、改めて、先程から抱いていた違和感を投げかけた。


「唐錦の君は、なぜ安倍公賢さまにこだわるのですか?尚侍を断ってまで・・・。」

「だから、安倍公賢どのをお慕いしておると・・・。」

「偽りを聞きたいわけでは、ありません。」


唐錦の目がカッと見開いた。しかし、千鶴は、構わず続ける。


「公賢さまをお慕いしているのは、偽り、でしょう?唐錦の君からは、公賢さまへの想いなど、微塵も感じられません。」


公賢に対する気持ち。あの、斑の姫のような。人に愛するという、強い想い。目の前の唐錦からは、それが、全く感じられない。


伊予の命婦が、また、何度もゴホン、ゴホンと咳をした。


しばらく呆ぼんやりとしていた唐錦が、やがて我を取り戻し穏やかに言った。


「よい。」


唐錦が、何かを諦めたように、がくりと肩の力を抜いた。


「もう、よい。」

「ひ・・・姫さま。」


伊予の命婦が、慌てて取り繕うとしたが、唐錦は、大きく首を横に振った。


「どちらにせよ、この者には、話したほうが良さそうだ。」


一人納得したように、頷くと、背をシャンと伸ばして、


「そなたが聞きたいのは、なぜ、そこまでして、好いてもいない公賢どのに、嫁ぎたいのかということであったな」


今度は、隠すことなく、はっきりと、「好いてもいない。」と言い切った。


「伊予の命婦、人払いを。」


命じられた、伊予の命婦が、部屋の中の者たちを外に出す。広い室内は、千鶴と唐錦、そして伊予の命婦の三人になった。


「もう少し、近くに来てくれぬか。」


唐錦が、手招きで千鶴を呼んだ。千鶴が、ずりずりと膝を送って、側まで来ると、


「耳を。」


言われた通りに、左耳を唐錦のほうに近づけた。

品の良い薫衣香(くのえこう)が鼻をくすぐる。


唐錦は、その耳に口を近づけ、囁くように言った。


「実は、私の正体は、狐なのだ。」



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